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生まれも育ちも 6
そうこうするうちにバタンという音大きながした。ドタドタと重い足音とともに、東城がダイニングに走りこんでくる。
「おかえりなさい」と美音子が笑顔で言って立ち上がる。
東城は、息切れしていた。走ってきたのだろう。「美音子さん、今日は何ですか?」とやっと言った。
彼は広瀬と美音子を見比べる。そして、広瀬の座る椅子の後ろに立った。背もたれに右手をかける。広瀬を気遣うように。
「ちょっと急な用事があって。お母さんが来られなかったので私が来たの」
「鍵は、どうやって?」
「石田さんに借りました」
「石田さんに?」と東城は聞き返す。
「石田さん?」広瀬は東城を見上げ、聞く。
東城は、広瀬に言う。「えっと。石田さんのことは、後で説明する。美音子さん、ここにくるなら、俺に先に言ってくれれば、石田さんから鍵を借りなくても、時間をあわせたのに」
「でも、電話しても返事もしないし、会いたいっていっても忙しいばっかりだってお母さんが」
「それは、先週の話で、その後は」そう言いかけて東城は反論をやめた。広瀬の視線が言い返すなと伝えているのを読み取ったのだろう。
「それで、用事ってなんですか?」
「その前に、うがいしてらっしゃい。手も洗って」
東城は、思わずクッと笑い出した広瀬の髪をかるくかきまぜると、洗面所へ走っていった。
美音子の用事は、真面目なもので、親戚の叔父が亡くなったことに伴う遺産の話だった。遺言状に東城の名前がでていたため、弁護士と税理士から確認の書類がきているのだ、という。東城は美音子の差し出した書類を数回読むと、奥の部屋からペンと印鑑をもってきた。サインと押印を複数枚の紙にしていく。この手のことに慣れている風情だった。
用件が済むと、美音子は東城に夕飯を食べようといった。そして、東城にタクシーを呼ばせ、2人を予約した店に案内した。
店は、一見店舗かどうかもわからない黒いどっしりとした門構えだった。そして、美音子が店に入ろうとすると、店のものが出迎えにきた。
「林田先生、お久しぶりです」
美音子が医師だということを知っているのだろう。
廊下を通り奥の部屋に案内してくれた。
食事をしながら、美音子はおしゃべりをしている。東城も広瀬に気を使いながらもいろいろ話していた。やっぱり、と広瀬は思った。話好きの一家なのだ。とめどなく会話が続いていく。
無口な広瀬は気を使わなくて良く楽で、食べることに専念できる。和食をベースにした料理は量が少ないのが残念だったが、味は抜群だった。
食事の途中で、東城は仕事の電話がかかってきて席をはずした。
美音子は広瀬にそっと自分の名刺を差し出した。「これは私のプライベートな連絡先です。何か問題があったときには、ここに連絡して欲しいんです。とても無理なお願いをしているとは思うんですけど」
問題って何を想定しているんだろう、広瀬にはわからなかった。
黙って名刺を見ていると美音子が話を続けた。
「弘一郎さん、なにかあるとすぐに母に連絡してしまうんです。母は弘一郎さんのことになると大騒ぎするの。前には頭と腕を怪我して、血だらけで母の診療所にきて、母はそれだけでもうパニックで。しかも、弘一郎さんたらその後検査にもこなくて。だから、ちゃんと治ったのかどうかもわからないからきちんと検査に来なさいって母が連絡したら、忙しいからもういいっていうのよ」
「はあ」と一応あいづちをうってみせた。それは、困った弟さんですねともいいにくい。
「それに、ちょっと前、母から私に急に電話があって、何かと思ったら、弘一郎さんが、その、怪我した女性の写真を母に送ってきたっていうんです。あの、このこと、ご存知じゃなかったら、ごめんなさい」美音子はここまで言ってまずいことを言ったのではないかと思ったようだ、少し言葉を切る。
あやめが怪我をしたときのことだろう。広瀬はうなずいた。「知ってます」
「そうですか。そう。母は本当にびっくりしたらしくて、私に、様子を見てきて欲しいって頼んできたんです。弘一郎さんが、広瀬さんとお付き合いしているって聞いてはいたんですけど、送ってきたのが、どうみても女性の写真で、それも、背中にひどい怪我の写真でしたから、どうなっているのか、って。弘一郎さんに聞いてもちゃんと説明もしないらしいし。いつもそうなんです。何かあると母に頼って連絡してくるのに、母の質問にはきちんと答えないんです」
確かに、あの時の電話で東城は説明はしていなかった。
「母も弘一郎さんに直接言えばいいんですけど、いつも私に言ってくるんです。しかも突然でしょう。私も困ってしまって。だから、何かあって弘一郎さんが母のところに連絡したら、私にも知らせて欲しいんです」
「あの、それは難しいか、と」と広瀬は答える。東城が母親に連絡しはじめたら、自分も美音子に連絡するなんてありえない図だ。
美音子はうなずいた。「もちろんご無理は承知です。できるときでいいです」と言う。そしていい募ってくる。「そうだわ。できれば、広瀬さんの連絡先を教えてくださらないかしら。そうすれば私から広瀬さんにご連絡して、お話し聞くこともできるでしょう。今日みたいにお食事してもいいですし。ね」
そう迫られて連絡先を聞かれるといわないでいるのは難しかった。広瀬は、美音子に自分の携帯番号を教え、彼女の名刺をポケットにしまった。
そんな会話をしているうちに、東城が戻ってきた。
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