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しばらく車が走っていく。広瀬は街並みを見ていて急にはっとした。 「あ」と思わず声をあげた。 東城は怪訝そうな顔でこちらをちらっと見た。「どうした?」 「あの」と広瀬は言った。 「なに?」 「怒らないっていいましたよね?」 「なんだよ」東城は嫌そうなうなり声を出した。 「東城さん、クルマの鍵が、ないんです」 「クルマ?クルマって?」 「東城さんの」と広瀬は消えそうな声で告げた。「信号、赤になりますよ」 東城はブレーキを踏んだ。「俺のクルマの鍵?」と言っている。「ないってどういうことだよ」 児玉の店の近くの駐車場で東城のSUVを停めたのだ。念のためタブレットやスマホ、財布はクルマに置いた。以前、ちょっとした気の緩みからタブレットを壊されて、ひどく落ち込んだからだ。 だが、その後、児玉に捕まり、勢田に拉致されている間に、肝心の東城の愛車の鍵がどこかにいってしまったのだ。 東城はゆっくりと運転していた車を路肩によせて駐車した。気持ちを落ち着けているのだろう。 「俺のクルマ、どこ停めたんだ?」 広瀬は場所を告げた。東城はハンドルを切り、そちらの方に運転しはじめた。 「いろんなことが重なってるけど、この24時間で一番ショックだ」と彼は言った。「正直、お前が拉致られたのは、身構えてたからなんとか対処できたけど、俺のクルマは予期しなかったから。あれだ、ほら、あんまりよく知らない家の中歩き回ってて、低い桟があって、急に額にゴチッてあたった感じ。予期してないとすげえ痛い」 クルマが盗まれていたらどうしよう、と思った。東城は自分のSUVをかなり大事にしていたのだ。それに、自分のタブレットも積んでいる。 駐車場まで東城はずっとブツブツなにか言っていた。 東城のSUVは朝の光の中で停めときと同じ場所にあった。東城はげっそりした様子で愛車に近づくと中を覗き込んだ。そして、下や後ろを見る。彼は、自分の持っている鍵で中をあけた。 「特にいたずらもされてないみたいだな」と彼は言った。 広瀬はほっとした。 「すみませんでした」 「怒らないことにしてるから」と東城は言った。「鍵は変えなくちゃならないけどな」静かな声だ。 いっそ怒鳴り散らされたほうがましだったかも、と広瀬は思った。「弁償します」 「いらない。たいした金額でもないだろうし」そういって彼は広瀬に鍵をわたした。「とにかく、俺のうちまでもって帰りたい。お前、運転できる?眠くない?」 「大丈夫です」 「じゃあ、俺の後走ってこいよ。事故らないでくれよ」 「はい」広瀬は深くうなずいた。 タブレットもスマホも財布も広瀬がおいたままになっていた。我ながら身勝手ではあるが、そのことはよかった、と彼は思った。

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