「今の課題は“愛”について？」 　エンドロールが終わるのを待って、キャロルが私に話しかける。 「はい。アンドロイドにはまだ搭載されていない機能ですから」 　書物や楽曲、絵画、映像作品。古今東西、人はあらゆる手段を用いて心の内を外部に発して来た。その中でも、愛、或いは、好意についてを取り扱ったものを、ここ四十日間の学習の中心に私は充てていた。 「でも、とても難しいです」 「どう難しいの？」 　薔薇の匂いが検知される。キャロルが私の隣に座ったからだ。 　彼女が学習に立ち会う時は先生が来られない時だから、彼女に対して“がっかりした”が選択されてしまう事もあるけれど、個性的な物事の見方をする先生と異なり、一般的な価値観や感情の事をよく話してくれる彼女との時間は、私にとって必要不可欠なものだ。 「家族や友人や同僚、恋人。人は人に対して、様々な種類の“好き”を持ちます。しかし、血縁や生み育てる行為の必要がない私達に『家族』は存在しません。また、使用者が『友人』を望んだ際に、似通った行動を選択する事は出来るかも知れませんが、命令の下で実行しているだけであり、『任務』の一部でしかありません」 「確かに、そう考えたらそうなっちゃうわね」 「それから、人形や彫像への『恋』を描いた作品もありますが、先程の理由により他の関係性における『好き』を理解する事が不可能です。比較対象がなく、繁殖機能も有していない私達が、何をもって『恋』だと判断すれば良いかが、残念ながら分かりません」 「……テオは、私の事好き？」 　好き、と言うべき場面だ。でもそれは『状況がそうである』という事への反応であって、感情ではない。その事をよく分かっている彼女は、笑顔を保ったまま答えを待ってくれる。 「キャロルは……、優しい人、です。それから、強いです。どんなに忙しくても、出来るだけ笑顔でいようとしていて、受け答えも丁寧で、明るい振る舞いをしてくれます」 「よく見てくれているのね」 　ありがとう、と言ってはにかむ彼女の受け答えはとても理想的だ。理想の自分である為に研鑽と自己啓発を行ってきた彼女の事を、私は“尊敬”と判断した。 　この“尊敬”をより人間らしく、シンプルに表現するとしたら───。 　ほろり。と、先生を“好き”と判断した時とよく似た、理論の網が解けるような不思議な感覚がした。 「キャロルはとても素敵な人です。その素敵は私にとって好ましいです。だから私は──キャロルが“好き”です」 　情報を拾い上げ、解答を構築し、音声に変換して出力するという事は何度もしてきた筈なのに、その『好き』は新しい響きだった。 　嗚呼、私は初めて自分の言葉で話したのかも知れない。 「ありがとう。私も大好きよ」 　穏やかに受け止めたキャロルの唇が艶やかな光沢を放った。彼女は、美しい人だ。 「これは、同僚への“好き”でしょうか？」 「どうして？」 「キャロルはアンドロイドの製品化に携わっています。私は、製品そのものです。同一の企業で『より人間社会に利益をもたらすアンドロイドを作成する』という同一の目的を達成する為に従事している状況は、同僚が最も適切であると判断します」 「じゃあ、私とナナは同僚だと思う？　休憩中はよく一緒に食事をするし、仕事終わりのショッピングもする。この前の休みは、コンサートにも行ったわ」 　ナナも職員だ。仕事を介して関わっている際は同僚に分類できる。では、そうでない時間は……？ 「プライベートの際は、友人に“変化する”という認識で合っていますか？」 「変化、はちょっと違うかな。私の場合だけど。地続きって言うか、平行って言うか」 「同時に存在している？」 「呼び方はTPOで分けてるけど、一番大事なのは『私達は対等で、貴方の事をリスペクトしているわ』っていう気持ち。あとは、相手にそれをどう受け取って欲しいか、だと思っているわ」 　だから私、よく友達って言っちゃうんだけどね。 　最後の一言を内緒話しのように言い、ふふっ、と息をこぼした彼女はいつもより幼く見えて、先生の“わるだみ”の顔に少しだけ、本当に少しだけ、似ていると判別された。 「キャロル。この後、カフェテリアへは行きますか？」 「ん？　そうね、お腹も空いてきたし」 「休憩の時間は勤務時間外になります。もし……もし、同席してプライベートな会話が出来れば、食物の摂取が出来ない私でも、キャロルと友達になれますか？」 　彼女のふっさりとした睫毛が、飛び立つ鳥の羽とよく似た動きをする。 「ええ！　もちろん！」 　鼻先が薔薇の香りで埋まる。柔らかい皮膚と肉の感触は、長年の研究で漸く私達が持つに至った物と酷似していたけれど、私の顔に当たるより柔らかな脂肪は、私が持っていない物だった。