56 / 71

56

枝川のアトリエは、ゆるい坂道を上り下りするうちにたどりついた。人家も少ない丘の上だ。 東城は慣れた様子で建物の近くに適当に車をとめ、ドアを軽くノックしただけで、勝手に中に入っていった。 アトリエは木造で大きな窓はあるがエアコンもない古い家だ。 CGアーティストというわりには、大きなディスプレイのPC以外に、絵の具や粘土、何に使うかわからない板や針金などがあちこちにおかれている。部屋の奥には四角い大きな箱型が置いてある。横には彩色されたフィギュアやボタン、メダルがいくつか並んでいた。後できいたら、家庭用の3Dプリンターだということだった。 枝川は、都内にも小さいアパートを借りているらしいのだが、作品を作っているときにはほぼこのアトリエで寝泊りしてしまうということだった。 アトリエには枝川だけでなく、エージェントの女性の詩島がいた。 枝川は広瀬たちがやってきたことを喜んでいた。 自己紹介した佳代ちゃんに、今度絵をかかせてくださいと早速頼んでいた。佳代ちゃんは面白そうですね、といいながら、笑顔でやんわりと断っていた。 枝川は今、お客さんのために大きな作品を作っているということだった。何かのショーで使う動く作品らしい。成功したら次の仕事にもつながるから、かなり注力しているということだった。機密保持契約を結んでいるのでそれ以上は話せないと彼は言っていた。 締め切り間際で忙しいらしいのだが、今日は広瀬たちが来るので仕事は休みにしたのだ。 東城は、ぶらぶらとアトリエ内を歩き回り、縁側にある椅子を並べている。半分自分の家のような感じだ。中学からの友人だというから、本当に気安い関係なのだろう。 宮田も佳代ちゃんもアトリエにおいてあるものが珍しく、見て回っていた。 枝川は、広瀬に、以前お願いしたように彼の映像や写真をとってもいいか?と聞いてきた。そして、アトリエの一角に黒いシンプルなスタンドチェアを用意し、ライトの中広瀬を座らせた。 枝川に撮影されるのは、不思議な感じだった。彼は、数台のビデオカメラを用意し、広瀬の周囲において、彼を撮影していった。頭上にもカメラを設置しているのには驚いた。広瀬が、上をむくと、ビデオカメラのレンズと目があった。 枝川は、「じっとしていなくてもいいですよ」と言った。「15分くらい、適当にしておいてください」 そうは言ってもこうカメラに見られている中で何をどうしたらいいかわからず、広瀬は座りなおす程度しか動かず、静かに座っていた。 向こうの方で詩島が東城たちにお茶を出しながら、青キヨラのことを質問しているのが聞こえた。彼が逮捕されたことは、彼が有名画家だったためニュースで大きく報道されており、既に事件の概要は誰でもが知るところだった。 「枝川にもインタビューの依頼が何件か来たんです」と詩島は言った。「3人展をやっていたから、先生の人となりとか作品について話してほしいって。でも答えるのがいいかどうかわからなかったから、結局全部お断りしたんです。作品の紹介の取材だったらよかったんですけど」と詩島は言った。 詩島も枝川も青キヨラのことはまだ先生と呼んでいた。 「青キヨラの絵の価値は作られたモノだって話になってますけど、実際にはどうなんですか?」と佳代ちゃんが、カメラやライトを調整している枝川に質問している。 枝川は、困ったようなとまどった表情だ。 「オークションの話が本当なら、そのオークションでついた価格は確かに作為的だったんじゃないでしょうか」と彼は言った。「それ以外の取引は、その取引時点の価値だったと思います」 「絵の価値なんてわからないってことですか?」そう言って佳代ちゃんは知り合いになった美術好きが言っていた青キヨラの絵についての評価を述べた。「作品を売っている枝川さんからすると、こういう評価ってどうなんですか?」 「いろんな価値観がありますからね」と枝川はあたりさわりのないことを言う。 「作品の値段って、確かに運とかそれ以外の部分って大きいと思います」と詩島が横から口をだした。「青キヨラ先生は、雰囲気もよかったし、顔もよかったから人気がでて、その分お仕事頼む人も多いし、絵も価値がついたんです。でも、雰囲気とかそういうものは、演出の一つで、それも含めて、作品ということもあるでしょう」と彼女は言った。 佳代ちゃんはうなずいて静かに聞いている。 「僕の作っている作品も、先生の作品も、こういってはなんですけど、100年後には残ってなんかいません。全部、消えて行ってしまうんです。死後100年以上残るアーティストなんて、ほとんどいません。作品は作られたらすぐに人目にださないと、永遠に誰も知るところなく、消えていくことになるんです。どんなに一生懸命作っても、時間をかけてつくっても。そう思うと、自分の作品を誰かに見てもらいたいとか、売っていきたいとか、そのためなら、多少のルール違反してもいいんじゃないかと思う気持ちは、正直わからないでもないですよ」と枝川は穏やかに言った。 「先生は、悪いことに巻き込まれちゃったんです。仕事に手を抜いたりすることは全然ない人だったから。どの作品も凝って時間と手間がかかっているものばかりです。自分の作品に打ち込んでいたから、誘惑に勝てなくなったし、その後、作品作れなくなるのが怖くなったんだと思います」と詩島は言った。「先生がしたことは怖いことだしもちろん犯罪で、悪いことですから、あんまりこんなこと言ってはいけないんでしょうけど」

ともだちにシェアしよう!