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16.禁欲しましょう

魔塔主の執務室に午前の魔法鍛錬の報告をしにきたレイヴンは、 魔法使いたちの魔法習得率など、 書面を見ながらスラスラと伝えていく。 「……以上です。この後は研究室へ籠もる予定でしたよね?」 「あぁ。そうだな。魔法薬の改良だ。効き目の向上のための配分を考えねぇとな」 テオドールはその魔法薬が滋養強壮目的なのは言わずに、治療薬の改良とだけ、 レイヴンに伝えてあった。 報告を終えたレイヴンは、そうだ、と思い出したかのように話を切り出す。 「あの、師匠。俺もその…ここ最近、良くなかったなと思いまして。まずは、正しい距離感で接したいと思います」 「……はぁ?お前、突然何言ってんだ?」 大真面目な顔をして、訳の分からないことを言い始めた弟子を見て、 さすがのテオドールも意図を掴みきれずに、 訝しげな表情を浮かべる。 「師匠との距離が近すぎたと言いますか。俺がきちんとお断りできなかったので、 師匠のお手を煩わせていたなと思いまして。ですので、師匠。禁欲しましょう」 「……何だそりゃあ?この俺が、か?」 「はい。いきなり全部禁じてしまうと大変だと思うので。まずは性欲から。 師匠ならば、コントロールできるはずです。俺も迂闊な行動は取らないように心がけます。 それと、外で発散するのも禁止ですよ? 書物によれば、別のことに置き換えることも有効だそうなので。 身体に悪そうなものと、ギャンブル以外で置き換えてください。 例えば…研究や、魔法の鍛錬などで」 捲し立てるような言い分についていけないテオドールだったが、意地悪げに笑みを浮かべ、 耐えられるもんかねぇ?とレイヴンを舐めるように見回す。 レイヴンは視線の動きを追うように自分の身体へと視線を落とすが、 コレか?と1人で納得すると、 背筋を正してしっかりとテオドールを見据える。 「……そんなに見られても、何も出ませんよ?顔、隠しましょうか?目に毒だったら」 「自分で言うな、自分で。何がしたいか良く分かんねぇが、 お前、何だか悩んでたみたいだし、 仕方ねぇから少しはお前のやりたいことに付き合ってやるよ」 「俺は師匠が構ってこなければ問題ありません。なので、物理的にも離れておきますから。 安心してください」 「何でもいいけどよ。まぁやってみな」 テオドールは特に意義も申し立てる訳でもなく、ヒラと手を振りレイブンを追い出して、 自分も研究室へと向かう準備を始めた。 +++ 禁欲宣言から数日後の夜。レイヴンは本当に何をするにも1歩離れたところから、 節度を守った距離感を、と何度も言って、ちょっとしたスキンシップすら禁止してきた。 テオドールが癖で頭を撫でようと手を伸ばすと、スカっと空振りするので、 その度に舌打ちする羽目になり、 耐えてくださいね、レイヴンが笑顔で注意するというパターンの繰り返しだった。 自分のことが嫌いになったという訳ではないだろうが、 いつも自然とレイヴンに触れていたせいか、 少し物足りなさも感じる。 「アイツなりに何か考えてんだろうが、俺を避けて解決するモンか? まぁ…ガキのやる事くらい多めに見てやらねぇとな」 独り言ち、器具を机へと置くと腕をぐるりと回して首を傾けボキボキと音を鳴らす。 薬の改良もあれから何度か続けていたのだが、納得するまでの効果がなかなか表れず、 憂さ晴らしも兼ねて、街の裏街道にある地下カジノへと足を伸ばすことにして、 レイヴンにも外出することを告げに行く。 レイヴンは報告書を纏める作業をしているため、やりすぎないようにと釘だけを刺し、 テオドールを見送った。 +++ 「……チッ。ツーペア」 「こちらはフラッシュですね。テオドール様、 今日はもうおやめになられたほうが良いのでは?」 薄暗い室内でディーラーと向かい合いポーカーをしていたのだが、役が伸びない。 普段は勝ったり負けたりの繰り返しで、そこそこ楽しめるものなのだが。 無情にも今日の分のコインは全てなくなってしまった。 どうも、ツキに見放されている感じがする。別にいつも儲けている訳でもないのだが、面白くない。 「これ以上やると、煩いヤツがいるからな。引き上げるとするわ」 「またのお越しをお待ちしております」 早々と引き上げ、路上で煙草に火を付ける。煙草に関しても本当は止めてほしいがせめて、 自分の前では吸わないように、とレイヴンが何度も言うので、 仕方なく1人の時に吸っていた。 肺に染みる煙も、普段より苦い気がして、眉間に皺が寄る。 それでも普段通りに吸い終えると、吸い殻を路上へと落として足で踏みつけた。 「なーんか面白くねぇな。まぁいいや。飲みに行くか」 夜の外出などやることは決まっている。テオドールはいつもの酒場へと向かい、 カウンターへと腰掛けると、ビールを注文した。 「今日はいつも以上に湿気たツラしてんじゃないか。何だ、あの子と喧嘩でもしたのかい?」 「馬鹿言え。そんな幼稚なことするかよ。ただ、妙なこと言い出したから付き合ってやってるだけだ。 …っと、新人の子、雇ったんじゃねぇか。いいケツしてんな」 「きゃぁっ!?」 テオドールは女将と喋りながら、ビールを運んできた女性のお尻をひと撫でする。 飛び上がってテオドールから距離を取る女の子に、ニヤと笑いかけたところで、 何してんだい!と女将の鉄拳制裁ならぬ、トレーの制裁が飛んで来て、 テオドールの頭を直撃する。 縦に振り下ろされたトレーは、ゴンっと鈍い音を響かせた。 「いってぇ!俺が防御魔法を展開する前に殴るんじゃねぇよ!」 「アホなことに魔法を使うんじゃないよ!全く…アンタのせいでやめたらどうするんだい!? ただでさえ、親父たちがジロジロ見回すから女の子は続かないってのに」 周りの親父数名がサッと女将たちから視線を逸して何も聞いていない風を装う。 テオドールはふてぶてしく鼻で笑い、距離を取っていた女性のお尻を追撃してタッチした。 慌てた女性は早足で女将の側まで逃げ込んでしまう。 「酒場にくる野郎なんざ、そんな目的しかねぇだろうが。ケツは撫でてナンボのもんだろ」 「どこのクソ親父の言い分だい!それ以上言ったら、本気で追い出すよ!」 女将の後ろに隠れる女性は、本当に新人だったらしく。 こういうやり取りに慣れていないようで、 受け流すことも、怒ることもできずにオロオロと事の成り行きを見守っている。 女将は女性を宥めながらも、トレーをスっと構え直す。 「分かったって!分かったからトレーを降ろせって!な?」 「ホント、どうしようもないねぇ!アンタ、あの子の尻も撫でてんじゃないだろうね? ホント不憫でならないよ。 魔塔主じゃなけりゃ、はっ倒してやるのにさ。もう、それ飲み終わったら今日は帰りな!」 「ったく、ケチくせぇな。別にこっから連れ出して、 一発ヤろうって言ってる訳じゃねぇのによ……」 テオドールの余計な一言に追撃のトレーの一撃が入り、ぶっ!とビールを吹き出す。 頭を擦りながら、そんなに怒るなよ……とテオドールは両肩を竦めるが、 シッシッとあしらわれてしまい、女の子も女将が引っ込めてしまった。 それでもふてぶてしく居座ったものの、 ビール3杯を開ける頃には店から締め出されてしまい、 仕方なく当てもなく街をふらつく。 煙草を咥えながらダラダラと歩いて時間を潰し、 夜も更けてケースの中の煙草が空になった頃に漸く魔塔へと帰ってきた。 自室に戻る前に執務室へと寄ってみると、室内はまだ明かりが灯っていた。 書類の束の中に埋もれるように、机に突っ伏したレイヴンが寝息を立てている。 「……寝落ちするまでやってたのか。ったく、仕事熱心なこって」 逡巡したが、今日のところはソファーに転がっていた肌掛けを背中にかけてやり、 静かに扉を閉める。 普段であればベッドまで運んでやるところだが、 禁止だと騒いでいたレイヴンの言葉を守ってやろうという、 テオドールなりの親心だ。 「もう少ししたらさすがに起きるだろ。明日は呼び出しくらってるはずだしな」 静かに扉を閉めると、テオドールは欠伸を噛み殺して階段を登っていく。 +++ テオドールが自室へと戻ってから数分後に、レイヴンも目を覚ます。 うっかり寝てしまったことに気付いて立ち上がろうとしたところで、 肩に掛けられていた肌掛けがパサリと床に落ちた。 「ん?もしかして……師匠、戻ってきたのか?」 肌掛けを拾い上げ、元あった場所へと畳んで置き、 書類を簡単に分類分けしてから執務室の明かりを落とすと、 レイヴンも階段を登って自室へと戻る。 時間が遅いだろうと思い、支度は朝にしようとそのままベッドへと転がりこんだ。 ふと、テラスの方を見れば。上階で薄っすらと白い煙が立ち昇るのが見える。 微かだが、あの位置で大抵煙草を吹かしているから間違いないだろう。 「夜明け前に戻ってくるなんて……本当に俺の言ってること守ってるんだな、あの人。 これで、いいんだよな。これで……」 その言葉の後は、規則正しい寝息だけで。室内には静寂が満ちていた。

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