86 / 100

その時、彼は――(阿川side)

 阿川は戸田課長に退職届けを叩きつけると、振り返らずに部屋から出ていった。そして、潔く自分の荷物を纏め始めた。自分のデスクの回りを片付けると箱を両手に持って部署をあとにした。周りは何事かと呆然と見ていた。彼は誰とも挨拶をせずに、部署を出て行った。そして、近くの階段から下の階へと移動したのだった。階段を一歩一歩、降りて行く度に心の奥が虚しい気持ちに襲われた。そして、それと同時に葛城への未練の気持ちも高まった――。 「これで本当に良かったんだよな……。ああ、きっとそうだ。俺がいたら彼が苦しむ。だからこれで……」  虚しい気持ちの中で葛城のことを思った。そして、上の階から下の一階の非常階段の入口へ辿り着いた。出口を開けるとエントランスに出た。朝からスーツ姿のサラリーマン達が忙しそうに出勤していた。阿川は両手に箱を持ったまま、その人混みの中をトボトボと歩いた。周りは朝から箱を両手に持っている彼の姿に目がとまった。だけど声をかける雰囲気ではなかったので周りは見て見ぬふりして急ぎ足で歩いた。そしてエントランスの出入り口で立ち止まると、彼はそこで立ち止まってジッと上を見つめた。

ともだちにシェアしよう!