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第二話「北条の本性」

 織真都(おり まなと)。彼の又の名を、北条都築(ほうじょう つづき)。私生活は謎に包まれ、少しミステリアスな雰囲気を纏った、巷で有名な小説家だ。彼の出す本は飛ぶように売れ、誰もがその文章の魅力に取り憑かれる。映画化された作品なども少なくないが、そのどれもが原作小説を超えられない。彼の作り出す世界は、現実世界のように理不尽で残酷だ。しかしどれも美しく、強く胸を打つ。まさに“涙なしでは語れない”“全米が泣いた”名作揃いだ。  ……しかし、そんな彼の本性は、とんでもないものだった。  彼の朝は、11時に始まる。起きてすぐに少量の昼食を取り、あとはひたすらパソコンにはりつけだ。夜の7時以降に晩飯をまた少量胃に入れ、また眠るまでパソコンと向かい合っている。  寝ても覚めても文字と戯れ続け、自分の体調など二の次だ。まるで何かに取り憑かれているかのように、淡々と文字を綴り、想像の世界に思いを馳せる。ここまで来ると変態的だ。 「本ッ当にありえねぇ!」 「うるっさ……」 「どう思う(さかい)!? お前耐えられるか!?」  大学の構内にある、自由に使える広いテラス。焦げ茶色の机に、緑と白のパラソルが刺さっていて、辺りには女子大生が多い。(かし)は堺に呼び出されてそこにいた。  呼び出された側だというのに、堺の要件も聞かず、楽しそうにマシンガン不摂生トークを繰り広げる柏に、堺は既にもう帰りたくなってきていた。 「……毎日多くて二食しか食わない生活……おかずは必ず卵一個で作る薄味のスクランブルエッグ……。俺なら耐えられない……」 「そりゃ、ゴリラにゃ無理だろうよ」 「あの人、スムージーを1食って数えんだぞ……! スムージーを!」 「んな世界の終わりみたいな顔して言うことじゃねぇだろ」  堺は苦笑いを浮かべた。柏は未だに「信じられない」を全身で表現している。  彼の生活に対する文句を言っているはずなのに、若干どころか随分楽しそうだ。堺は不思議に思いながら、椅子に深く座りなおした。 「つかさ、それじゃ結局俺は無駄足だったわけか」 「え?」 「わざわざ探してきたやったんだぞ、お前を助けてくれそうな奴。お前に興味のありそうな女の子に声かけてまわってさ」 「だから今日俺を呼んだのか?」  堺は頷くと、もうそろそろ不燃ゴミと間違えられてしまいそうな携帯を見せてきた。 「……見にくいな、お前の携帯」 「仕方ないだろ、買ってすぐ落としたんだから」  バキバキに割れた画面をどうにかして見る。そこには、パーマをかけた焦げ茶色の髪の女性が映っていた。 「ほら、経済学部の原さん。知ってるか?」 「……いや、知らない」 「だろうな。前に、お前と同じ飲み会に参加したらしい」 「飲み会なんて飯と酒のことくらいしか覚えてねぇよ! つか、なんでそんな人が俺を助けてくれるんだよ」 「どうせ顔だろ、顔。お前のその顔に、金払う価値があんだろうよ」 「やだぁ、俺ってばそんなにイケメンかなぁ」  握りこぶしを作ってみせた堺に、よせよと笑うと、彼はため息をついて椅子にもたれかかった。 「とにかく、行く宛が見つかったんならよかった。原さんには俺から言っとくから」 「悪いな、堺。ありがとう」 「ホントだよ、お前携帯も焼きやがって。連絡できねーだろうが」  連絡手段がないため、今日堺は、わざわざ柏が受けている授業の教室の前で、ずっと待っていてくれていたらしい。前に、友人数名で時間割を共有しておいてよかったと、柏は思った。 「……よく拾ってくれたな、その人。金持ちなのか?」 「どうなんだろうな……。家は綺麗だったぜ」 「へぇ……」  堺は、話の途中にも関わらず、携帯を横持ちにしてゲームをしはじめた。いつものことで、話はしっかり聞いているようなのだが、彼に友だちが少ないのは、これも原因だと思う。 「そんないい条件で拾ってくれるなんて、変な奴じゃないといいけどな。ほら、お前の周りって変な奴ばっかだし」 「あは、お前のことか? ……ちょ、冗談だから。堺、なぁ」  話は終わったとばかりに堺が立ち上がる。慌てて追いかけるように立ち上がると、堺はすぐに歩きだした。 「ホントに気をつけろよ。柏は勉強ができるだけのアホなんだから」 「ああ。大丈夫だ。……堺はいつも俺を助けてくれるよな。ありがとう」  柏の言葉に、堺がぴたりと立ち止まる。それから突然振り返った。 「……感謝してんなら、もう少し人頼れよ」  堺はそうぶっきらぼうに告げた。明るい茶髪の奥で、黒い瞳が不安げに揺れたのが分かった。 「……性に合わねぇよ」  柏はヘラっと笑ってみせた。  織の家に来てから数日経った。また飽きもせずパソコンと向かい合っている織を、ソファーからちらと見て、柏はぐっと伸びをした。 「パロ、パロ」  数日経ったが、まだやはり居心地の悪さを感じていた柏は、リビングでパロの名前を呼んだ。当然、パロは呼んでもこちらへ来ない。 「パロー?」  柏は立ち上がると、歩き出した。名前を何度も呼びながら、リビングを出る。廊下の先で、ベタッと腹をつけて眠っているパロを見つけた。 「パロ! パルタール!」  彼に駆け寄っていくと、パロはぱっと立ち上がり、何かを咥えて玄関にちょんと座った。 「どうした? パロ」  パロが口に咥えていたのは、真っ赤なリードだった。ああ、と呟いて、柏はてくてくとリビングまで戻っていく。 「織ー? 織、パロが散歩待ちしてるぜ」 「……頼んだ」 「また俺? 織今日歩いたか?」 「歩いたよ。早く行け、暗くなるぞ」  玄関に戻ると、パロが首をかしげてきょとんとしていた。赤い首輪がよく似合う。  リードを取り上げると、パロは嬉しそうに尻尾を揺らしながら柏に飛びついた。 「お前ぇ! 歩いてくれりゃ誰でもいいのかぁ?」  ワシワシとパロの頭を撫でる。パロは早くしろと言わんばかりに柏の指に噛み付いた。 「いででで、分かってるから」  柏が首輪にリードを取り付けると、パロは嬉しそうに飛び跳ねてそわそわしだした。犬らしくてカワイイやつだ。 「いってきます」  扉を開けると、パロは嬉しそうに外に飛び出した。しかし、すぐに立ち止まって振り返る。 「どうした、パロ? 俺を待ってるのか!? なんて奴だ、かわいいなぁ!」  しかし、柏が外へ出ても、パロは歩こうとしない。じっと扉を見つめて待っている。 「……お前のご主人を待ってんのか? 残念だけどあいつは来ねぇよ」  パロはしょんぼりしているようにも見える。しかし散歩には行きたいようで、トボトボと歩き始めた。 「織が来てくれねぇと寂しーよな」  パロは反応を返すことなく、大人しくてくてく歩き続けた。  散歩から帰ると、織がカップ麺を啜っていた。五個入りの小さいやつだ。呆れた顔をして、柏が近付いてきた。 「あのさ、織の貧血、それ絶対その生活のせいだろ」 「そうだな」 「そうだな!? 分かってんなら対策取れよ」 「死んだら考えるから平気だ」 「死んだら死んでんだよ」  柏は眉をひそめて、不満げな顔でパロと向かい合った。 「パロ、お前のご主人は不健康だ。あ、お前もな。太りすぎじゃないか?」 「パロの散歩には毎日行ってる」 「その散歩も今や俺の仕事ですけどね、織先生」  パロに右手の親指を噛まれながら文句を垂れる。織は知らぬ顔をしてカップ麺を啜っている。 「そんなんで倒れても助けてやんねーからな」 「構わない、パロがいる」 「パロが119番してくれるか? パルタール(フィクション)だってできやしないのに」  正論を返されて、織が、不機嫌そうに柏を睨む。 「この家の主は俺だ。文句つけるな、ペットの分際で」 「ペッ……聞いたかパロ、織は横暴な奴だ」 「パロおいで、ご飯にしよう」  ご主人の声に、パロはぱっと駆けていく。唯一の味方を失ったような心地で、柏がむっと口を尖らせた。 「文句じゃなくて注意だ。心配してるんだ」 「どうでもいいが、俺のことをどうこう言いたいなら、金を増やしてこいよ」  織は、不機嫌そうな声音でそう言った。  織はやっぱり北条都築だ。柏はその時痛感した。 「このひねくれ屋め」  織がぴくりと肩を揺らし、目を伏せた。 「いっってぇ! パロ!」  声に驚いて、織は顔を上げた。柏の左手に、パロが噛みついている。パロは攻撃的な性格ではないが、なぜだか柏に強く当たる。柏を、自分より後に来た後輩だと思っているのだろうか。 「そんなに俺が嫌いか? 散歩には行くくせに」  柏は綺麗な顔でかわいこぶって、またパロに噛みつかれていた。

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