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十五、求婚

 昼餉時、留衣は光政に呼ばれていたため、本丸へと向かっていた。昼餉を食べつつ陰陽師の件を報告せよとのことであったため、留衣は忍装束から平服へ着替えて兄のところへ向かう。  宇月を召抱えてほしいという旨の話も、するつもりだった。反対されるのは分かっているが、光政は頭から部下たちの申し入れを突き放す男ではないため、きっと話だけは聞いてくれるであろうと、留衣は思っていた。 「兄上、遅くなってすまない」 と、留衣が襖を開けると、そこには兼貞が膳を前にして座っている。  兼貞は細い目を見開き、留衣は驚いて声も出ない。 「これは……留衣どの……」 「あ。失礼致しました。兄上に呼ばれたので……」  留衣が慌てて膝をつき、一礼すると、兼貞も留衣の方に身体を向けて礼を返した。みるみる兼貞の顔は赤く染まっていく。 「おそらく……気を回してくだされたのでしょう。このまま放っておくと、私が滞在中に一度もあなたと言葉を交わさぬと」  兼貞は早口にそう言い、咳払いをした。色恋沙汰に疎い留衣でさえ、兼定が自分と対面していることに照れていることが分かるほどに、兼貞はあがっている。 「ああ……なるほど」  留衣は少し戸惑ったが、確かにずっと逃げ回っているのも失礼だと感じたため、襖を閉めて兼貞の方へ進んだ。  しかし、いきなり二人きりにされるとは思ってもおらず、留衣は兄に腹立たしさを感じ、やや不機嫌な顔で兼貞の前に座る。  沈黙が流れる。 「あの……どの程度お聞き及びか分かりませぬが……私は……」  兼貞は沈黙と留衣の表情に耐えかねたのか、咳払いをしながら、たどたどしく話し始めた。 「あなたを、私の妻として、周防の国に迎えたいと思っております」  人づてに聞いてはいたが、はっきりと本人からそう言われると、留衣はさすがにどきりとした。ちらりと兼貞を見やると、兼貞も同様に留衣のほうを窺うように見る。目が合うとぱっと視線を外し、手元をじっと見つめている。 「……突然のことで驚かれると思いますが、私はあなたのことを昔から知っています……それで……」 「私だって存じています。ただ、こんな忍として働くような物騒な私を、何故あなた様のような賢い方が嫁に欲しがるのか、分かりませぬ」  留衣は、きっぱりとそう言った。常々感じていた疑問だった。兼貞は、そんな留衣を顔を上げて見つめ、ふっと笑みを浮かべた。細い目が一層細くなり、驚くほど優しい表情になることに留衣は気づいた。 「そんなあなただからこそ、惹かれました」 「え?」 「私は身体がそんなに強くはありませぬ。あなたは、いつも元気に外を飛び回り、とてもお強い。一生懸命、光政殿のために働いておいでだ」  兼貞は庭のほうを見やりながら、少し遠い目をして微笑んだ。 「なんと自由で、なんと美しい方かと、初めてお見受けした時から、忘れることができませんでした」  留衣は、にこにこと柔らかな笑みを浮かべて話をする兼貞に、不覚にも心臓が高鳴るのを感じた。 「私は、女としての嗜みを何も知りませぬ。兼貞様に恥をかかせてしまいますよ」  留衣は努めて冷たい口調でそう言ってみた。兼貞は相変わらず笑顔を浮かべて、首を振る。 「私は、そんなことは気にせんよ」 「じゃあ何のために、私を嫁になどと言うのです?」  少し苛立った口調の留衣を、兼貞は驚いた顔で見た。そして、また殊更顔を赤くする。 「私はただただ、留衣どのに側にいてもらいたいだけじゃ。政のためとか、世間体のためではなく、あなたのことをもっと知りたいだけなんじゃ」  途切れ途切れにそう言った。留衣は、何度も瞬きをすると、兼貞のまっすぐな言葉を胸の内で反芻してみた。  自分を求めている、そういう気持ちがまっすぐに伝わってきた。  留衣は何も言えず、徐々に高鳴る心臓の鼓動を必死で抑えようとしていた。 「それとも……もう他に好きな男がおられるのかな」  何も言わない留衣の答えを、拒否と受け取ったらしい兼貞は、消沈した声でそう尋ねた。留衣ははっとする。  千珠の顔が浮かぶ。   いつもどこか遠くを見ているような目。稽古に打ち込む真剣な表情。たまに見せる笑顔。  しかしいつも、千珠の存在はどこか遠い。  一緒にいた時間の割に、自分が千珠のことをよく知らないことに愕然とする。  初めて彼がこの城に来てから、あの強さと美しさに圧倒されてきた。戦での活躍にも、嫉妬することすらおこがましいほどの力の差があった。  自分よりも、兄の役に立っている。  自分よりも国を護っている。  憧れと同時に、そういう想いを、いつも心の何処かで感じていた。 「好きな男……ですか?」  ――私は千珠のことを、好いているのだろうか。夫婦になりたいと、思っているのだろうか。  あいつは、私のことが、必要なのだろうか……?  何も言わない留衣を、怪訝な表情で窺う兼貞の視線に気づくと、留衣は正座した膝の上で握っていた拳を、ぎゅっと握り直した。 「好きな男など、おりませぬ」 「そう……ですか」  兼貞は安心したような、困ったような微妙な表情を浮かべると、留衣に少し近づいた。そして、おずおずとその握り締められた拳の上に掌を重ねる。  思ったよりも、大きな手だった。兼貞に触れられて、留衣はぴくりと反応したが、その手をひっこめることはしなかった。  ひんやりとして、柔らかな手だった。 「それならば、私との未来を、考えてみてはくれないだろうか。私が国に帰った後でもいい、少しでも、私のことが記憶に残るのならば、私のもとに来て欲しい」 「……はい。考えて、みます」 「えっ」  留衣の予想外な素直な言葉に、兼貞は驚いていた。留衣は手を振りほどくこともなく、じっと重ねられた手を見つめている。  自分の気持が、彼女に届いたのだろうか。  兼貞は少し嬉しくなり、笑顔を浮かべた。そんな兼貞の安心した表情に、留衣もつられて少し笑う。 「今日、初めて笑ってくれたのぅ」  兼貞がにっこりと笑うと、鋭い目元がすっと細くなり、優しい表情になった。    留衣は必死に千珠の笑顔を思い出そうとしていたが、それはうまくいかなかった。

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