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八、封印術

「おい!どうしたんや!」  飛び起きて千珠の傍らへ行くと、舜海は悶え苦しむ千珠を抱え起こした。胸を押さえる千珠の顔は真っ青になり、呼吸は早く、身体は汗でぐっしょりと濡れていた。  舜海はさっとあたりに目を走らせ、片手で手印を結ぶ。すると、千珠の心臓のあたりからまるで線香から立ち上る細い煙のような光の筋が、ゆらりと空へ立ち昇った。 「城の中や!留衣、あそこ狙え!」 「おう!」  その光の筋は、城壁と木々の隙間から流れ出てきているのが見て取れた。留衣は、すぐさま着物の裾の下に装備している苦無を抜くと、舜海の示す場所へ数本打ち込んだ。 「うわぁ!」  甲高い声がして、木の中から何者かが転がり落ちてくる。その瞬間、千珠の身体から光の筋が切れ、強張っていた千珠の身体から一気に力が抜けた。 「千珠!」  舜海は留衣に千珠を託すと、走って黒い物体が蠢いている場所へ向かう。まだ立ち上がれずにいる黒服の人物の身体を片手で掴み上げると、樹の幹にどんと押し付けた。 「誰やお前!千珠に何をした!」  大きな編笠に、小柄な身体。門兵が話していた怪しい小僧であろう。舜海は奥歯を噛み締めて「お前か、こないだここへ来たやつは。千珠に何の用や!?」と、問い詰める。 「この城には、禍々しい妖気が漂っていたでござんす。お困りであらばお助けしたいと、忍びこんで参りました」 「禍々しくないわ!この妖気は、この国を守った鬼の気や!いらんことしよって」 「そんな!こんな強大な気、今まで見たこともないでござんす!こんな妖を国で飼うとは……」 「飼うとは何や!こっち来い!」  舜海はその編笠の人物をずるずると引きずると、千珠と留衣の前に突き飛ばす。 「何だこいつは」  留衣は千珠を抱き抱えたまま、憎々しげにその小僧を見下ろす。小僧は苦無で傷ついた腕を押さえながら、二人を編笠の下から見上げる。 「そいつがお前の感じた妖気の主や。そんな怪しい奴に見えるか」 「こんな……小童の妖気?」 「こいつは白珞鬼の千珠。この国に仕えて戦を終わらせた男や。おせっかいなことしよって。面を見せろ」  舜海は大きな編笠を無理やり取り去る。 「?子ども……」  編笠の下には、薄汚れた黒衣を着込んだ小柄な女がいた。着物も袴も白く埃に煤けた小汚い格好をして、女には珍しい短めの髪の毛は、低い場所で一つに結われている。長い前髪を額の真ん中で分けた下には薄い眉とつぶらな目、小さめの鼻と唇は、丸顔と相まってえらく童顔に見える。  千珠を見て困惑し、自分の存在を露見してしまった罰の悪さからあたりを見回す様子が、さらにその姿を幼く見せていた。 「……子どもではありませぬ。もう私は齢二十。ただ、背が低いだけでござんす」 「誰だお前」 と、驚き顔の舜海が問う。 「私は陰陽師でござんす。所用を終え、京へ戻る途中にこの気を嗅ぎとり、ここへ」 「何をしたんや、こいつに」  舜海はぐったりと動かない千珠を指して、鬼のような形相で問い詰めた。女は、そんな舜海の表情に少し怯えたような顔をする。 「……妖力を封じる封印術をかけたのでござんす。術式の詠唱を終えていないので不完全ゆえ、二、三日妖力を封じる程度……」 「封じた……だと?」  千珠が重たげに身体を起こし、掠れた声を出す。留衣に支えられ、何とか起きあがっていられるような有り様であった。 「千珠、大丈夫か?」  留衣は千珠の背中をさすりながら尋ねた。千珠は頷くと、違和感を感じていた心臓の上に手を触れ、着物の合わせ目をぐいと開いた。 「これは……」  千珠の心臓の上に、まるで筆で描いたかのような黒い字が浮かび上がっていた。ちょうど心臓を覆うように、”封”という文字が。 「妙な真似を……」  千珠はゆらりと立ち上がると、裸足で庭に降りてその女の胸ぐらを掴み上げた。その目にははっきりと怒りの色が浮かんでいる。 「貴様、どこぞの間者ではあるまいな。何を企んでいる」 「わ、私はそんなものではないでござんす。ただ、通りかかって……」 「俺は自分の妖力を抑え、外の者には気取られないようにしてきた。何故お前は気づいたのだ」 「わ……私は……幼き頃から(あやかし)の類を感じ取る力だけは人よりも優れておりましたゆえ……」 「じゃあこの(しゅ)を解け!まるで力が入らない」  千珠は怒りと焦りに任せてその胸ぐらをさらに強く締め上げると、女は涙目になりながら千珠から目を背けた。 「も、申し訳ありませぬ!途中でかけ損じた術式を解く(すべ)はないのでござんす」 「何だと……」  明らかに落胆した様子の千珠が手を離すと、女は地面に転げ、げほげほと咳き込んだ。 「千珠、見せてみろ」  舜海は千珠に座るように促すと、胸の文字を調べた。筆で書いたような字だが、当然のことながら擦ってみてもまるで消える気配はない。 「どんな感じや?」 「何か……身体に力が入らないな。跳べる気もしない」  千珠は落ちていた編笠を拾うと、宙に放って爪で切り裂こうとした。いつもならば、一振りでばらばらになるであろう笠は、四本の爪の筋が食い込むだけで、ぱさりと地面に落ちた。千珠は、自分の掌を見下ろすと、ため息を吐く。 「こんなこともできないのか」 「まぁ、お前は普通の刀だって使えるやないか、今日から腰に差しとけ」 「そうだな……」 「しかし、どう落とし前つけてくれるんや、おら」  舜海は僧に顔を近づけて凄んだ。女は更に怯えた顔をして顔を背ける。 「術が解けるように、頑張ってみるでござんす。……まさかこんなにも、人の中で大事にされている妖だとは思いもよらず……」 「今までいろんな妖を封じてきたようだな」  留衣は腕組みをして、女をまじまじと見下ろした。女は留衣を見上げ、また目を伏せる。 「はい……仕事柄、人に害をなす妖は封じてまいりました」 「ふむ」  留衣は女の姿を頭から爪先までを観察し、自分の投げた苦無のかすった腕に目を止めた。衣が裂け、血が流れている。 「とりあえず、怪我の手当くらいはしてやろう。じゃないと、千珠の術を解くこともできまい」 「でもなぁ……まだろくに調べもしてない奴やぞ?」  舜海は腰に左手を当てると、右手で自分の顎を撫でた。 「もういい加減にしろ、寄ってたかってこんな女一人に、みっともないぞ」  留衣は呆れ顔で、ため息混じりにそう言った。 「私が責任持って取り調べる。忍頭としてな。手当が終われば、容赦なく牢につないでおくさ」 「……そうか?」  舜海はまだ釈然としない顔だが、千珠は何も言わずに肩をすくめた。 「俺はそれでいいよ。どうしようもないだろ」 「お前がそれでいいならええけども……、後でじっくり話聞かせてもらうからな」 「……はい」  女は舜海を見上げながら、小さな声でそう言った。 「お前、名はなんという?」 と、留衣。 「……篠原、宇月(うづき)と申します」 「そうか、よし、ではついてこい」  留衣は庭から外に出て、宇月を連れて歩き出す。よろよろと覚束ない足取りで、宇月はその後をついてゆく。

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