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2日目
宣言通り、周は翌日も店を訪れた。きっちり一晩分の線香を買い、おまけに女将たちに土産として菓子折りも用意している。おかげで女将は「絶対に見限られるんじゃないよ!」とキツく言ってくる始末。
なんて用意周到なんだ、コノヤロウ。
「やあ、夜鷹。元気かい?」
「元気そうに見えますかィ?」
「昨夜よりも綺麗だ」
「そんなわけないでしょうに」
たった一日で何かが大きく変わるわけが無い。お世辞にしても、もっと上手い方法があるだろう。こういうところは下手くそなんだろうか。
相変わらず柔和に微笑んだまま、畳の縁より向こうに腰をおろしていた。今日も質の高い着物を気流している。今までたくさんの客を見てきたが、こんなにも立派な格好をしている人は初めてだ。
「お酒とお料理、どうします?」
「私は料理だけでいいよ。お酒は貴方が飲みたければ」
「アタシだけ? 酔わせて何かするつもりかィ?」
「まさか。私がそんな男に見える?」
正直、全く見えない。むしろその逆で誠実さが服を着て歩いているように見える。出会ってまだ二日なのに、どうしてそう思えるんだろう。それでも簡単に誘いに乗るように見られたくなかったから、禿には食事だけを頼むことにした。
もちろん、周の分だけ。陰間は客の前で何か食べたりはしない。
「茶屋に来て酒も飲まないなんて。変わってるねェ」
「弱いんだ。飲むとすぐに眠ってしまう」
「人生損してるって言われないかィ?」
「言われるよ。でも酔いつぶれて記憶をなくすよりは得をしている」
下手な挑発にも乗らない。賢いんだろう。嫌味を感じさせないのに、有無を言わせない。普段からこういう話し方なんだとしたら、かなり苦労をするだろう。
周が、ではなく、周囲の人間が。
「料理が届くまで何をする? アタシは他の陰間と違って世間話はしないよ」
「生憎と私も苦手なんだ。だからどうだろう。これから毎晩、相手に何か一つ質問をするというのは」
「ふゥん」
なかなか面白いことを言う。質問をするのなら必死に話題を考えなくていい。間も持つだろうし、バカ正直に本当のことを言わなくてもバレることはない。
おそらく周は本当のことを話すんだろうが。俺はそこまで素直じゃないんだ。
「答えたくないことは?」
「無理に答えなくていい。代わりに違う質問をしよう」
「優しいんだねェ、旦那様」
「話し下手なだけさ」
そんなことを話している間に禿が膳を運んできた。酒はないからツマミになりそうなものではなく、家庭料理ともいえそうなものばかりが並んでいる。
野菜の煮物とお浸し、自家製の漬物に味噌汁と、決して見栄えはよろしくない。でも厨房で働いているのはかつて料亭で働いていたヨネだ。味はその辺の安い定食屋にも負けていない。
陰間茶屋では昔からの名残で焼き魚や貝類は出ない。代わりにたくさんの野菜が使われている。おそらく俺よりも高級な食事を堪能しているであろう周に満足してもらえるだろうか。
「本当に夜鷹は食べないのかい?」
「アタシはもう食べているんだ。気にせず食べなョ」
「それじゃあ、遠慮なく」
すらりとして大きな手を合わせ、丁寧に「いただきます」と言ったあと、周は炊きたての白米を口に運んだ。ゆっくりと味わうように咀嚼して、ごくりと飲み込んだ後に煮物を食べる、それもまた噛み締めるように味わい、ぎゅっと目を閉じた。
ふう、と息を吐き、次は味噌汁をずず、と啜る。たまらないといったようにまた息を吐きだして、しみじみと「美味しい」と呟いた。
「ヨネの味噌汁は美味いだろう?」
「とても美味しい。安心する味だね」
「伝えておくョ。きっと喜ぶ」
「夜鷹はいつもこれを食べているのかい?」
「あァ」
それから周は、時間をかけて米粒一つ残すことなく全てを平らげた。見ていてとても気持ちのいい食べ方だった。だがガツガツと掻き込むわけではなく、美しい所作はそのままなのだ。
育ちがいいのだろう。些細なことも優雅に見える。
「ご馳走様。とても美味しかった」
「それはよかった」
本来であれば酒と料理が終われば床入りになる。でも俺たちの場合そうはならない。周が買った時間、つまり線香四本分の時間をなんとか潰さないといけない。
今までの客はそれが出来ずに帰って行った。もちろん二度と現れることはない。俺が何かをするわけがないので、なにも考えが無ければ地獄のような時間を味わう羽目になるのだ。高い金を払い続け、ようやく二階にまで来られたのに触れることもできない。しかもそれを百日だ。普通の人間なら耐えられないだろう。
でも周は違った。
「それじゃあ、どちらから質問しようか」
まるでこの時間を楽しんでいるかのように、ふわりと笑っていた。ここが陰間茶屋であることを忘れてしまうくらい、朗らかに。
だから俺もつられてしまったんだろう。
「じゃァ、アタシから」
まんまと誘いに乗ってしまった。相手を喜ばせるのが陰間というのであれば、この選択は決して間違ってはいない。
でも俺はただの陰間じゃないんだ。誰よりも高嶺でないといけないのに。どうにも、周を前にすると調子が狂ってしまう。
「旦那様、お歳はいくつだィ?」
とりあえず今日は差し障りのない質問にしておこう。年齢なんて、知ったところで何か変わる訳でもないし。
見たところ、周は俺よりも少し年上のようだ。質の高い着物を着こなし、落ち着いた雰囲気を持ち合わせているせいかずっと年上にも感じられる。だが、白く透き通った肌を見るともっと若くも感じられる。さすがに俺より年下はないだろうが。
「数えで二十歳だ」
「二十歳? もっと上かと思った」
「昔からよく言われる。そんなに老けて見えるかな」
困ったように笑う表情は、年齢よりもずっと若く感じられた。少年がそのまま大きくなったみたいだ。純粋で穢れのない瞳は、やはりこの場所には不釣り合いだ。
しかし、二十歳とは。その若さでよくこの店に通えるほどの金を持っているな。実家が資産家なのだろうか。それとも文明開化を機に登り詰めた資産家か。なんにせよ、金で買われる俺とは正反対の立場にいる。
「父は私と同じ歳に家を継いだからね。それにくらべたらあまだまだ子供だよ」
「へェ。どこぞの名家だったのかィ」
「質問は一つまでだよ、夜鷹」
たしなめるように言いくるめられる。少なくとも、ここでは俺の方が主導権を握っているはずなのに。ぼんやりしていたら手綱を握られてしまいそうだ。
しかもまるで俺の方が周に興味を持っているかのように何度も質問をしてしまった。これじゃあいけない。
「それじゃあ旦那様、質問をどうぞ」
「そうだな。どうしようか」
口ではそう言いつつもどこか楽しそうに鼻先を指で弾いている。呑気な男だ。百日も通う気でいるから、呑気といえばその通りか。
「同じ質問は芸がないね」
「陰間に歳を聞くのは残酷だョ」
「そうなのかい?」
キョトンとした顔を向けられたが、これは紛れもない事実だからしょうがない。陰間は遊女と違って寿命画短い。俺のように発育画遅ければ二十歳までは辛うじて客を取れるだろうが、ほとんどは十七、八で辞めていく。
辞めざるを得ないのだ。
「どんなに着飾っても体は男なんだ。声は低くなるし髭も生える。柔らかさはなくなり体つきも大きくなっていくだろうね。そうしたら、もう売れなくなるんだ」
男であれば誰でもいいという客以外は、俺たち陰間を「少女のような美しい少年」を求めている。だけら成長して、見た目が大きく変わってしまう陰間は長く春をひさぐ事ができない。年が明けることは目出度いことではなく、また一つ寿命に近づいたと悲しむ日なのだ。
「君はどんなに歳を重ねても美しいと思うけれど」
「さてね。アタシもいつか髭が生えて、声も低くなるかもしれないよ」
「それでも貴方の魅力は変わらないさ」
何を、そんな、分かっているかのように。なんの躊躇いもなく言えるんだ。実際に変声期を迎えて泣きながらここを出ていった人間を見たことがないから言えるんだ。
遊女のように客から身請けされ、妻や妾になることも叶わない俺たちにとって、歳を重ねることがどれほど恐ろしいか。
周はなにも知らないから、そんなことを簡単に言えるんだ。
「怒らないで、夜鷹。私は本当のことを言っただけなんだ」
「怒っちゃいないさ。ほら、早く質問をしておくれ」
周に、俺を傷つける意図が無いことはわかっていた。それでもつい嫌味を言ってしまったのは、もう生まれ持っての性格だった。自分でも底意地が悪いと思う。
俺は望まないままこんな場所に入れられたのに、周は好きに生きていることが羨ましいのかもしれない。でもそんなこと、バレたらみっともなくて生きていけない。
「そうだなぁ……ああ、夜鷹、貴方の好きな色はなにかな」
「好きな、色?」
「うん。好きな色を教えて」
もっと個人的なことを聞かれるのかと思っていたから、あまりにも他愛ない質問で拍子抜けしてしまった。本当の名前とか、生い立ちとか、そういうのを聞かれると思っていたのに。
まさか座敷の時に尋ねられるようなことを聞かれるとは。
「好きな色か。考えたことなかったね」
「確かに貴方はどんな色でも似合うから、決めるのは難しそうだ」
なんだか微妙にズレた答えを返され、思わず笑ってしまった。そうして、本当に周は俺の事を知りたいだけなんだと分かってしまう。
重要な秘密を握って俺を脅したりとか、そういうことは一切考えていない。子供が知的好奇心を満たすかのように、気になることをただ尋ねただけ。
だから、俺も真剣になって考えてしまった。
「好きな色……まあ、強いて言うなら」
幼い頃から華美な着物は見慣れていなかった。母も姉も普段は大人しい色の着物ばかり選んでいたからだ。
でも春先の、皐月になるほんの少し前の時だけ。二人が綺麗に着飾ることがあった。あの色は、確か。
「藤色が好きだ」
「藤?」
「うん。花も好きだし、藤の色も好き」
藤色の着物に身を包んだ母と姉はとても綺麗だった。丁寧に結い上げた髪に、普段は大切に仕舞われている簪を飾り、庭に咲き誇る藤を家族で愛でていた。
今となってはもう二度と戻ってこない日々。それでも胸の奥には、いつまでも眩しく残っている。
「似合わないと思うかい? アタシみたいに傲慢な陰間に、藤なんて高貴な色は」
「いいや。貴方にはぴったりな色だ」
「ふん……口ばっかり」
それでも、嬉しかった。馬鹿にすることなく、笑い飛ばすことも無く。俺の好きな色を、俺にぴったりだと言ってくれたことが。出会った時からの時間はまだ短いが、少なとも周がお世辞や嘘を言う性格ではないと知っていた。だから、俺にぴったりというのは本心なんだろう。
俺にとって大切な色を、周も大切にしてくれる。
その事実だけでも救われるような気持ちだった。
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