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あやめは広瀬が用意した部屋着に着替え、軽く食事をして薬を飲んだ。着いたときよりも落ち着いてきていて、真っ白だった顔色にも少し色がもどってきている。
化粧をすっかりおとしたあやめは、店にいたときとは雰囲気が異なり、若い娘のようだった。実際の年齢は不詳だ。
彼女は店に連絡をし、体調を崩したので今日は戻らないと告げた。明日も行くことができないかもしれない、オーナーには連絡するとも伝えていた。
何があったのかを東城に問われ、「今日、お店にいたら、急に襲われたんです」とあやめは説明した。
何人か客がいて、従業員は接客していた。あやめは、休憩時間に外でタバコを吸っていた。そこに、3人の男がやってきたのだ。夜で暗かったこともあり、さらにいでたちが黒いTシャツに黒いジーンズ、マスク、サングラスとほとんど風貌はわからない。
彼らはあやめに、『れいあ』はどこにいる、と聞いてきた。知らないと答えると、正直に言えと、なぐられた。
背中の傷は、おそらくムチだろう、とあやめは言った。「お店では、これほど傷が残るものは使いません。それで、思い出したんです」
『れいあ』の常連客に、このタイプのムチを使いたがる男がいたのだ。怪我の確立が高いため店はやんわりとお断りをしていたが、結構しつこかった。
その客は、『れいあ』が店を辞めたらこなくなった。
あやめは東城に言った。「実は、れいあちゃん、そのお客様に、お店の外で会っていたみたいなんです」
お店が把握してないところで客と会うのは禁止していたのに、こっそりと会っていたのだ。
「お金が欲しいっていう子もいるので、厳しくは注意していませんでした。お客さまをお店に連れてきてくれるのならいいということも正直ありますし。でも、今から思うとそのお客さんが別な店を紹介したのかも」
東城はうなずいた。「今日あなたを襲った男は、その客でしたか?」
「わかりません。あまり覚えていなくて。お客さまのことも、今日の男のことも。はっきりとは見えなかったですし、お客さまがいらしていたのはずいぶん前でしたし。でも、こんなふうに襲われるなんて」
「手がかりになるようなものはありませんか?」と東城は聞いた。「客の方ですけど。なにか、記録とか、店に来た日時とか、なんでもいいです」
あやめは、じっと考えていた。「そうですね、日報はつけています。お店に行けば、何日にこられたのかはわかります。でも、記録はイニシャルだけで、その方かどうかはとてもわかりにくいです。前も申し上げたように、個人情報は極力把握しないようにしているので」
「それでもかまいません。明日、お店に一緒にいっていただくことはできますか?なにか手がかりがあれば、それをもとに情報を集められます」
「できるだけご協力はします」
「あやめさん、『れいあ』とかなり親しかったそうですね。一時期ルームシェアしていたこともあったと聞きました」
あやめは少しだけ驚いた顔をした。が、すぐに肯定した。「ええ。そうです。それほど長い期間一緒には暮らしませんでしたが。お店に移ってしまってから携帯も変えてしまって。私も連絡しませんでした。お店移るのに私は反対したんです。だけど、お金が欲しかったみたいです。お店変わったからってお金が増えるとは限らないのに。それほどは止めませんでした。おうちに借金があってお母さんが苦労してるって言ってたし」とあやめは言った。「こんな怖いことに巻き込まれるなんて、思いもしなかったから」
「移った先の店はどこかご存知ですか?」
あやめはうなずいた。「許可をとっていないお店なんです。この前あなたがたがいらしてれいあちゃんのことを聞いていったので、気になってそのお店に連絡してみたんです。そしたら、店には来ていないって言われました」
彼女はスマホを操作し、電話番号を見せた。東城はその番号を控えた。「今度、店には行ってみます。れいあさんを探します」とあやめに告げた。
東城が、寝室で静かな声で電話をしているのを広瀬は聞いた。上司に今日のあやめの件を報告しているようだった。
上司がどんな人物かという話はたまに東城から聞いていた。剛腕で捜査のためならルール違反も平気でするくせのあるタイプらしい。
警察庁のお偉いさんの誰かから気に入られているらしく、かなりのわがままは許されているようだ。左遷されていたのはそのお偉いさんの政治的な力が一時期なくなっていたからのようだが、上層部の内部でなにかあり、そのお偉いさん自身も力をもどしたということらしい。
東城は大井戸署に異動になっていたが、今回、上司が復権したので本庁の特別捜査チームに呼ばれたのだ。呼び戻してもらえたということは、それなりには本庁で仕事をこなしていたんだろうな、と広瀬はぼんやり想像している。大井戸署でもそつなくやっていたし、上司の高田は彼を信用していた。少なくても広瀬よりは。
今の上司は、その上司に電話でSMの女王様を家に泊めることについて冷やかされたようで、東城は苦笑しながら電話を切った。「明日の朝は、あやめさんと一緒に店にいってもらえる資料があったら運ぶから」と彼は言った。
広瀬はうなずいた。
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