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海から引き上げられ、助けられた後、広瀬は、甲板に座り込んだ。息をせわしなくつき、咳き込んだ。「大丈夫か?」と大声で聞かれるので、それにはうなずいて答えた。
大柄な人物が走って近づいてきた。広瀬の前で腰をかがめた。大きな毛布のようなタオルのようなもので、頭から身体にかけて包み込まれた。広瀬は目をあげた。
影になって顔ははっきりと見えなかったが、すぐに、君塚だということはわかった。
君塚は無言で両手を伸ばし、広瀬の身体に触れた。ひざ下と背に手をまわされ、広瀬の身体は君塚に抱き上げられた。両腕で持ち上げられ、歩き出される。
君塚は何も言わなかった。
広瀬は声を絞り出した「君塚、自分で歩ける。大丈夫だから」と告げた。
その声は聞こえたのだろう。「知ってます」と君塚は答えた。
怒っているような、独り言のような声だった。そして、広瀬の言葉とは逆にさらに彼を強く抱きしめてきた。
広瀬を抱き上げた君塚の足取りはしっかりしていて、力強い腕は穏やかに広瀬を運んでいた。
ただ、彼の心臓が早鐘を打っているのを広瀬は感じた。
君塚は、広瀬を抱いたままあわただしく動く人の中、移動した。そして、船が埠頭につくまでじっとしていた。その間君塚は何も言わず、鼓動だけが雄弁に彼の気持ちを広瀬に伝え続けていた。
埠頭につくと、君塚は再び彼を抱き上げ、船から降りた。待機している救急車に連れて行き、救急隊員に預けた。そして、そのままきびすを返すと、船に戻っていった。
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