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5分ほど待っただろうか。事務所のガラス戸が押しあけられて、青キヨラが入ってきた。
ニュース動画や写真でみたとおりの人物だった。肩ほどに伸ばした髪を後ろで縛り、細く色白の男だ。鼻筋が通っていて、くっきりとした二重まぶたの整った顔をしている。
まさか、こんなにあっさりとあえるとは思っていなかった。テレビの中の有名人だと思っていたから。
写真と違ったのは半そでのシャツからみえる腕や全体の印象が筋肉質だったことだ。絵を描いたり作品を作ったりするのは体力仕事なのだから、こんな感じなのは当たり前なのかもしれないと広瀬は思った。
広瀬は立ち上がりあいさつした。
青キヨラはあいさつもしないで広瀬をじっと見ていた。険しい視線だった。上から下、下から上となんども視線を行き来させている。
広瀬は知らない人にじろじろ見られることには、まあ慣れていた。エレベータや電車の中でガン見されることもある。でも、普通は名乗った相手にこうやって見られることはない。
青キヨラはアーティストだから人をこうやって観察するんだろうか、と広瀬は思ったが、そのあまりにも不躾な視線が長時間なのにはかなりとまどった。
「警察の方?」とやっと青キヨラは怪訝そうな声を出した。
広瀬はあわてて身分証を出して青キヨラに見せた。彼はそれと広瀬を見比べている。
「これ、本物?」と聞かれる。
「はい」名刺もとりだして渡した。裏づけにはならないと思うが、青キヨラはそれをうけとった。
そして、広瀬の向かいに座った。社長に「お茶を」とリクエストしている。
社長は立ち上がって事務所の奥に行き、小さい冷蔵庫からペットボトルのお茶を3本とりだしてもってくる。
青キヨラはそれをうけとり、キャップをあけて一口二口飲んだ。
「それで、なんでしょうか?」と聞かれた。
広瀬は社長にしたのと同じ説明をし、タブレットの絵を見せた。
青キヨラはそれをじっとみた。
「触っても?」と聞かれる。
「はい。拡大もできます」
彼は指で絵を拡大している。隅々まで見ていた。
「この絵は3年前に描いたものです」と彼は言った。「特別に頼まれて描いたものです」
「どなたにですか?」
「さあ。知らない人です」と彼は言った。「画廊と名乗る人がきて、絵を描いて欲しいといわれたので描いて売りました。普段付き合っている画廊ではない人です。絵を頼まれたのも一回きりです」
「なにか記録はありますか?」
青キヨラは社長の方をみた。「3年前の納品書の控えとかある?」
社長はうなずいた。「ファイルはあると思う」
「探してみましょう」と青キヨラは言った。「みつかったらご連絡しますよ」
「ありがとうございます」
「その買った人を探してどうするんですか?わたしのその絵が何か事件に関係があるんですか?」
「この絵が、ある会社さんのところにあってその会社について調べているだけです」広瀬はオールシステム社の社長の背景にあった絵の端を見せる。「ところでこれは同じ絵でしょうか?」
青キヨラはじっとその絵をみた。すぐにわかったようだ。「同じですね」と彼は言った。「なぜ?」
「別々な会社に同じ絵があるので、気になっているんです」
「よくあることですよ。絵を売ったり贈ったりすることは」
「先生の絵は高い金額で取引されていると聞きました」
「まあ、そういうこともあるようですね」と青キヨラは言った。
そして、彼は広瀬のタブレットを指でしめした。「最近の警察は、そういうものを使っているんですか?」と聞かれた。
「ええ、まあ」これは実証実験中のものだが、説明はいらないだろう。
「昔見た刑事ドラマとは違うよな」と社長が青キヨラに言っている。親しそうな声だ。青キヨラは肩をすくめた。
「3年前の画廊のことがわかったら、こちらに連絡しますよ」と青キヨラは広瀬の名刺を手のひらに乗せていった。「大井戸署の、広瀬彰也さん」と彼は名刺を読んだ。
彼は立ち上がると事務所をでていった。仕事に戻るのだろう。
社長は広瀬にお茶のペットボトルを持っていけといい、彼を外に送り出した。
クーラーが効いていた事務所から外にでるとそこは蒸し暑く、目の前を流れる川の水もぬるま湯のように見えた。
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