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十九、犠牲のもとに

  「この災厄は、俺が招いたようなものだ。お前たちにこんな怪我を負わせて、紗代にもこんな負担を……」  そんな人々の様子を眺めながら、光政は苦い顔でそう言った。紗代の休む部屋の縁側に立ち、光政は腕を組んだ。その脇に千珠は座り込んでいる。こうして光政のそばに控えるのは、戦以来だった。 「お前のせいじゃないさ。ただ、今ここにある平和の(もと)に、こういう犠牲を払っているということを、忘れちゃいけないってことだろう」  千珠疲れたようにそう言うと、光政は千珠を見た。 「もうこれ以上悲劇が起きないように、お前がしっかりしてたらいいだけの話だ」 「ふっ、軽く言うな」  千珠の言葉に、光政は少し笑う。 「紗代は……しばらくは起きないだろうとさ。全く、こんなことが起こるなんてな」 「そうだな」 「千珠、明日は満月だ。舜海はあの様子だからお前を護れない。明日の晩は俺のところに来い」 「……でも」  光政は千珠の方を見ずに、静かな瞳のままそんなことを言った。千珠がためらうと、今度は千珠をまっすぐに見る。 「これは命令だ。話したいこともある」 「……分かった」  光政の強い口調に、千珠は思わず頷いた。二人は、しばらく目を逸らせないでいた。午後の湿った熱い夏風が、ふわりと二人の間を通り過ぎる。  そこへ腕を布で吊った留衣が出てきた。薬師に手当を受けたのだろう。留衣は二人を見ると、少し苦い顔をして背を向け、歩き去ろうとした。 「おい、待てよ」  千珠は思わず呼び止めて、立ち上がる。しかし立ち止まろうとしない留衣を、慌てて追いかけた。 「何で無視する」  留衣の肩を掴むと、千珠はぐいと引き寄せた。留衣は不機嫌そうな顔で、少しばかり自分よりも背の伸びた千珠を見上げる。 「別に、兄上と話していたから近寄らなかっただけだ」 「さっきのこと、まだ怒ってるのか?」 「怒ってなどいない!私には関係ない」  留衣は千珠の手を振り払うと、千珠に向き直って睨みつける。 「……その腕、どうした?」  千珠は留衣の腕を見ている。留衣は、少し悔しそうな顔のまま腕を揺らすと「吹き飛ばされたときに、軽くひびがな。私も柊も、お前らと違って人外のものと相対するのは慣れていない。また修行をしなくては」と、言った。 「痛むのか?」 「大したことない」  留衣はつん、と横を向く。 「大体、お前は最強の鬼なんだろ?お前がとっとと片付けないからこんなことになるのだ」  千珠はむっとした顔になり「悪かったな。紗代様をひっかくわけにいかないだろうが」と、反論する。 「ふん、ひっかくしか能が無いのか」 「……」  確かに斬る、裂く、しか能のない千珠は、それ以上言い返すことができぬ様子で、ぐっと言葉に詰まった。    留衣はそんな千珠をちらりと見ると、急に吹き出した。 「あはははは!お前……そんな顔もできるんだな」 「何だと?」 「そんな……悔しそうな、子どもみたいな顔……!あははは」  留衣は笑いが止まらない様子で、腹を抱えて笑っている。千珠はそんな留衣を恨めしそうに見下ろしながら「五月蝿いなぁ」と、文句を垂れた。 「でも、お前は笑っている方がきれいだぞ。さっきの機嫌の悪い顔ときたら、紗代様より恐ろしい」  留衣は、はたと笑うのをやめて千珠を見上げると、みるみる顔を赤くして千珠からぎこちなく目を逸らした。 「……ふん、お、おお大きなお世話だ」  留衣はそのまま小走りに行ってしまったものだから、千珠はその行動が理解できず、頬を爪の先で掻いた。  遠くからそれを見ていた光政はふっと微笑み、千珠に歩み寄って肩を叩いた。 「お前、どこでそんな台詞覚えたんだ?女泣かせになったな」 「どういう意味だよ」 「よいよい、いい感じではないか。ははは」  光政は声を立てて笑うと、何の説明もしてはくれずに紗代の寝所に戻ってしまった。 「なんと……こういう取り合わせを忘れてましたなぁ」  千珠が訳の分からぬまま取り残されていると、どこからともなく柊が現れ、千珠の耳元でそう囁く。  千珠は驚いて飛び退くと、涼しげににやつくというややこしい表情を浮かべている柊を睨んだ。 「急に現れるなよ、気持ち悪い」 「千珠さまらしくもない、ぼうっとしてはりましたな。まったく、こういうことには鈍いお方だ」 「だからさっきからどういう意味だよ?」 「ははは。まぁでも、今のお二人の姿は、なかなかに微笑ましかったですよ」 「……分からぬ」  千珠は呟き、柊はまた可笑しげに笑った。

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