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六、女の色香

 親戚の者たちを広間に残し、光政は千珠と舜海の待つ部屋へとやって来た。後から留衣も顔を出す。 「一体どういう事だ」  光政は(くだん)の箱を前に、舜海に尋ねた。 「宋の商人から買ったそうやな。繁栄なんてええもんちゃうで。誰かを殺すほどの怨念や」 「お義父上を通してこの国に持ち込ませたのか?一体誰が……」  舜海は顎に手を当てて、考え込んでいる。光政も腕を組み呟いた。 「この国は潤っている。恨みを持つ者も少なくはなかろう。先の戦で大勝利を収めたのだ。東軍の生き残りの者たちは面白く無いだろうしな」 「そうやな……しかし、紗代様は一度この中身に触れているようやし、嫌な予感しかせぇへん。今夜は一緒におらんほうがええ。寝首かかれてもかなわんやろ」 「そうするよ」  光政は肩をすくめ、後ろに立つ千珠に「しばらく、紗代の身辺を隠密に探れ。一時足りとも目を離すな」と、命じた。 「分かった」  千珠は短く答える。留衣も頷くと、その場から立ち去ろうと踵を返した。 「待て、留衣。お前ではなく、柊をつけろ」 「え、何故だ?私でも出来る仕事ではないか」 「親戚の手前もある。お前は大人しくもてなしの方へ回るのだ」 「何を言い出すのだ、兄上。別に私がいなくとも……」 「今回はやめておけ、いいな」 「あ、待てよ!」  光政は一方的にそう言い付けると、宴席へと戻って行ってしまった。取り残された留衣は、まるで解せぬといった表情で、兄の背中を見送っている。 「何だよ、あれ!おい、舜海、どういうことだ!?」  留衣は舜海の胸ぐらを掴んでぐらぐらと揺らしながら、八つ当たり半分に問い詰めた。 「おい、俺に当たるな!何も知らんちゅうねん!苦しい!」  舜海はがくがくと頭を揺らされながら両手を挙げ、留衣を宥めすかして、どうにか襟を離してもらう。 「お前からは女の匂いしかしない」  千珠がぽつんと、そんなことを言った。 「何?どういう意味だ」  留衣は険しい顔で、今度は千珠に詰め寄る。 「気配が消えてないんだよ、最近のお前は。見張りには向かない」 「そんなこと……!」  留衣はやや狼狽(うろた)えて、今度は千珠の胸ぐらを掴んだ。 「適当なこと言うな!修行だって欠かさずにやってるんだ、そんな気の緩みはあり得ない!」 「気が緩んでると言ってるんじゃない」 「まぁ言うたら、女の色香が隠せへんようになってきてるんやな。好きな男でも出来たんやろ」  舜海が頭を掻きながら口を挟むと、留衣は顔を赤く染めながらも硬い表情を浮かべ、息を呑んだ。 「……え?」 「もし紗代さまが何かに取り憑かれているとして、お前が近くで何やら探りを入れとったら……女同士やからな、余計にその気配は敏感に感じ取られてしまうやろう。やし、今回はやめとけ。部下に任せるのも頭の仕事や」 「そんなこと……!」 「いいから、俺達に任せておけ」  千珠は留衣の肩をぽん、と叩いた。触れた留衣の肩は、怒りで小刻みに震えている。   「私が女だから……だと。色香が出てきたから隠密行動は取れないだと?」 「それからお前は、紗代様にあまりいい感情を持っていないだろう」 と、千珠は指摘する。 「……」 「大好きな兄上の嫁だ、無理もない。しかしそれでは、雑念が邪魔をする」 「……」  留衣は悔しげに下を向いた。 「だから今回は、やめとけ」 「お前はどうなんだ、千珠。お前だって、兄上と紗代様のこと、良く思っていないのではないか?」  留衣は怒りの目を千珠に向けた。千珠は、少し驚いた顔で留衣を見返す。 「どういう意味だよ」 「お前と兄上のことを私が知らないとでも思っているのか」 「……昔の話だろ」  千珠は顔色こそ変えなかったが、僅かながらではあるが狼狽する様子が伝わってくる。そんな二人の様子を見兼ねた舜海は「お前らもう、いいかげんにせぇ!」と、二人の間に割って入った。 「敵を前に、何を仲間割れをしてるんや!しっかりしせぇ!留衣、殿のご命令は絶対や、お前は今回は引け。ええな!」 「……畜生」  留衣はくると背を向けて、部屋を出て行ってしまった。 「それから千珠、留衣のことは、ほっといたれ。微妙なお年頃なんや」 「俺はありのままのことを言ったまでだ」  千珠は腕組みをして壁にもたれ、素っ気ないことを言う。 「ええか、留衣は殿の妹君やからな、縁談の話だってなくはない。今はな、そのことで上は色々ともめてはるんや。殿は留衣の意志を無碍(むげ)にはしたくないと思ってはるけど、他のお偉方はそんなに寛大な奴らばかりじゃない。せやから、その狭間で色々と悩んではるし」 「縁談?あいつに?」  千珠は驚いて少し声が大きくなった。 「まぁ、あんなお転婆もらってくれる殿方はおらんかもしれへんけど……。まぁでも、年頃になってくると、本人がしたいようにばかりは出来ひんくなんねん。特に女はな」 「ふうん……」 「お前が言ったように、最近の留衣は目立ちすぎる。年頃の女が、いつまでもできる仕事でもない。留衣も身の振り方を少し考えへんとあかん時期やな」 「面倒なんだな、女として生きるっていうのは」 「特に留衣には、身分もあるしな。まぁ、あいつの人生や。俺たちがどうこう言えるもんでもないがな」  千珠は何も言わず、もう一度箱を見下ろした。何もなければ見惚れてしまいそうに美しい造りをした品物だが、今はそのきらめきさえも不穏に見える。  これから何かが起こる、千珠はそう確信していた。

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