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生まれも育ちも 1
朝、広瀬は目を覚ました。まぶたが腫れて重い。目の奥がじりじり痛む。夕べひどく泣いたせいだ。いや、泣かされたというのが正確だ。東城にしがみついて、泣きじゃくり彼をなじり続けていた。
頭も痛いような気がする。起き上がってみたが、誰もいない。東城は仕事だ。彼が外出する気配さえも気づかないくらい熟睡していた。
広瀬は今日は休みだ。誰もいないので、裸で寝室を出て広いリビングを横切り、冷蔵庫を開けてみる。夕べも開けてみているのでわかってはいたが、そこに入っているのは、ビールの6缶パックと水程度だ。
バカみたいに大きな冷蔵庫が、本当に役立たずになっている。
元はといえば、何か入っていたら自分が食べているので冷蔵庫を責めてもしょうがないのだが。こころなしか最近おなかがすいていることが多いような気もしてくる。
冷蔵庫の水だけを飲んで広瀬は服を着、外に出た。
どこかで朝ごはんを食べて、自分のアパートに戻ろう。だけど、戻ってもすることはない。
大井戸署に行って仕事をしようか。やることはいっぱいあるのだし。
でも、こういかにも泣き腫らしましたという目では職場にはいきにくい。それというのも全部東城が悪いのだ。
夕べ、久しぶりに東城と寝た。
ついこの前、運河に落ちた後、広瀬が倒れたのを東城がひどく気にして、元気になって体重が戻るまではセックスはしませんと神妙な声で宣言したから、しばらくしていなかったのだ。
自分の体重なんて食べる量に応じていつも大きく増減するのだから気にしなくていいのに、バカみたいだと内心思っていた。
それでも時々東城の家を訪れていたのは、セックスしないのなら行かないというのは即物的すぎと思ったからだ。いや、即物的でも一向に構わない。本音は、セックスなしでも彼と過ごすのが楽しいというところにある。
そんなこんなで、夕べは本当に久しぶりだったのだ。そうは言っても普段は二人の夜の時間があえばほぼするという頻度で多いといえば多い。
だから、ベッドのシーツに広瀬と横たわってから、東城も冗談めかして「久しぶり。あくまで当社比だけど」と機嫌よく言っていた。
そして、薄暗がりの寝室で、東城が広瀬にキスをし、そっと指を身体にたどらせたまでは普通だった。
いや、二人とも少しドキドキして、これからの行為をいつもより楽しもうとしていた。
彼が広瀬の足を手に取り、甲に唇を落としたのだ。それさえも、いつもの仕草のはずだった。
全く当たり前のキスのはずだったのだ。だが、ビクッと足が引き、身体がこわばった。足に触れた唇の感触が、勢田を思い出させたのだ。
東城は、すぐにそのことに気づいたのだろう。足をゆっくりとベッドに戻すと、大きな身体で覆いかぶさってきた。
「勢田のこと、」と東城は広瀬の左耳に口をつけて、低い穏やかな声で言った。「考えるなよ」
広瀬はかぶりをふった。「考えてなんかいません」と否定してみせた。
それは嘘だ。でも、わざと考えようとしているのではないのだ。足をひっこめようとしたのは反射的なものなのだからどうしようもできない。
「俺といるときは、俺のことだけ考えて」と彼は言った。
それができれば。勢田のことは広瀬には怖れ以外なにもなかった。
勢田の前で、無力に座っていた自分と、彼に支配されそうな記憶が、今でも時々波のように広瀬に襲い掛かってくる。思い出したくもない。
「だから、誰のことも考えてません」と広瀬は再度否定し強がってみせた。
「ほんとうに?」
広瀬は横をむき無視した。確認されるなんて心外だという風情をわざとあらわして見せた。
その様子に何を納得したのか「ふうん」と東城はつぶやいた。
しばらく、彼の手が広瀬の固い頬をなでていた。そして、ふと、優しい声を出した。「これからしばらく、声をだしたり、動いちゃだめだ」ゲームのルールのようなことを言ってくるのもよくあることだから警戒しなかった。まぶたに手のひらをあて、閉じさせられた。「目もとじて。いいっていうまであけるなよ」とも言われた。
広瀬はそのまま目をあけなかった。
そこからが始まりだった。
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