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第40話

「なあ、胡蝶似のAV見つけたから、一緒に見ない?」 2限終わりにトイレに行くと、嫌な笑顔を浮かべた岩井がいた。 毎日ここで会っている気がして、げんなりする。 修学旅行から戻って、もうすぐ1週間経つ。 シトシトとやまない雨が続いていて、梅雨前にも関わらず湿度が高い。 そのお陰で猫っ毛の俺の髪は、風呂上がりのように湿っていた。 修学旅行のトイレで誘われてから、学校に戻っても毎日変わらずにそれが続いている。 いつになったら飽きてくれるのか、こんだけ断ってるのに諦めの悪い岩井に苛立っていた。 ―――ここで待ち合わせなんて、してないんすけど……? 「なんで俺がそれ見て抜けると思った?頭大丈夫?暑さでやられてんじゃね?」 「胡蝶以上にかわいいが最低条件、なんだろ?」 「だから、そろそろ諦めな?」 「男イけんだろ?」 「無理だって。」 「進藤と話してんの聞いた。」 「は?」 「セフレなの?」 「違うって。あいついつも女子引き連れてんじゃん。男に興味ねえよ。」 「今野もセフレ?」 「は?」 「いつも2人で帰って、そのまま今野の家に行くだろ?」 ―――なんでこいつがそのことを知ってんの? その理由がすぐに思いついてしまうから、気持ちが悪過ぎて吐きそうだった。 「キッショ!つけてたのかよ。」 「できてんの?」 「違う。勉強教えてるだけ。」 「なんの勉強?」 「親父かよ。普通に作文とか面接対策と授業の復習とか。あいつアホだから。」 「俺にも教えろよ。」 「無理。俺見て勃ってる奴と2人にはなれないっしょ?」 「普通に女が好きだったのに、お前見てるとすげえムラるんだよ。マジでどうにかして。」 「知らんし。」 「何回抜いてもお前見てるだけで……。」 「あー、聞きたくないー!マジで無理ー!!セクハラでーす!!」 「触らしてくんない?」 露骨に下半身に目をむけるから、思わず距離をとる。 「やだって。」 「金払う。」 「困ってねえよ。」 「ヤらせろは言わないから、手で触るだけ。イき顔が見たいんだって。他はなんもしないから。頼むよ。」 そう言いながら近寄ってくるから、思わず奥の壁まで逃げてしまった。 ひんやりとした感触が背中に当たり、これ以上逃げ場所がないと悟ると妙に焦る。 スマホを置いてきたことを悔やみながら、岩井を睨んだ。 何度か股間を蹴り飛ばして逃げているから、足が届かないくらいの位置にいるのが憎たらしい。 「無理だって。いい加減諦めな?」 「な、胡蝶。マジで好きなんだって。」 「マジで好きなら、俺の迷惑を少しは考えろって。」 そう伝えると、他の奴が入り口に顔を出した。 視線がふっと途切れた瞬間、タイミングを見計らって外に出る。 ―――うっざ!!!!梅雨以上にうっざ!!! *** ―――で、考えた結果がこれっすか? 金曜日の放課後。 持ち帰り忘れた体操着を取りに教室に戻ると、教室から異様な匂いが漂っていた。 嫌な予感を打ち消したくて、足早に自分の体操着袋を掴む。 すると、匂いの根源は間違いなくコレだった。 カルキ臭に似た、独特な匂い。 乱雑に丸められた上下の体操服をひろげると、半透明な液体がぐっしょりとつけられていた。 「キッショ!!!」 思わずそう叫びながら、即座に手を離す。 「何これ?」 「やられたわ。もう着れねぇじゃん。てか捨てたい。」 一緒に来ていた進藤が、床に落ちた体操着を拾って固まっている。 俺の表情を確認して隠すように丸めると、見えないように袋に戻す。 「これ1人の量じゃねえな。岩井と岡島と……あと他にもいるのかよ。ふざけんなよ。」 「咲には言うなよ?」 「え?いや、これ報告すべきだろ?あいつに言われてるし。」 「お願い!!推薦取り消しになったら困るから!!」 「でも、さすがにコレはさ……。」 「咲、キレると何するかわかんないから。お願い!」 「普通にやべえ奴じゃん。あいつのどこに愛せる要素あった?」 「とりあえず、担任と学年主任に報告してくる。」 「着いてくわ。」 進藤に体操着を持たせて、雨音の止まないうす暗い廊下を2人で歩く。 背中にシャツが張り付いて暑苦しいはずなのに、妙に身体の芯が冷えていた。 大したことじゃない。 こんなこと、全然大したことじゃない。 大丈夫、大丈夫。 自分で何度も何度も言い聞かせて、平静を装う。 大丈夫、大丈夫。 精液まみれの体操着が、少し未来の自分の姿に思えて仕方がなかった。 全身が気色悪くて、ひどい吐き気がする。 咲に縋りたい。 助けてって言えば、きっと岩井たちを完膚なきまでにボコボコに殴ってくれる。 でも今を壊したら、咲の未来がなくなってしまう。 だいすきな人の未来を、俺が奪っていいわけがない。 そう思うと、次第に心が軽くなった。 何度か深呼吸を繰り返し、不安げに見つめる進藤の視線に気がついた。 「修学旅行のあたりから、愛がクソ重いのよ。」 「どこ行くのも1人になんなよ?」 「分かってるって。」 「怖いよな。」 「5歳の時に公園のトイレに連れ込まれた経験ある人間だから、このくらいなら割と冷静よ?アイドルの経験値なめんな。」 「何その無駄な経験値。なんでそれで天然でいられるのか、マジで謎すぎるんだけど?」 「ま、秒で父親が来てくれたから、なんともないけど。怖いかと聞かれたらちと怖いかも。ケツ壊されて、咲とエッチ出来なくなったら困る。今ちょっといい感じになってきてんのに。」 「心配なのそこ?お前もやべえ奴じゃん。」 進藤に笑いかけて、震える唇をしっかり結ぶ。 大丈夫、大丈夫。 何度も呪文のように繰り返し、叫びそうな心を抑え込んだ。

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