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愛の面影。
葛城が彼の退職届けを同僚から聞かされたその頃、阿川は私物を纏めた箱を両手に持って、会社から去ろうとしていた。彼は最後まで、葛城とは会わないつもりだった。いや、"会える"わけがないと彼自身もそう思い込んでいた。そして、葛城を傷つけた事を酷く後悔していた。そして、二人は前みたいに戻れない事も――。
阿川は葛城に対して複雑な恋愛感情を抱くと、淡い気持ちが胸をぎゅっと締めつけた。そして、深いため息をついた。
これでいい、もうこれで…――。
心の中に自分の想いをしまい込むと誰もいないビルの階段を下へと降りた。階段を降り終わると、ビルのエントランスへ向かった。そして、回転扉の前でフと立ち止まると後ろを振り返った。
一瞬だけ彼の姿を瞼に思い浮かべると、自分が入社して間もない頃を不意に思い出した。それは、自分にとって凄く懐かしい気持ちだった。そこで様々な感情や、思いが沸々と沸き上がっては、懐かしい気持ちになった。会社に入社した時、まだ何も解らないことを葛城が自分の後輩として色々と面倒を見てくれた事を思い出した。それと同時に、次第に彼に惹かれていく自分を思い出した。厳しくて、たまに優しくて、人に弱さを見せない姿を知っていた彼は、そんな葛城の事をどこか心から惹かれていた。そして、それと同時にこの想いが"恋"だということも気づいた――。
だけど葛城には自分のこの想いを打ち明ける勇気はなかった。話せばきっと、この関係はなくなるだろうと彼自身も心の中で恐れを感じていた。だから"先輩と後輩"の関係でいようと思っていた。そして、遠くから彼のことを見つめるだけにしようと。だけどその関係も自分が壊してしまった。その後悔に、葛城への想いがただ募るばかりだった。
瞼に彼の姿を思い浮かべると、阿川はそこに自分の想いを置いて断ち切った。そして、扉の前で頭を下げてお辞儀すると、静かにそこから去って行った。会社から外に出ると和かな風が吹いていた。そこで彼は、深呼吸すると両手に箱を抱えたままトボトボ歩いた。
今頃、葛城さん。俺がいきなり辞めたから怒ってるだろうな。でもこれで良かったのかも知れない。もう彼の前からは消えよう。そしたら…――。
『阿川っ!!』
その瞬間、後ろから誰かに名前を呼ばれた。名前を呼ばれて振り向くとそこには葛城がいた。彼は、息を切らしたままの姿で阿川の顔を真っ直ぐに見つめた。
「葛城さん…――」
もう会えないと思っていたのにそこに葛城が目の前に現れると意表を突かれた顔で唖然と立ち尽くした。顔から汗を流すと、息を切らしたまま彼のもとに歩み寄った。その表情は怒っていた。険しい顔で近づくと着ているスーツの上着をグッと両手で掴んだ。
『お前! 阿川! 一体、どういうつもりだ!?』
「かっ、葛城さん…―?」
上着を思いっきり掴まれると、阿川は驚いた表情をみせた。そして、彼の手が僅かに震えていた事に気がついた。葛城はやっとのおもいで彼を見つけると、掴んだ上着をぎゅっと離さなかった。
「葛城さんそんなに強く掴んだら、俺の上着が切れちゃいますよ…――」
「阿川、話がある! 俺と屋上に来い――!!」
「えっ……?」
「この場で俺に殴られたくなかったら、屋上に来いと行ってるんだっ!!」
葛城はそう言って話すと目は本気だった。阿川は、彼にそう言われると、その場で腹を括ったように返事をした。
「…いいですよ。じゃあ、屋上に行きましょうか?」
彼がそう言って返事をすると、葛城は阿川の上着を掴んだまま、強引に屋上に連れ出した――。
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