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「こんなタイミングで来るとは、ついてないな。あんたも、俺たちも」と社長は言う。ブラブラと初老の男の顔の近くで刃物をもてあそんでいる。
青キヨラは血の気のない顔で腕組みをして立っていた。
広瀬は、3人の動きを見ていた。少しでも不審なことをすると、初老の男を刺すといわれている。既に刺しているのだ。簡単にやるだろう。病院に連れて行くことや今なら大事にいたっていないのだから、重い罪にもならないと真っ当に説得しようとしたが、鼻で笑われた。
事情を聞いたり、この初老の男について聞いても回答は得られなかった。
「では、行こうか」と社長は言った。「あんたには手伝ってもらう」
「手伝う?」
「このおっさんを運ぶんだ」
青キヨラのナイフが握りなおされる。
この二人は、これからどうするつもりなのだろうか。どこにこの男を運ぶつもりなのだ。さっぱりわからなかったが、広瀬は、とりあえず二人に従うことにした。少なくとも、この怪我をした男と離れてしまったら、男の身の安全が確実に脅かされるだろう。ここで隙を見て逃げることもできるが、それは当面はしないことにした。
社長と二人がかりで初老の男を運び、建物の脇にある小さな駐車場の車に乗せた。
青キヨラはナイフを手に持ち、後ろからついてきた。
男は怪我をしていて歩けない上に、太り気味だったので、運ぶのはかなり困難だった。
車は社長が運転している。広瀬は後部座席に青キヨラと初老の男とともに乗るよう命じられた。初老の男は出血と痛みとでかなり弱っているようだ。息のぜいぜいいう音が不安をかきたてる。
青キヨラのナイフはずっと男にむいていた。彼は無言のままだ。黒く表情のない恐ろしい目だった。広瀬が、今までの人生で何度か見たことがある、正気でない人間の顔だ。
通過していく道路の標識や街並みから、車は都内を抜けて神奈川県に入っていったことがわかった。
どこに行くのだろうか。検討がつかなかった。
ふと、一階の異変を知ったらすぐに高田に連絡をすべきだったのだと今頃になって思いついた。あの時は、そんなことは思いもしなかった。自分はふっとそういうことを忘れてしまい、行動してしまう。注意されていたので最近は気をつけていたのだが、後悔しても遅い。こんなはめになるなんて、最悪だ、と広瀬は思った。
車が着いた先は、運河沿いの工業地帯の中にある小さな埠頭だった。あちこちで工場の明かりが点滅し、煙突から煙があがっているところもある。人けは全くない。
社長は車を停め広瀬に降りるよう言った。指示されて再び男を運ぶ。運んだ先は、小さな船だった。
広瀬は、その船を埠頭を見て、やっと理解した。近藤を運河に沈めたのは、この社長と青キヨラなのだろう。理由はわからないが、船に彼を乗せ、運河の流れの遅いところで沈めて殺害したのだ。
社長が先に船に乗り込み、準備をしている。慣れた手際だった。彼の船なのだろうか。広瀬は船に詳しくないのではっきりとはわからないが、観光用の船ではなく、テレビや雑誌などで見る漁船のようだった。船の横に船名が書いてあるのだろうが、暗くてみることはできない。
船には人が数人入ればいっぱいになるくらいの小さい船室がついている。男をそこにのせ、広瀬も入らされた。社長は船室を見回り、汚れた細いロープを持ってくると広瀬の手を後ろで縛った。
そして、初老の男と広瀬だけを残し、船室の明かりを消し、ドアを閉めた。鍵が外からかけられた。
しばらくして、船がでる音がした。ぐらっと動く。移動を始めたのだ。外は真っ暗で船室の窓からは何も見えない。
今何時だろう、と広瀬は思った。かなり時間がたっている。夜明けまで後何時間だろうか。
高田は連絡をしない自分にあきれているだろう。探してくれているだろうか。今日は、あのUSBメモリーの件でほぼ全員かりだされていると言っていた。探すにしても、人手はないだろう。それに、そもそも、かなり忙しいのだ。自分がいないことを思い出さないかもしれない。
自力でなんとかしなければならない、と思った。この男を助け、逃げるなり闘うなりしないと。
広瀬は、初老の男に近づいた。
「大丈夫ですか?」と聞いた。まあ、大丈夫なわけはないのだが。
男が首を横に振るのが気配でわかる。
「あなたは何者で、なぜ、こんなことに?」
ぜいぜいと息がした。話す気はあるようだ。「私は、村井といいます」声が絞り出された。
「画商をしています」
広瀬は村井をうながした。「青キヨラの絵を扱っていたのですか?」
村井はうなずいた。
「オールシステム社に絵を売ったのはあなたですか?」
村井は首を横に振った。技術書の会社を告げてみるがそれにも首を横に振る。
「依頼された絵を顧客に売っただけです」と村井は言った。「それだけなのに」
「顧客というのは、誰ですか?」
村井は答えなかった。この期に及んでまだ隠すのだろうか。この画商は、佳代ちゃんが言っていたマネーロンダリングに関係しているのだろうか。
「あなたの顧客は、青キヨラの絵をマネーロンダリングに利用しているのですか?」と単刀直入に聞いてみた。
「警察がそれを?」と村井は言った。
広瀬はうなずいた。「自分はそれを捜査しているんです」嘘をついた。「我々はこの件をかなり把握しています。オークションで、価値のない絵に高額な価格がつけられることがあるというのは本当ですか?あなたはそのオークションのことを知っていますか?」
村井は、ためらっていた。だが、彼はかすかにうなずいた。
「こんなことになるなんて」と村井はつぶやいた。「彼らが、こんなことをするなんて。今までうまくいっていたのに」
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