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第3話
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新築の一軒家だっていうから期待して住み始めたのに、部屋のいたるところで雨漏りしてるみたいな、ハズレくじを渡されたようながっかりした気持ちになる。お前はそういう人間だと誰かに言われた。
誰に言われたのかも思い出せないけど。
高校生の頃、バスケ部の先輩の事が好きだった。僕よりもずっと背が低くて、最初先輩と聞いたとき驚いてしまった。あまりにも幼くて、可愛い顔をしていたから。
「どうせお前もばかにしてんだろ」先輩はいたずらっぽい顔で笑いながら僕に言う。「いや、そんな事無いです」と答えると「うそだよ、ばか」とさらに笑われた。
先輩はレギュラーに入れず、後輩にどんどん抜かされていることを気にしていた。
だけどその分、周りに置いていかれている後輩や伸び悩んでいる人を見ると誰よりも親身に相談に乗ってくれた。
そういう所を好きになったのだ、最初は。僕も先輩に色々相談していた。「本当はやりたくてバスケやってるわけじゃないんです」「そうなんだ」「入学したとき、部活の勧誘で捕まってしつこくて…断っても断っても誘ってくるから…」「うちの部ってそういう所あるよなー。上下関係とか異様に厳しいし」先輩はため息をつきながら言う。「俺は逆に入れてくれって滅茶苦茶ごねたんだけどな。試合に出れなくてもいいからって」「どうしてですか?」
「そりゃ、バスケが好きだからだよ。まぁこんなに小さくちゃ役に立たないんだけどさ」
先輩が持っているペットボトルがぺこん、と鳴った。
「僕は先輩がいてよかったです。こういう話、先輩にしかできないから…」僕の言葉に先輩は顔を上げ「どうもな」とふんわりとほほ笑んだ。
自分の恋愛感覚がなんとなく他の人と違うんだなと気づいたのもこのころだった。
男の人を、それも子供らしいような雰囲気をまとった人に恋心を抱くようになっていた。可愛くて、ぎゅっと抱きしめたら腕の中に納まってしまうような人。
僕みたいな人の事をロリコンというのだと中学生の頃同じクラスの人に言われた。
それからクラスでなんとなく浮くようになってしまい、誰も知ってる人がいないような高校に進学してやろうと思い必死で勉強し、県内でも指折りの進学校のここにきた。
僕の性癖はゆがんでいく一方で、高校生になってもまだ中学生みたいな子供っぽさを持っている人がいたから。
僕は自分の内側を誰にも悟られないように生きてきた。あの時までは。
文化祭の季節が訪れ、学校中がお祭りムードでにぎわっていた。僕は自分の役目を終えて学校内を散策していた。でも特別見たいものもない。手に余った金券をどうしようか考えながらふらふら歩いていると、前から歩いてきた誰かとぶつかった。
「すいません、って、なんだ長弓か」声の主は先輩だった。「いえ、こちらこそぼーっとしてて」すみません、と言い終わる前に、僕は呆然としてしまった。
先輩は女子の制服を着ていたから。
歪んだ性癖がものすごい勢いで捻じ曲がるのを感じた。先輩の腕を無意識のうちに掴んで、近くの教室に駆け込んだ。
「おい、どした、お前」先輩は驚いて僕を見る。「それ、制服、どうしたんですか」「あー、これ?俺のクラス、女装喫茶やっててさー、女子は男子の制服着てんの。俺と同じくらいの背丈の女子が制服交換しろっていうから仕方なく着てんだ」
先輩はいつものようにからからと笑った。
「恥ずかしくないんですか?」「は?」「スカート、履くの恥ずかしくなかったんですか?」
僕がそう聞くと、先輩はうつむいてしまった。
「…てたのに」「え?」「気にしないようにしてたのに、言うなよ」見ると先輩は、顔を真っ赤にしていた。
我慢が限界に達して、ぷちん、という音が聞こえた。
思いっきり抱きしめると、先輩は「おい、どした、」と驚いている。自分の手がスカートに伸びるよりも早く、先輩は僕の腕の中から抜け出していた。
「なにすんだよ、変態」先輩の目は完全に怯えていた。大きな瞳から涙がこぼれ落ちていくのを、ただ見ている事しかできなかった。
それから先輩が卒業するまで口をきくことはなかった。今先輩がどこで何をしているのかも知らない。僕を恐れて遠いところへ、もしかしたら国外に行ってしまったのかもしれない。
大好きだった先輩、触りたかった先輩。自分のものにしたかった先輩。可愛い制服を着せてあげたかった。恥ずかしい思いをさせてみたかった。
悲しいとかさみしいより、そういう変態じみた思考だけが、僕の頭に残っていた。
総合病院の医者として勤め始めて十年経つだろうか。僕は医者の仕事を誇りに思っていたし、人から頼りにしてもらえるのは嬉しかった。特に年配の人なんかは、僕の事をまるで神様のように扱う。診察が終わった後、事務の人が困った顔で僕に声をかけてきて、何事かと問うと、「あの、さっきの患者さんが先生に渡したいものがあるって…見たら商品券なんですよ。こういう物は受け取れませんって言ったんですけどどうしてもって聞かなくて…」
と言った。「そうだったんですか。すみません、僕が後で返しておきます。次の診察の時にでも」こういうことは初めてじゃなかった。お世話になっているからと、高級な贈答品を渡そうとしてくる人は大勢いた。僕は自分の仕事を全うしているだけだからとかたくなに拒否し続けていた。他の先生は貰っている人もいたみたいだけど。
昼休憩が終わって院内を回っているときピッチが鳴った。「先生、今どこにいます?休刊対応してもらいたくて」「今行きます」僕は踵を返して救急棟へ向かった。
僕は驚いた。患者は体のあちこちに火傷を負っていた。それよりも、顔だ。
先輩に瓜二つだった。僕が恋した先輩。優しかった、大好きだったあの人にそっくりだったのだ。「ここから近いアパートで火事があったみたいなんです。他にも負傷者が何人かいるみたいで」搬送してきた救急隊員の言葉を聞きながら、僕はしばらく動けなかった。
あらかた処置が終わった後、彼の身元についての情報を貰った。
彼の名前は井崎泰文(いさきやすふみ)というらしい。火事で燃えたアパートに一人で暮らしていて、配偶者はいない。情報によるとまともに会社に行って働いていないらしい。バイト生活でその日暮らしを続けている。普段から食生活もあまり気にしていないということは、検査結果の通知でわかる。
彼は目を閉じて眠っている。見れば見るほど先輩によく似ていた。
見ていると、ふたをしたはずの自分の中の歪みがあふれだしそうだった。ロリコンと、変態と罵られた過去の僕。
生活に困っているらしい彼を、僕のもとに誘い込むことはできないだろうか。
かつて僕がしたかったこと。先輩に思いを告げ、性癖を告げ、制服を着せて可愛がりたい。
できることなら、女子の制服。僕は彼の頬を撫でた。「ん」と短く声をあげる。
完全に開いたふたは、多分もう閉じることができない。
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