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第4話
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僕は今、井崎さんと並んで自宅の玄関前に立っている。彼は僕の提案に驚いたものの、少し考えた後小さく頷いてくれた。
周囲には適当に嘘をついて、退院日に待ち合わせ場所を決めて落ち合ったのだ。
井崎さんは、ソーシャルワーカーにも心理相談師にも口を開こうとしなかった。
家庭の事や仕事の事を聞かれるのが相当嫌なようで、自分の身の回りの事を一切話そうとしないからケアチームは困り果てていた。
そりゃそうだろう、と僕は思った。住まいが燃え尽き、衣食住をどうするかも考えられていない状況で、身の上話をしろと言われてはい分かりましたと話し出せる人間の方が少ない。
エレベーターに乗っている間無言だった。彼の横顔をそっと見る。
見れば見るほど先輩にいていた。先輩に比べて覇気がないけれど、しょんぼりと落ち込んだ横顔が、親に叱られて今にも泣きだしてしまいそうな子供にも見えて、不謹慎と分かっていても、可愛いと思ってしまった。
彼の頭を撫でようとしたところで、エレベーターは目的地に着いた。
「面白いものは何もないけど、ゆっくりして」井崎さんは僕の家の中をじーっと見まわす。
口がうっすらと開いていた。「すご」小さい声でそうつぶやく。
彼の為に最低限必要なものはそろえておいた。「ごめんね、服のセンスが無くて」というと彼は首を横に振る。「わざわざすみません」ぼそっとそういった。
「ここには、君がいたいだけいていいよ。どうせ僕は独り身だし…暮らすのも出ていくのも君の自由だ。好きにしていい。あ、あとでこの家の鍵もあげるから」
彼は固くこわばった表情で、「何が狙いなんですか」とおびえた様子で言う。
「ここまでついてきた俺も俺だけど…あんたもあんただよ、俺みたいなの拾って何がしたいの?こんな、金に困ってなさそうな生活してるのに、幸せそうにしてるのに、俺みたいなゴミ拾ってどうすんの?」その声には戸惑い以外にも怒りが含まれているように感じる。
「…君を見捨てられないから」「なんで?」「かわいそうだから。家も無くて、身寄りも無くて」「嘘だ、それ以外にもなんか目的あるんだろ。じゃなかったらおかしいだろ」
彼は疑いの目で僕を見ている。
「じゃあ、話すよ。僕は、君にしてほしい事があるんだ。僕の要望さえ満たしてくれれば、君はいつまでだってここにいていい。いや、ここにいてほしい」
井崎さんは目を細める。
「制服を着てほしい。僕が用意したもの。その格好のままで、僕と寝てほしい。」
鳩が豆鉄砲を食らったら、こんな顔をするんだろうか。彼は何言ってるんだこいつ、と言いたげに、ぽかんと口を開けていた。
井崎さん、いや、泰文君は、もともとの性格が素直なんだと思う。
彼は僕の変態じみたお願いを眉間にしわを寄せながらも受け入れてくれた。というより、そういう状況に追い込んで仕組んだのは僕だ。
寝室のドアの前に立つ。彼はもう着替え終わっただろうか。この薄い板の向こうで行われていた一部始終を想像してみる。先輩そっくりな彼が、ボタンをはずして、真新しいシャツに袖を通して、学生のふりをして僕を待っている。考えただけで頭がどうにかなりそうだった。
一呼吸おいてドアを開ける。そこにいたのは先輩ではない。先輩にそっくりな、赤の他人の泰文君。
困った様子で自分の体を見まわす。「なんか俺凄いイタい事になってない?本当にこれでいいんすか?」ぶつぶつ言いながらも僕のお願いを聞いてくれたのだ。
「かわいい」という言葉が、無意識のうちに唇からこぼれ出た。泰文君の体をそっと抱きしめる。薄っぺらな生地に包まれた、僕に比べて若い体。指先に力をこめると、それに合わせて肉が沈む。やわらかい。泰文君の首筋あたりで深呼吸してみる。僕と同じ石鹸の匂いがした。泰文君が怖がっていることが、体のこわばり方でわかる。
僕は安心させるように頭を撫でた。子ども扱いするなと払われるかと思ったけれど、彼は抵抗せず、むしろ安心したように力を抜いた。
そんな素直さがますますかわいいと思った。押し倒すようにベッドに身を投げる。二人が寝ようがへっちゃらだ。
出来ることなら、一枚一枚、玉ねぎの皮をむくように彼の体を包んでいる制服を脱がせて、
あたたかな肌を余すところなく触ってみたい。
だけど怖がらせたくない。彼は、こういう経験があるのだろうか。誰かと一緒に夜が明けるまで抱き合ったことはあるんだろうか。
あいにく僕にはそういう経験はない。なのに触り方がいやらしくなるのは、自分の中のふしだらな妄想を具現化しているからなのかもしれない。
そっと頬に手を寄せ包み込んでみる。ほっぺたがやわらかい。ちゅう、とキスしてみる。
彼は一瞬震えた。「キスしてもいい?」どこに、なんて言わなくても、どこにされるのか察した彼は口ごもる。「ま、まぁ、別に…」ぎゅっと目をつぶって口も結んだ。
もしかしたら、彼も経験が無いんだろうか。そんなこと、言わないけど。
口をふさぐようにキスをした。瞬間、高校生の頃の思い出がよみがえる。一度でいいから、先輩にこういうことがしたかった。悔やんでも悔やみきれない後悔を、先輩に似た彼で発散している。自分が情けなくて仕方なったけど、それを上回る気持ちのいい感触が、脳みそを駄目にした。
唇をこじ開けるように舌を差し込むと、泰文君はますます体をこわばらせる。「痛い事はしないから」僕の一言を聞くたび、力が抜けていく。熱くてやわらかい口の中で唯一かたい歯に舌が触れた。丸くて小さい歯をなぞってみる。「む、」少し甘えたようにも聞こえる苦しそうな声が、ますます僕をおかしくしていく。
何度も頭を撫でた。そうすると泰文君が安心しているような気がしたから。
まるで本当に子供のようで、自分がしていることが法に触れているんじゃないかと錯覚を起こすほどだった。
好き勝手にキスした後に口を離すと、彼は少し泣いていた。
「ごめんね」と謝ると、「謝んなくていい」と言った。
「そういう顔で謝んないで」「え?」「なんか、小さい子供が怒られてるみたいだから」
そういわれて、なぜか恥ずかしくなった。
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