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三、女の勘

「あー肩こった」  舜海はぐるぐると肩を回して、再び法衣を着崩した。千珠も袖から腕を抜いて懐手をする。 「俺はどうも紗代様は苦手だな」 と、千珠。 「そやろな、お前を見る紗代様の目付き、まるで恋敵を見るような目や」  舜海はからからと笑っている。 「恋敵ね、くだらん。しかしあんなに近くでお目にかかるのは初めてだけど、あんなに冷たく観察されるとはな。居心地が悪いったらない」 「そんな格好で行ったんが間違いやったな。まぁいいやん、普段は接点もないわけやし」 「ま、それもそうか」 「まぁ殿も紗代様とおるよりは、側室の桜姫(おうひめ)とおることのほうが多いみたいやしな。ちょっと賢すぎるんやろな、紗代様は」 「どうでもいいことだ」  千珠は興味がなさそうにそう言うと、「着替えてくる」と言い残し、すたすたと自室の方へひき上げてゆく。 「おう、警護も頼むで」 「はいはい」  千珠は背中を向けたまま手を挙げた。舜海はそんな千珠の背中を見送りながら、微笑む。  あいつも、表情豊かになったもんや。  この一年で、千珠はずいぶんと表情が柔らかくなった。自分が誰かに稽古をつけるなんてことになろうとは、千珠も思ってもみなかっただろう。  かつて花音(かおん)がすぐに懐いたように、千珠にはそこはかとなく、親しみやすい雰囲気があるようだ。そしてそれに加え、千珠が"人間を護る"という決意を持ち始めたからに他ならぬと、舜海は感じていた。  舜海は千珠の多くを見てきた。  かつては今人の血を持ちながら、数多の人間を斬り殺したことへの罪の意識や、そんな鬼である自分がこの国に留まって良いものかという不安で、今にも壊れそうに見えた千珠の心であった。しかし今は、そういった陰はすっかりなりを潜めているように見える。舜海にとって、それはとても嬉しいことであった。  ❀ 「わたくし、あのように美しい男は見たことがありませぬ」  光政の背後で襟を正しながら、紗代はそう言った。光政は紗代の方を見るでもなく、浅く笑う。 「はは、俺もそうであったさ。まぁしかし、大分いい顔つきになってきたな」 「確かに以前にお見受けした時は、戦の直後ゆえか、もっと痩せて神経質そうなお顔でしたわね。しかし今日はあのような格好のせいか、何だかまるでおなごのような」 「昔からあいつはよく間違われていたさ。美しい男だからな」  紗代は光政の脱いだ衣を畳みながら、開け放たれた障子の向こうに広がる夏空を見上げて居住まいを正す、光政の広い背中を見遣る。 「殿は千珠さまのこと、随分とお気に入りでいらっしゃいますものね」 「ん?まぁ……そうだな、あいつのおかげで今のこの平安があるのだから。この国に迷い込んでくれたこと、感謝しているのさ」 「そうですか……」 「気になるか、千珠のことが」 「あのようなお姿を見て、気にならない者がいたら会ってみたいものです」 「ははは、それもそうだな」  紗代の答えに、光政は気軽な様子で笑う。しかし笑顔を引っ込めた後の微かな隙間に一寸の影が差す様子を、紗代は見逃さなかった。

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