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翌日、朝起きるとあやめが既におきていた。顔の傷があざになっているが昨夜よりは元気そうだ。 彼女は広瀬に「服、お借りしてしまってすみません。今度、新しいの返しますね。私の血が少しついてしまって汚れてしまったので。今日は、お店に東城さんと行ったら一旦家に帰りますから、その後で」と言った。 広瀬は全然気にしなくていいと伝えた。どうせ着古したものだしと言う。 しばらくすると東城が起きてきて、あやめにその日の段取りを伝えていた。 大井戸署に出勤し仕事をしていると、連絡が入った。管内の運河で死体が見つかったというものだった。広瀬は、高田に言われて宮田と一緒に現場に行った。 気温があがってきているが、運河の近くは風が吹きやや涼しい。死体は運河沿いで犬の散歩をしていた夫婦が見つけた。かなり損傷が激しく、男性、会社員がきるようなスーツをきたままであることしかわかっていない。これから収容先で、スーツのポケットなどの中身を確認し、身元を割り出すだろう。 広瀬は、宮田と一緒に運河の付近を確認していく。運河の流れからすると、どこから水に入ったのかはわからない。宮田は、運河から東京湾につりの船を出している会社の事務所をみつけた。 宮田が丁寧にあいさつをし、この付近で死体があがったということを伝えた。 事務所で事務仕事兼お茶をいれていた女性が、警察、死体と聞いて飛び上がるように驚き、奥に入って行った。もしかして、このまま出てこないかも、容疑者だったらやだなあ、と宮田がつぶやくくらいの長い時間がたった後、女性は老人を連れてでてきた。このあたりの何艘かの釣り船の持ち主で、今はもう船には乗っていないが、運河の流れのことはよく知っているとのことだった。 宮田は事務所の壁にはってある地図を示す。「ここのあたりであがったんですけど」 事務所にいた老人が、宮田の指の先をみている。「死体の様子では、何日か前のだったみたいです」 老人は、ゆっくりとうなずく。彼は、お茶をいれるように女性に伝えた。 さらに、「日誌もってこい」と言う。 女性は、冷たい麦茶と分厚いノートをもってきた。 ノートには、船の出発時間や予約客、人数とともに天気が書かれている。老人はここ数日の天気を見せてくれた。広瀬は許可をとって日誌の写真をタブレットでとらせてもらった。壁の地図も写真にとる。 さらに、老人の話と彼が地図を指でたどるところも動画でとらせてもらう。 「このあたりまでは、めったにモノは流れない」と彼は言った。「ここは水がたまっているところで、流れは速くない。人間の身体ほど大きなものが流れることはない」そして、再度日誌の天気を見せてくれる。 「3日前に大雨があっただろう。あのときに水位があがった。それでここまで流れたんだろう」 さらに地図上を指でたどる。「ここに流れるには、こっからここの範囲で沈んでたはずだ。じゃないと、湾の方に流れてしまう。そんなに広い範囲じゃない」 老人は地図を示す。狭い範囲だ。 「前にも同じところに死体があがったことがある。あの時は俺が死体をみつけたんだ。おかげで、何日も食事ができなかった。自殺だったらしい。今度のはなんだい?」と老人は言った。 「まだ、わかりません。ご協力ありがとうございます」宮田は頭を下げた。 「もし、運河沿いの道から人が飛び込むとしたら、どこが適当ですか?」と広瀬は聞いた。 「示していただいた、この範囲では?」 老人は広瀬をしげしげとみる。それから、おもむろに口を開いた。「そうだな、俺ならここからにする」と彼は一箇所を示す。「ここからなら下に降りやすい。だけど、この運河は見た目がきれいじゃないからなあ。最近の人はきれい好きだろ。こんな運河に飛び込むってよっぽどせっぱつまってるんだろうな」そして、その先を示す。「船から放り出すならここだ。時間帯によっては誰も通らないし、口をふさいでおもりつけて落としちゃえば誰も気づかない」 そういった後で笑い出した。「俺はやってないから、逮捕しないでくれよ。やってやりたいと思うやつはいっぱいいるが、いちいち沈めてたら運河が死体でいっぱいになっちまう」 女性が後ろから、「おじいさん、やめてよ、警察の人に冗談は。冗談にならなくなるから」と言っていた。 宮田と広瀬は何度も礼を言い、事務所を後にした。 それから、特に老人に教えてもらった地点で聞き込みや監視カメラを探した。釣り船や屋形船の人にも話を聞いていく。日が暮れた頃、大井戸署からもどれと連絡があった。

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