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広瀬が買ってきた夜食をダイニングテーブルに広げ、食べる準備をしていると、東城が帰ってきた。 「ただいま。今から食事か?」そして返事を聞かずにその量がそれほど多くないのをみて「夜食ってとこだな」と言う。 「食べますか?」と礼儀として聞いてみる。 「そうだな。少しだけ」と東城はいった。彼は、広瀬の隣に座り、じっと見てくる。ふと手をのばされ、急に強く抱きしめられた。「ちょっと、このままで」と東城はいった。 なにかあったのだろうか、わからない。 そこでふと気づいた。抱きしめられて密着しているから気づけたのだと思う。女物の香水の匂いだ。個性的な香りだった。肩口のところがわずかに白っぽい。ファンデーションかなにかがついているのだろう。女性が東城の肩に顔をよせていたのだ。なんだこれ、と思ったりもしたが、何か言うべき言葉を思いつかなかった。 ずいぶん長い時間がたったと思う。「食事の邪魔をしたな」と東城は広瀬を名残惜しそうにしながらも離してくれた。「風呂入ってくるから、先、食べててくれ」 東城が戻ってくる頃には広瀬はあらかた食べ終えていた。それほど残ってはいない。悪いなとは思うが、東城が気にしないはずだ。遅くに食事するのは太るから控えているといっていたのだし。 東城は、広瀬の水割りのお替りをつくり、ついでに自分の分も作った。また、広瀬の横に座る。少し落ち着いたようだ。 「さっきまで変なとこいってて、頭ぼうっとしてた」と言う。「俗に言うSMクラブってやつ」 なんでまたそんなところに、と広瀬は思う。「そんな趣味でしたっけ?」 「言うと思った」と東城は笑った。「そういう趣味じゃないのは、知ってるだろ」 「どうでしょう。まえ、縛られたことあります」 「あれは、まあ、そうだな」東城はうなずく。「そういわれると、ああいうのも悪くなかったよな。お前はどう?またする?」 広瀬が露骨に無視したので、話をもとに戻す。 今仕事で追っている会社員の男がSMにはまっているらしいのだ。 そこで画像をとられネットにばらまくと脅されたため、勤め先のメーカーのかなり重要な機密の技術情報を盗んだらしい。いわゆる産業スパイだ。どの店で撮影されたのかはわからない。 会社員の男は行方不明になっており、なんとか探したいと思っている。部屋を捜査したら、男のプレイ中の写真が手に入った。一緒に女が写っていたのがわずかな手がかりだ。繁華街のSMクラブを何軒か回り、その女のことを探していたら、以前勤めていたSMクラブがあるとわかったのだ。 今日は、そこに話を聞きにいったのだという。許可を得て営業しているわりと老舗のSM店だったらしい。 「最初、客だと思われて、説明したんだけどなかなか話が進まなくてな」と東城はいう。「いや、客じゃないとはわかっていたんだろうけど、勘違いしているふりをされてからかわれたってとこだろうな」 店長兼その店のナンバーワンの女王様がでてきて応対されたのだ。化粧の濃い、口紅が赤い女だ。 「どんなプレイがご希望ですか?」とメニューをみせられたらしい。 「2人でいってるのにだぜ」 聞き込みは同僚と2人で行ったのだと言う。 「ご趣味に合わせることができます。SでもMでも。両方をお楽しみいただけるコースもあります」と言われた。 東城が3回くらい説明して、やっと女王様が正確な返事をしてくれた。そこまででかなり疲れたらしい。妙な緊張感があるんだよ、と東城は解説した。 東城が聞きたい女性のことは、かいつまんで教えてくれた。確かに以前勤めていた。『れいあ』という源氏名ででていた。しかし、もっといい収入が得られそうだといってどこかはわからないが転職していった。自分の店で勤めていたときには客のことを知りたがったり、客の噂話をするので何回か注意したことがある。 「お客さまについては、極力知らないようにしていますの」と彼女は説明した。「知ってしまうと面倒も多いですからね」 機密を持ち出した会社員のことも聞いてみた。写真を見せる。もちろん「存じません」との返事だった。 「この店の客を彼女が転職先に呼んだという可能性はありますか?」と聞く。 「そうですね。できないことはないと思います」と店長は答えた。 「実際には、心当たりは?」 店長は人工的な長いまつげの目をしばたいた。「お店にいらっしゃらなくなったとしても、理由はわかりかねますから、なんとも申し上げられません」 「写真はどうですか?サービスを提供している間に写真をとるということはあるのでしょうか?」 「サービスの一環としてですか?」 「それもそうですし、そうでなくてもです」 「今は、写真の扱いはとても難しいので、私どもでは極力撮影しないようしています。お客さまがお持ちになったカメラで、どうしてもという場合だけです。撮影されること自体がプレイの一つという方もおられますから。それ以外はカメラ機能のあるものは使わないようお願いしています。従業員が、個室に自分の私物を持ち込むのも禁止しています」と答えられた。「写真や動画は、コピーが容易で拡散もしやすいので、お客さまにはその点は十分説明しています」 「一般論としてでいいんですが、この店は厳重に管理しているとして、そうでない店もあると思いますか?」 「そうですね。あまり私どもの商売は一般的なことがないのですが」と店長は答えた。少し笑っている。「『一般論として』申し上げますと、同業のお店ではその手のトラブルが全くないわけではないと聞いてはいます。従業員が勝手に写真を撮影してしまうとか、逆にお客さまにとられてしまうとか。ご覧になりますか?」 「は?」 「写真です。他のお店のですけど、事例として何件か情報共有しているものがあります。かくして撮影する技術のほうが、防止する方法より発達しているので、私どもも店舗間で情報共有しているんです」 しばらくすると、店長はノートPCを持ってきて開いて見せてくれた。 「まあ、想像はしてたんだが、実際にみると違うよな。商業的なSMのアダルト動画とはさ。実際のサービスの最中だからな。リアルっていうか」東城は肩をすくめる。「俺は、人のを見る趣味はないことは確信できたけどな」 プレイの一環で撮影しているものでも、デジタル画像をコピーされてしまうケースや、従業員が小さなカメラを隠しもっているケースもあることが紹介されていた。 同僚とノートPCを見ていたら、急に、店長の女性が東城の耳に口をよせてきたのだ。「あなた、本当にこういうのはお好きではないんですか?」と聞かれた。「ビジネスは抜きにして、あなたとなら楽しめそう」そして、店長は東城の耳に歯を当ててガリっと噛んだらしい。 彼がすごくあせりながらも、彼女を丁寧なしぐさで押しのけたので、店長の女性は声をたてて笑った。 「気が向いたら、ぜひ連絡してください。お互い、お仕事抜きで楽しみたいですわ」と最後にそういわれて個人の連絡先を書き込んだ名刺をわたされた。名刺は薄紫色で『あやめ』という源氏名がかかれていた。 「後で、一緒に行った同僚が大笑いしてからかってくるし、明日、職場で言われそうだ。ものすごく疲れた」と東城は言った。「俺、そんなふうに見える?」 「そんなふうって?」 「痛めつけられてよろこぶような、感じ?今まで誰にもいわれたことないんだが」 広瀬は東城を上から下までみる。「わからないです。そういうの、したことないから」 「なんだよ。そこは否定しろよ」 「試してみないとなんとも」といってから広瀬は声を出して笑った。「でも、俺にはそういう趣味はないから、求めないでくださいね」笑いながらそういうと、東城は広瀬の口をふさぐようにキスをしてきた。

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