5 / 9

第5話

 暴力表現あります。 ──────────────────  何事もなく過ごしていたある日の午後。叶愛は一人クリスの部屋でごろごろしていた。叶愛の部屋はないので(部屋は有り余っているだろうにクリスが叶愛専用の部屋を用意してくれないのだ)、こうして毎日彼の部屋で適当に時間を潰している。  クリスは今、執務室で仕事中だ。傍にいると常に叶愛に構ってくるので、彼がいないときは一人でまったりとした時間を満喫できる。  ソファに寝そべりクッキーを齧りながら漫画を読んでいると、部屋のドアがノックされた。  叶愛はびっくりして弾かれたように体を起こす。叶愛が一人で部屋にいるとき、クリス以外に誰も訪れることはない。そしてクリスはほぼノックをしない。ノックをしても返事も待たずにドアを開ける。  ドアが開けられないということは、今、部屋の外にいるのはクリスではない。  叶愛は戸惑った。誰が、なんの用があって訪ねてきたのかわからなかったから。  もう一度、ノックの音が響く。  叶愛はそろそろとドアに近づいた。  居留守を使おうか迷って、でもそんなに警戒することもないと思い直す。ノックをするということは少なくとも強盗の類いではないだろう。  叶愛はドアを開けた。そこに立っていたのは地味な衣服に身を包み、深くフードを被った少女だった。フードの奥の顔は人形のように整っていて、愛らしい。叶愛よりも年齢は少し上だろう。見覚えはないが、そもそもこの世界で叶愛の知っている顔はクリスだけだ。 「えっと、なにか……?」 「わたくし、仕立て屋の者です。叶愛様の採寸に参りました」 「へ? あ、ああ……」 (そういえば、近い内に採寸するからって言ってたっけ……)  ウエディングドレスを作る為の採寸だ。気は進まないが、約束なので仕方がない。 「わたくしについてきていただけますか? 別の部屋で採寸しますので」 「はあ……」  どうしてこの部屋では駄目なのかと疑問は浮かんだが、まあ色々あるのだろうと特に気にすることもなく叶愛は彼女の後に続いた。  着いたのは一階の隅っこの部屋だった。狭く簡素な室内に叶愛と仕立て屋の少女は二人きりになる。 持っていた鞄を床に置き、彼女がごそごそと漁るのを叶愛は手持ち無沙汰に待っていた。  それにしても、意外だったのはクリスが立ち会わずに行うということだ。彼のことだから、てっきり叶愛が採寸されているときも近くで見ていると思ったのだが。仕事が忙しくて手が離せないのだろうか。 「では、採寸をはじめさせてください」 「あ、はい……」  少女はメジャー持って叶愛の体のサイズを測っていく。しかし、測り方が明らかに雑だ。彼女は新人で、だからまだ慣れていないのだろうか。それにしても、こんな適当な測り方でいいのか。叶愛は別にウエディングドレスの出来が悪くても気にしないが、王族からの依頼なのだし、不手際があれば当然問題になるだろう。  指摘するべきか迷いながら、もたもたと慣れない手付きでメジャーを動かす少女を見守る。  暫くして、少女は叶愛から離れた。部屋の隅にあるテーブルに近づき、水差しからグラスに水を注ぐ。 「疲れましたよね。少し休憩しましょう」 「ありがとう……」  手渡されたグラスを受け取る。疲れてはいなかったが、折角入れてもらったので水を飲んだ。ごくごくと喉を鳴らす叶愛を、少女はじっと見つめていた。  それから再び採寸をはじめる。少しして、少女は俯いたままポツリと言った。 「実は、わたくし、仕立て屋ではないのです……」 「へ、えっ……!?」  言われたことの意味を理解し、叶愛は間抜けな声を上げた。  だから採寸が下手なのかと納得し、ではこの少女は誰なのかと警戒する。  後退る叶愛に、彼女は言葉を続ける。 「わたくし、クリス王子の元婚約者なのです」 「ええっ!?」  思わず驚くが、クリスの年齢や王子という立場を考えれば婚約者の一人や二人いてもおかしくはない。 「えっ、ま、まさか、僕のせいで婚約破棄された、なんて……」  もしそうだとしたら、なに一つ叶愛が悪くないとしても申し訳なさすぎる。  しかし、少女は緩くかぶりを振った。 「いいえ、わたくしとの婚約はそれよりも前に破棄されたので……」 「そ、そう……」  叶愛はほっと胸を撫で下ろす。 「わたくしとの婚約が破棄されて一年後、クリス王子は貴方と婚約しました」 「はあ……」 「それでわたくし、思ったのです。一年前、クリス王子は婚約者という存在に縛られずまだ自由でいたかったからわたくしとの婚約を破棄したのではないかと」  叶愛の意見など求めず、少女は一人で話し続ける。 「けれど一年経ち、クリス王子はそろそろ身を固めようと考えが変わったのじゃないかしら。でも、一度婚約を破棄したわたくしに婚約を申し込むことなんてできないでしょう? それで仕方なく貴方と婚約したのではないかしら。だって家柄も容姿も、クリス王子に相応しいのはわたくしの方ですもの。貴方もそう思うでしょう?」 「それは……うん……」 「そうよね? 貴方も、クリス王子はわたくしと結婚するのが正しいと思うわよね?」 「うん……」  言い聞かせるような彼女の言葉に、叶愛は頷く。叶愛自身の気持ちも、クリスの気持ちを深く考えることもなく、彼女の言葉が正しいのだと思えた。  叶愛の同意を得て、少女は興奮した様子で身を乗り出す。 「だったら、ねえ、クリス王子の婚約者という立場をわたくしに返してちょうだい?」 「え……で、でも……どうやって」 「貴方が姿を消せばいいのよ」 「け、消すって……」 「貴方を国外へ逃がしてあげるわ」 「に、逃げる……? この国から……?」 「そうよ。貴方がいなくなっても、クリス王子は国外へ行ってまで捜そうなんてしないはずよ。きっとすぐに諦めるわ。そうすれば貴方との婚約はなかったことになる。そしてわたくしの方からクリス王子に婚約を持ちかければ、きっとクリス王子はわたくしを婚約者にして下さるわ」  頭がうまく働かない感じがするのに、彼女の言葉はすんなりと受け止め、納得することができる。根拠もなにもなく叶愛はそれを信じ、彼女の言う通りにしなくてはならないような気になっていた。 「わたくしに協力してくれるわよね?」 「う、うん……」  満足そうに彼女の唇が弧を描くのを、叶愛はぼんやりと見ていた。だんだんと思考が霞んできて、叶愛は彼女の言葉にただ従う。  ローブを着せられフードで顔を隠され、部屋を出て人のいない通路を通り、隠し扉から城の外へ出た。  するとそこには、柄の悪そうな男が三人待ち受けていた。 「あとは宜しくね」  吐き捨てられる言葉と共に、叶愛は少女に背中を突き飛ばされ男の一人に受け止められる。少女が別の男にジャラリと音のする重そうな袋を渡しているのが目に入った。  なにかがおかしい。沸き上がる疑問は薄れ、叶愛は意識を手放した。  バシャッと冷たい水をかけられ、叶愛は目を覚ました。ゆっくりと瞼を持ち上げる。 「うっ……」 「お、目が覚めたな」  聞き覚えのない男の声に、叶愛はハッと目を見開く。しっかりと意識が覚醒し、自分が床に転がっていることがわかった。体を起こそうとして、上半身をロープでぐるぐるに縛られていることに気付く。 「な、なに……」  なにが起きているのか、必死に状況を把握しようとする。  混乱する叶愛の耳に、下卑た男達の笑い声が聞こえた。  叶愛を囲むように立っている三人の男は、嘲笑を浮かべ叶愛を見下ろしていた。  視線を巡らせ、自分のいる場所が廃墟のような場所なのだとわかった。 (僕、なんでこんなとこに……)  意識を失う前のことを徐々に思い出していく。  仕立て屋と名乗り現れた少女。彼女はクリスの元婚約者で、そして叶愛に色々と言ってきた。国外へ逃がすという彼女の言葉に従って、城を出て、この男達に引き渡された。その結果、叶愛は人のいない廃墟に連れてこられ縛られている。 「つまり騙されたってこと!?」  導き出された結論に、叶愛は愕然とした。  男達の馬鹿にするような笑い声が響く。 「その通りだ」 「あっさり騙された割に、察しがいいじゃねーか」 「とぼけた顔の割に勘は悪くないみたいだな」 「ちょっと待ってよ。僕、なんのために連れ去られたの?」 「お? それはわかんないか?」 「殺すためだよ」 「依頼人のあのお嬢さんは、お前をとことん苦しませてから殺してほしいそうだぜ」  ニヤニヤと嗤いながら吐き捨てられる言葉に、叶愛はぎゅっと唇を噛み締めた。  クリスの元婚約者だと言っていた少女の顔を思い出す。  クリスの婚約者として返り咲くのに叶愛の存在が邪魔だから殺してしまえばいいと、そう考えたのだろうか。 (なんだよそれ! 別に僕は好きでアイツの婚約者になったわけじゃないのに! 僕はなにも悪くないのに!!)  叶愛があの少女を蹴落として婚約者の座を奪い取ったというならわかるが、これは完全な逆恨みだ。  あまりにも理不尽で、叶愛は悔しさにギリギリと歯を食い縛る。 「ま、恨むんなら王子の婚約者になんてなった身の程知らずな自分を恨むんだな」 「そーそー。鏡見たことあるのか、お前。よくそんな顔で恥ずかしげもなく王子の婚約者でいられるな」 「俺だったら恥ずかしくてぜってームリだわ」  ギャハハハと耳障りな嘲り声が響く。  叶愛は腹の底から込み上げる怒りをぐっと堪えた。怒鳴り返したところで状況は悪化するだけだ。  我慢するが、しかし苛立ちは募る一方だ。なにより許せないのが、こんな柄の悪いチンピラのような男でさえ、叶愛よりも遥かに顔が整っているということだ。三人とも紛うことなきイケメンなのだ。 (くそっ、せめてお前らは醜男であれよ……!)  叶愛は心の中で悲痛な叫び声を上げた。  前世の姿だったらいくらでも言い返せたが、今のこの顔で言い返したところで叶愛が惨めになるだけだ。 「にしても、王子も王子だよな。なんでこんなの婚約者にしたんだ?」 「こういうのか趣味なんじゃねーの?」 「マジかよ。王子の趣味ヤバくねぇ?」 (クリスの悪口はクリスに言えよ!)  聞きたくもない会話を聞かされ、叶愛は胃に穴があきそうなほどイライラした。  なんでこんな目に遭わなくてはならないのだろう。転生してからろくなことがない。  そもそもあの変態王子と出会ってしまったことが運の尽きだ。あのとき現実逃避なんてしていないで、さっさとあの場から離れればよかった。クリスに見つかりさえしなければ、叶愛は今、こんなことにはなっていなかった。  でも、クリスと出会っていなければ、叶愛はまともな生活も送れていなかったかもしれない。周りの人達は皆叶愛を見下し、そんな人達に囲まれて平穏に生活を送ることなどできるはずがない。頼れる人もいない。無一文で、住む場所もなく、お金を稼ごうにも叶愛を雇ってくれる者などいないのではないか。クリスと出会っていなければ、叶愛はとっくにどこかで野垂れ死んでいたのではないか。  クリスだけなのだ。  叶愛を尊重し、対等に接してくれるのは。  クリスだけが、叶愛を叶愛として見てくれる。 (なんで僕、逃げてきちゃったんだろ……)  クリスと結婚したいなんて思っていない。  逃げられるのなら逃げたいという気持ちがあったのも確かだ。  けれど、どうして少しも疑うことなくあの元婚約者の少女の言葉を信じてしまったのかわからない。少女の言葉に従うのが正しいと、何故か叶愛はそう思い込んだ。  そして騙され、こうして殺されようとしている。  叶愛がいなくなったことに気付いたら、クリスはどうするのだろう。彼が叶愛に執着していることは事実だ。捜そうとはするだろう。けれど叶愛はこの男達に殺されて、きっと死体もうまく処理されて、捜したところで叶愛は見つからないのだ。いずれクリスは諦めて、あの元婚約者とまた婚約して結婚するのだろうか。  叶愛はクリスが好きで彼との結婚を望んだわけではない。処刑されたくないから結婚することを承諾したのだ。それはクリスが一番よくわかっている。  クリスは叶愛が殺されたなんて気付かず、ただ逃げたと思うだろう。約束もなにもかも放り出し逃げ出した叶愛に、いつまでも執着しているはずもない。  叶愛のことなど忘れ、あの腹黒元婚約者と幸せに暮らすクリスの未来を想像し、どうしようもなく腹が立った。  騙したあの少女に腹が立つのか。  それとも散々あんなことやこんなことしておいてあっさりと叶愛を忘れてしまうクリスに腹が立つのか。  わからないけどムカムカして、非常に不愉快な気持ちになった。  なんて、のんきに想像を膨らませて苛立ちを増幅させている場合ではない。 「さーて、どうするか」 「輪姦するにも顔がなー。こいつ相手じゃ勃つ気しねーし」 「ま、とりあえず適当に殴って痛め付けるか」  叶愛は美少年でないこの顔にはじめて心から感謝した。美少年だったら間違いなく性的暴行を受けていた。  平凡でよかった。こんなことにならなければ、決してそんなことは思わなかっただろう。 「じゃ、はじめるか」  その言葉を合図に、暴行がはじまった。  まるで道端の石ころを蹴るように、男達は叶愛の体をなんの躊躇もなく蹴り飛ばす。顔面を、肩を、腹を、腕を、脚を、至るところを蹴って蹴って蹴って蹴られ続けた。  叶愛は歯を食い縛り、ただそれに耐えることしかできない。  痛くて、悲鳴を上げて転げ回りたいくらい痛くて、その痛みが延々終わらず叶愛を苦しめ続ける。  男達の笑い声と、暴力の鈍い音と、時折漏れる叶愛の呻き声だけがこの空間を満たしていた。  いつまで続くのか、いつになったら終わるのか。男達が満足するまで、こうして痛みを与えられるだけの時間をただひたすら耐えていなくてはならない現実に叶愛は絶望する。  前世で刺されたときも死ぬほど痛かった。あのときよりもずっと辛い苦しみを味わって死ぬことになるのだろう。  せめて、一秒でも早く楽になりたい。  叶愛はそう願うことしかできなかった。  強く頭を蹴り上げられ、叶愛は気絶した。

ともだちにシェアしよう!