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第22話

「よしっ」  どのくらい奮闘したかわからない。やっとの思いでベンチをどかしたときには、力尽きてその場に座りこんでしまった。レインコートは全然役に立たず、もう服の中までびしょ濡れだ。  とにかくすぐにでも和人のところに持っていかないと、と、俊は両手で望遠鏡を抱えるが、持ち上がらない。重すぎるのだ。  横殴りの雨は、外れたレンズの隙間から容赦なく中に吹きこんでいく。せめて何か覆うシートのようなものを、と探すがもちろんどこにもない。  俊は迷わずレインコートを脱ぐと、望遠鏡のレンズの部分にかけた。それだけでは守りきれない気がして、望遠鏡自体を抱きかかえるように自らの体で覆う。そうやって雨が上がるまで、自分が蓋になっていようと思った。  薄いシャツ1枚の体に滝のような雨が突き刺さってくるが、もう冷たさを感じない。  脳裏には、この望遠鏡を調整していたときの和人の生き生きとした表情が蘇る。彼との大切な思い出を守れるなら、少しくらい雨に打たれることなどなんてことはない。  ――落書き犯人すらみつけられない僕が彼のためにしてあげられることなんて、これくらいしかないじゃないか。  そう思ったら、急に体が楽になった。  頭上に降りかかるバラバラという機銃掃射みたいな雨の音が、なんだか遥か遠くに聞こえる。時折木の枝だか飛んできた障害物だかが、背中や腕を強く打ったが、たとえそれが突き刺さってきたとしても、今の俊にはきっとトゲが刺さった程度にしか感じられないだろう。  俊は全身の力を抜き、そっと目を閉じた。  どのくらい時間が経ったのかわからない。石のように蹲(うずくま)っていた俊は、急に強い力で腕を掴まれ引き起こされた。 「何やってるんだ、おまえ!」  雨の音さえ遠い中、その声だけは耳にはっきりと届いた。  黒いレインコートのフードを目深に被った和人が、俊を驚いた顔で見下ろしていた。  いつも飄々として動じない和人の明らかに狼狽した顔を見るのは初めてで驚きはしたが、一体何が彼をそんなに動揺させているのかはさっぱりわからなかった。 「あぁ……上月君、大変なんだ。望遠鏡のレンズがはずれて……」  和人はさらに目を見開くと、怒りとも悲しみともつかない複雑な表情で俊を唖然とみつめる。  話が通じなかったのだろうか。 「レンズだよ。はずれて中に雨が入っちゃったかもしれないんだ。はやく、修理しないと……」 「そんなものはいい」  そう言って引き起こそうとする腕を、俊は戸惑いながら振り払う。 「いいって何? いいわけないだろう? 2人で作ったのに……2人で、見ようって言ってたのに……。君が行ってしまう前に、最後の、思い出にするのに……!」 「おまえ……」  和人は絶句し、今度は両腕で強引に俊の体を引き起こしにかかる。俊は望遠鏡を抱えたまま必死に抵抗する。 「俊!」 「嫌だ! 僕だって一つくらい、君のために何かしたい!」 「もうしてもらってる!」 「してないよ! 落書き犯人だってみつけられないし、君と一緒に行く決心もできない! せめて、君の大事なものくらい守らせてくれたっていいだろう!」 「俺が一番大事なのはおまえだ!」  全身を包んだその一言で、両手が意思に反して望遠鏡から離れた。次の瞬間、俊は和人の胸の中にいた。 「俺がほしいのは思い出なんかじゃない! 今ここにいるおまえなんだよ! 星を見るのだって、おまえがいなくちゃ意味ないだろうが!」  力強い腕に抱き締められ、いつも冷静な彼とは思えない激しい言葉をぶつけられながら、もしかしたら今本当に夢の中にいるんじゃないかと思う。  急速に意識が闇に飲み込まれる感覚に抗えず、俊は和人に身を預けそのまま瞳を閉じた。

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