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クルーズ船の会社を出て、広瀬は、高田に連絡をした。高田は忙しそうだった。広瀬の話を一通り聞いた。「ドタキャンしていたことがわかっただけか」と言われた。 「はい。連絡先の携帯番号に電話してみます」 「なにかわかったら連絡しろ」高田はせかせかと電話を切った。 広瀬は、電話をかけてみた。 何度かならしたが、相手はでなかった。留守電になったので、名前を名乗り、また電話する、と残した。 広瀬は、車の中でタブレットをあけた。今日データを入れた近藤の日記を見てみる。 出だしは自分の生い立ちだった。長々と書いてある。事件とは関係なさそうだ。広瀬は最初からじっくり読むのをやめた。 テキストを分析するアプリを立ち上げる。キーワードを抽出し、文書間の関連性を高い順から整理するのだ。それとともに、他のデータとも結び付けてくれる。 点でしかない捜査情報が、線や面で結ばれるのだ。研究所のサブシステムの担当者の自慢のアプリだ。使い方の説明されるときに、『広瀬くんの頭を手伝うんだよ。関連していることがわかれば、その意味や背景を広瀬くんが考えることができる。関連しているかどうか人間が整理していると、それだけで、時間もかかるし疲れちゃうからね。骨の折れる仕事は機械がするんだよ』と言われたのだ。 画面がキーワードを視覚的に円や線で結びわかりやすく表示していくのを広瀬は眺めた。言葉の地図みたいだ、と思う。線には色がついている。関連度別に違う太さの線が交差し、きれいだ。 タブレットが自動で動くのを眺めていたら、携帯電話が鳴った。先ほどかけた電話番号が表示されていた。 広瀬はすぐに電話に出た。 「お電話いただいたみたいなので」と若い男の声がした。不安そうな声だ。「なんですか?」 広瀬は、クルーズ船の予約の話を伝えた。「ご存知でしょうか?」 「はい。それは僕が予約しました」 広瀬は会社名を告げた。「こちらにお勤めなんでしょうか?」 「違います。頼まれたんです」 「頼まれた?」 「はい」若い男の声は小さい。 「もし、よろしければ直接お話できませんか?ご都合のいい場所に行きます。お時間はとらせません」 「でも」と男はためらっている。 「ご迷惑にはならないようにします」広瀬は食い下がった。この若い男は何かの手がかりになるかもしれないのだ。それにこうして電話を折り返ししてくるということは、この男も何かを話したいし、知りたいに決まっている。 「いいですけど」と男は答えた。そして時間と場所を広瀬に告げた。「休み時間15分しかとれないんで、その時間内でお願いします」 広瀬は同意した。 指定の場所は、思っていたよりも遠く、車を飛ばす必要があった。広瀬はタブレットの示す結果を見ることなく、車をスタートさせた。 若い男は、荷物の配送センターで働いていた。作業服を着て帽子をかぶっている。広瀬より背が低く、ずんぐりして、おどおどしていた。 広瀬は丁重に時間をとってくれた礼をいった。 「頼まれたということですが、どなたにですか?」 「知りません」 「知らない?」 「はい」男はごそごそと尻のポケットからスマホを取り出す。そして画面をみせた。「これ、個人同士でいろんな頼みごとするサイトなんです。匿名で登録できて」 見ると、明るい水色を基調にしたサイトだ。ちょっとしたお手伝いをして助け合いましょう、と書いてある。 「たまにいいアルバイトがあるんで、登録してて」と男は言った。「そしたら、僕に連絡がはいって」画面を見せる。船を予約してほしいというものだ。お礼に2万円と書いてある。 「船の予約するだけ?」 「ええ。変わった依頼だったんですけど、それだけで、こんなにお金もらえるっていうから」 「報酬は?」 「もらいました。前払いで」 予約をするのに電話番号が必要とは思わなかったのだ。だから依頼主からは聞いていなかった。船の会社から連絡先を聞かれ、とっさに自分のを伝えたのだという。 「こんな簡単なことでお金もらえるならいいかなと思って。でも、この船の会社から当日留守電入ってて、どうしてこられないのかって。誰も乗らないのになんで予約したんだろうって、ますます不思議で。なんだろうってずっと思ってたんです。今日、刑事さんから電話がかかってきて。僕、なんか悪いことしたことになるんですか?」 「いえ」と広瀬は否定した。「でも、また、ご連絡するかもしれません。今日はありがとうございました」 「あの、何の事件なんですか?」 「今のところ、特に事件ではないです」と広瀬は嘘を答えた。 広瀬は車に戻った。今の話をタブレットに入力しようとして画面を立ち上げた。タブレットは先ほどの作業を終えていた。近藤の日記の分析と広瀬のもともともっていた情報との連携。 広瀬はその結果をたどった。そして、途中でスクロールさせる手をとめた。 今まで考えもしなかったことが出てきていた。もっと前に気づいてもよかったことだ。 近藤が盗み出し組織に手渡した機密情報は、広瀬には理解できない化学系のなにかだった。高分子の有機化合物の処理技術についてだった。高度な処理らしく、機密にする必要がある情報のようだ。 そして、クルーズ船を予約し実際には来なかった技術書の出版社の本のタイトルや目次内容も、いくつも関連のあるものとして出てくる。英語の本もある。近藤の所属していた会社の技術系の社員が書いている本もある。 広瀬は高田に電話をかけた。だが、電話は通じなかった。忙しいのだろう。とりあえず、留守電に簡単に先ほどの若い男の話と自分が気づいたことを残した。 技術書の会社は、近藤が盗んだ情報の重要性を判断できたのではないだろうか。東城たち福岡チームが追っている組織がいるとして、その情報を買う企業がいるはずだ。だが、このような高度な情報は、専門家でなければ重要性は判断できないだろう。値段もつけられないはずだ。とすると、技術書の会社が、近藤の盗んだ情報の評価をしていた可能性はある。あるいは、技術書の会社が、近藤に指示を出していたのかもしれない。 これはあくまでも推測だが、技術書の会社が、今回の機密漏えい事件と何らかのかかわりがあったといえるかもしれない。 技術書の会社に行き、確かめてみようか、と思う。だが、真正面から行っても、もし関係があるならば、知らぬ存ぜぬを決め込まれることは想像にかたくない。 どうしようか、と広瀬は考えた。どんな手がかりがあれば、近藤の機密情報と技術書の会社の関係を証明できるのだろう。組織と技術書の会社の関係を証明できればよいのだが。例えば、技術書の会社の幹部が組織の人間と会っている現場をおさえられればいいのだが、そんなわかりやすいことはおこらないだろう。 もう一つの手がかりは絵だ。近藤の残した名刺情報にあったオールシステム社と技術書の会社にあった同じ絵。あれは、何を意味しているのだろうか。そもそも、オールシステム社は今回の機密情報の漏洩や殺人事件にどんな役割があるのだろう。 そんなことを考えていると、電話がかかってきた。個人のスマホへだった。こんな日中に誰だろう。時間に関わらず、だいたいがめったに電話など鳴らないスマホだ。不思議に思ってでた。 「広瀬くん?」女性の声だった。すぐにわかった。佳代ちゃんだ。 広瀬はさらにびっくりした。 広瀬がだまっているせいだろう、佳代ちゃんはもう一度「広瀬くんですか?」と聞いてくる。 「はい」と広瀬は答えた。 「よかった。違う人にかけちゃったのかと思ったわ」相変わらず明るい声だ。 そもそも佳代ちゃんが自分の番号を知っていることからして不思議なのだが、広瀬はその点は聞かないことにした。 「あのね、この前広瀬くんが気にしてた青キヨラのことでわかったことがあったから、電話したの」と佳代ちゃんは言う。 広瀬はスマホを握り返した。 佳代ちゃんは話を続けた。「ファンクラブに入っている知り合いを探していたんだけどなかなかいなくて、そうしたらファンとは真逆の人が見つかったのよ。本人は普通のサラリーマンなんだけど、絵がすごく好きで、美大で勉強して、博士号もとってる人。絵を描っていうよりも、鑑賞したり評論したりが専門らしいの。その人は、青キヨラのこと詳しいらしいからって知りあいに紹介してもらって会ったのよ」 佳代ちゃんは今日の昼にそのサラリーマンに会ったらしい。 「その人がね、青キヨラは、作られた売れっ子作家だって言ってるの。青キヨラが、海外のオークションで高値がついたから、国内でもニュースになって人気がでたっていうのは知ってるでしょ。ところが、その人はそのオークション自体が作られたものだって言うの」 そのサラリーマンの解説によるとこうだ。海外のオークションに最初から仕込みをしておき、入札者を複数いれておき、値段をつりあげるのだ。価値のない絵を価値があるようにみせかけるのだ。出品者ももちろんグルだ。そうやって、二束三文の絵が高額な芸術作品になるのだ。 「その人に言わせると、青キヨラの絵は、現代美術の中で評価すべき点は全然ないらしいの。だから、一流の画廊や学者、美術館は相手にしていないらしいわ。でも、値段だけは高値になってるらしいの」 佳代ちゃんは、そのサラリーマンが解説してくれた専門用語をいくつか並べる。どのように絵画の価値を見るのかということを簡単に説明してくれたらしい。佳代ちゃん自身もそのことはよくわからないことも多いけど、とにかく話すわね、と言っていた。 広瀬は、首をかしげた。 「価値のないものを高額で取引して何の得が?」 「だって、広瀬くん。お金払う理由になるじゃない。何か金銭のやりとりをしたいとして、それが正規の取引じゃないとしたら、お金のやり取りをする仕組みを作らないといけないわ。青キヨラの絵は、そのための、通貨みたいなものなのかも。これはそのサラリーマンの人が言ってたんだけど、絵はマネーロンダリングに利用されることが多いのよ」と佳代ちゃんは言った。「でも、そのサラリーマンの言うことがどこまで本当かはわからないわ。単に青キヨラが売れっ子だからやっかんでるのかもしれない。東城さんのお友達の枝川さんなら、サラリーマンの言っていた絵の評価が正しいかどうかわかるかもしれないわね」と続けた。 広瀬は礼を言った。佳代ちゃんは、今度またご飯たべましょうね、と言って電話を切った。 広瀬は、もう一度、青キヨラの事務所を訪れることにした。技術書の会社とオールシステム社のところにあった絵を扱った画商のことを聞くために。それに、佳代ちゃんの話が本当なら、青キヨラ自身、全く何も知らないはずはないだろう。真偽を確かめたかった。

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