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四、柊の微笑

 その日の夕暮れ時、光政の嫡男・光喜の誕生を祝うため、紗代の両親とその親戚達が三津國城へとやって来た。豪華な籠と馬、大勢の付き人に守られながら一行は城門をくぐり、城の者たちからのもてなしを受けている。  そんな行列を、千珠は天守閣の上から見守っていた。天守に立つと、遥かに瀬戸内に夕日を照らす様が見える。そんな風景を美しいと思えるまでの余裕を持てるまでに変化した自分の心に、千珠はまだ気付いていない。   「壮観ですねぇ」 と、横に控えた柊が言う。 「そうだな、いい景色だ」 「あ、俺は行列のことを言うててんけど。しかしまあ、確かに美しい夕日ですねぇ」 「え、ああ……」  千珠は少し、照れたように口ごもる。  「千珠さまは、よう笑わはるようになりましたなぁ」  千珠は柊を見上げた。黒染めの着物は身体の線に沿うように引き絞った作りになっており、すらりとした細長い体躯に無駄な線はなく、腕組みをして直立している柊はまるで棒のようである。  そんな忍装束を身に纏う柊は、おそらくこの国の中で誰よりも背が高く、話をする時は千珠はかなり上を見上げねばならない。 「そうかな」  千珠も、目立たぬように黒い着物と薄墨色の袴に着替えていた。一つに結い上げた長い髪が、風になびいてきらきらと輝く。 「ええことです。殿もお喜びでしょうな」 「そうかもな」 「すっかり城の者たちとも馴染んできたとか。特に、女たちが放っておかないご様子」  千珠は、ふっと笑った。柊も微笑むと、「千珠さまの浮名はよう聞いてます。()い女はいないのですか?」と、問う。  千珠が人間たちに馴染むようになってからというもの、女たちも千珠に目をつけないはずはなかった。  城で働く女たちは、皆千珠に憧れた。積極的な女は千珠の身の回りの世話を口実に彼に近づき、肉体関係を迫る者も多いのである。  千珠も年頃であるため、そんな誘惑を跳ねつけ続けることはできず、何人かの女の誘いには乗ってきた。柊にはそれが知れているようだ。 「女はいいね、皆正直で飽きない」  千珠は何人かの女を思い浮かべてそう言うと、柊が声を立てて笑う。 「ははは、さすが、色男は言うことが違う」 「ていうかさ、お前、また覗いてたのか?」 「いやぁ、俺は見てませんよ。噂を聞いてただけやから」 「どうだかな、舜海にお前は覗きが趣味だと聞いている」 「戦の時はそれが仕事やったもんで。でも最近はそういう仕事も少ななってきたし、なんもやましいことしてませんよ」  柊は一重瞼の切れ長な目元を細め、涼し気な微笑を浮かべながらそう言った。千珠は「不気味な奴」と、ぼそりと呟く。 「舜海とは、まだ続けてはるんですか」 「……まぁな」  満月の一夜、半妖である千珠は妖力の全てを失い、非力な人間の姿となる。その一夜を、いつも舜海に護衛されているのだ。  それは光政と柊のみが知っていることで、どこで一夜を過ごすのかということは誰にも知らせてはいない。  その時は、毎度のように舜海に抱かれた。その交わりは、空っぽで心許ない身体に舜海の力強い霊気が満たされてゆく安堵感と、激しく燃え上がるような肉体の快感があるために離れ難いものだった。  更にそれは、まるで彼の肉を食らうかのような喜びでもあり、いくらでも舜海を欲しいと感じてしまう。  どんな女と交わるより、舜海の肉体は千珠の気を狂わせるのだ。 「やめられなんいだ、あいつの身体は。どうしようもなく美味なんでね」  そう言って紅い唇を吊り上げる千珠の目には妖艶な光が宿り、柊は微かに身震いをした。恐怖のためか、色香にあてられたせいなのかは分からない。 「……怖い怖い、なんとも不思議な関係ですなぁ」 「まぁ、女を知ってからは、女も悪く無いと思っているよ」 「なるほどね。……ん?どうしはりました?」  千珠は、ふと慣れない匂いを嗅ぎつけ、表情を固くした。 「何の、臭いだ?」  鬼は鼻がきく。臭いを頼りに、千珠は城の中に運び込まれた異質なものの気配を辿った。 「これは……呪いか?」  俄に湿った風が吹き荒れはじめ、雲の流れが早くなる。  千珠はじっと眼を閉じて気配を窺っていたが、ふと瞼の裏に紗代とその家族の姿の像が浮かび、そして光政への供物の中に異様な気配を嗅ぎ取った。 「あいつらの荷だ。何かある」  そう言うやいなや、千珠は五層からなる天守から遥か眼下の地面めがけて飛び降りると、すたんと身軽に地面に降り立ち、光政たちの会合の場へ向かう。  突如空から降ってきた千珠に、警護の兵たちは仰天しつつも、顔を見合わせてその後に続いた。 「千珠さま!何事ですか?!」 「彼らの持ってきた土産物はどこだ?」  兵達は必死で千珠の足に追いすがりながら声を張る。 「あちらの一室にまとめてあります!」 「よし、舜海を呼んでくれ」 「御意」

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