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96.過去の記憶
レイヴンが目を開けると、心配そうに覗き込んでいる2人の顔が見えた。
先程までの頭の痛みは和らいだが、何となく自分にとって重要な何かがあるらしい、ということは分かる。しかも、記憶に関する何か、ということなのだろう。
「気がついたか?」
「あ……はい。ご迷惑を、おかけしました」
起き上がろうとするレイヴンをクレインより先にテオドールが手を差し伸べて補助をする。伸ばしかけた手はどうして良いものか分からず、クレインはそっとその手を握り込む。
レイヴンはベッドの上で何とか起き上がると、2人の顔を交互に見ながら戸惑った表情を見せた。
「……先程、俺にとっては知らない風景が頭の中を駆け巡ったんです。たぶん、今の俺が知らないだけで、本当は知っているのかも、しれませんが――」
「……それは――」
本人を目の前にして言いづらそうにクレインが顔を背ける。その様子にテオドールが舌打ちで返す。いくらテオドールが非常識な人間であるとしても、初対面の人間にここまで敵意を剥き出しにするのは珍しい。いつもどこかしら大人の余裕のようなものが見えるのに、今はそういうものがない。本気で腹を立てているようだ。
よくは分からないが、自分のことでテオドールが怒っているのだとしたら。
そう思うと不安と嬉しさと、よく分からないような感情がふと湧いてきて、レイヴンは無意識にテオドールの腕を掴んでいた。テオドールはレイヴンの手が触れると、表情を和らげてレイヴンの頭を撫でる。
「……テオ?」
「なぁ、アンタ。俺には言えて、コイツには言えないなんてこと、ねぇよな?」
「……」
「……何か、知っているのなら教えてください。俺、子どもの頃の記憶はあまりよく覚えていないんです。でも、さっき見えた風景の中には、何となく子どもの頃の自分の記憶なんだろうって、そういう風景もありました。薄暗くてぼんやりとしていたから、詳しくは分からなかったけど。里長さんと、何か関係があるのですか……?それに、テオ。テオは何か、聞いたんでしょう?」
レイヴンが恐る恐る言葉を紡ぎ、テオドールの腕を掴む力を強める。人前ではあまりテオドールの名前を呼ばないレイヴンが、何度もテオドールの名前を呼んでいるのは、側にいて欲しいということなのだろうと察し、テオドールも椅子に座り直して、共に話を聞こうという態度を見せる。
2人の様子を見たクレインは、深い絆を感じて意を決したのかレイヴンに向き直る。
「どこから話せばいいのか。まずは、レイヴン。これから話すことは決して許されることではないのだが、君にも知る権利があることだ。どうか、話を聞いて欲しい。その後で、君を縛り付けるものを解き放とうと思う。ここまで成長した君ならば、きっと大丈夫だろう」
「……分かりました。あの……俺を縛り付けるものとは?」
レイヴンが先に疑問を口にすると、テオドールが横から口を挟む。
「記憶封印 と鍵 だな。俺が外せたら良かったんだがなぁ?言語が難しいんだよ。それに見たことのない厳重な鍵 のせいで、下手に手出しするとレイヴン自体に危険が及ぶ代物だからな。解読が間に合わなかった。俺も未熟で、悪かったな」
「そう、ですか……テオでも難しいから、刺激しないように俺にも言わないでいたんですね。自分では自覚症状がなかったので、気づきませんでした」
「秘法の魔法の一種だ。無理もない」
クレインはテオドールとレイヴンを交互に見た後、自分も含めて落ち着くのを見計らい、重い口を開いてゆっくりと話し始めた。
+++
クレインがまだ経験も浅く血気盛んだった頃、里の排他的雰囲気と拘束にうんざりし、里を抜け出したことがあった。好奇心旺盛だった故だが、そこを魔物に襲われて重症を負ってしまった。
何とか魔物を倒して彷徨い歩き、力尽きて倒れていたところにたまたま通りがかって助けてくれたのが、後に妻となるカナリーだった。
「私とカナリーは種の違いを越えて、次第に愛し合うようになった。カナリーは辺境の村に住んでいたのだが、両親が早くに亡くなってしまい、1人で自給自足でひっそりと暮らしていたらしい。少し離れた森の中にあった家だったから、私がエルフだということも隠しながら暫くは幸せに暮らしていた。そうして、そのうちに……レイヴン、君が産まれたのだ」
「俺が……あなたと、その、母さんとの……子ども?それって、つまり……俺はエルフと人間の血を引いている、ということ、ですか?」
「あぁ。その通りだ」
「それじゃあ、あなたが……俺の……本当の、お父さん……」
レイヴンは言葉をそのまま受け止めて、ゆっくりとクレインを見上げる。言葉の意味を噛み砕く理性はあっても、ついていくことはできずに、ただ、クレインを見つめることしかできない。自然と手に力が入ってしまうと、テオドールがレイヴンの手に自分の手を重ねて握り込む。
「あ……」
「まだ肝心のところが聞けてねぇ。もうちょい、頑張れるか?レイ」
「……はい。大丈夫、です。この先が、きっと聞かなくてはいけないところだから」
レイヴンは自分を包む手の感覚に、テオドールの温かさを感じながら、小さく頷く。
この先を話そうとするクレインの表情は悲しみに満ちていた。たぶん、この人も辛いことで、自分が何故捨てられていたのか、というところに繋がるのだろう、と。レイヴンも覚悟を決めて、静かに話の続きを待つ。
「だが、幸せな日々は続かなかった。里からやってきた悪しき伝統に縛られたエルフの老人たちに、見つかってしまったのだ。私は何とか2人を連れて逃げ出したのだが、力が及ばず……見つかるのも時間の問題だった。レイヴンはエルフの身体的特徴が出ていなかったから、普通の人間として暮らすことさえできれば、カナリーと共に生きられると、そう思った」
「だから……記憶封印 と鍵 をかけたんですね?」
クレインは静かに頷いて、レイヴンを改めて見遣る。その視線は深い悲しみの中に慈愛も溢れる優しい視線だ。その表情を見ていると複雑な気持ちも少し落ち着いて、今だけは話に耳を傾けることができる。
「あぁ。昔、文献で見たことがあった魔法の一種だった。里に伝わる秘法とされてきたものだったから、私の記憶だけでも消してしまおうと。だが、どうやら小さい時の記憶全てを封印してしまったのだな……。この魔法をかけた後、老人たちはカナリーとレイヴンを始末して、私だけを無理矢理に里へと連れ戻そうとした。私は元々、前の里長の息子だったから、私だけは連れ戻す必要があった、ということだ。いっそ私ごと追放してくれたら……」
「……これだから、頭の固い連中がすることは。胸糞悪ぃんだよ」
レイヴンが分かっていた事とは言え、唇を噛みしめると、レイヴン以上に苛立つテオドールがそっぽを向いて毒づく。自分以上に感情を顕にしてくれるテオドールを見ていると、何とか冷静でいられる。ギュッとテオドールの手を握って温度を確かめるように、頼れる師匠の手を掴む。
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