91 / 341

二十、房中術

「どうした?」 「え、いえ……あんなにお疲れになってしまうなんて、私はいらぬことをしてしまったと、改めて反省していたでござんす」 「あれはそんなんじゃないで。単に色事でお疲れなだけや」 「へっ、あ、ああ……なるほど、それで」  宇月は真っ赤になると、ごそごそと再び机に向かい、両手で赤く染まった頬を押さえながら書物に向かっていた。柊はふと、こんなことを訊ねた。 「そういう色事で、気が落ち着くことがあるんか?」 「へっ?え、ええまぁ。房中術と言って、それを術にしている者もいるくらいでござんすよ。交わりによって気を高めることも乱すこともできるのでござんす」 「ふうん。無意識にそういうことができる奴もいるのか?」 「はい、稀に。気の相性がとても良い相手に巡り合うと、そういう効果が現れることがあるでござんす」 「なるほどね」  千珠と舜海の関係を知っている柊は、心の底から納得していた。道理で、本能的にお互いから離れられないわけだ。 「それで千珠さまの気が落ち着かれているのですか」  宇月も納得したように頷いていた。 「知ってか知らずか、お互い本能的にそういう相手を見つけているらしい」 「それは……あの忍頭のお方でござんすか?」  宇月は、おずおずと柊にそう尋ねた。柊は一瞬ぽかんとすると、その後吹き出した。 「違う違う、留衣殿はそういう霊感の類は皆無やから。千珠さまのお相手のことが気になるのか?」 「い、いえ……もしそうならとてもお似合いだなと思っただけでござんす」  宇月は手を振り回して弁解した。柊はにやにやすると、隣の部屋で寝入っている千珠の様子を覗く。 「男も女も惹きつけるお方や」 「え?」 「いや、何でもない」  柊は首を振ると、人知れず笑みを浮かべた。すると、俄《にわか》に城の中が慌ただしくなっていることに気づく。 「竜胆(りんどう)、いるか?」 「はい、柊さま」  柊がどこへともなく声をかけると、忍装束の若い男が音もなく現れた。 「何かあったか?」 「舜海殿が、何者かに怪我を負わされ、意識を失った状態で見つかりました」 「何やて?」  柊は眉を寄せて竜胆と呼ばれた男のほうを睨む。竜胆は、黒い布で隠れていない目元だけで、頷く。 「確証はありませぬが、東條兼胤とやり合ったようです」 「またしょうもない喧嘩か?あいつのこと嫌いやったもんな」  柊は急に興味を亡くしたようにため息をついた。 「それにしては、ひどいお怪我です。腕が外され、肋も何本か折られていました」 「……なんや、喧嘩にしては派手すぎるな」 「まぁ、薬師に見せたところ、そのうち目は覚ますだろうと。しかし、災難続きですね、舜海殿は」 「この間の怪我から回復したかと思ったらこれか」  柊は腕組みをして空を見上げると、気遣わしげにこちらを窺っている宇月をちらりと見た。 「竜胆、俺は今日はここから動けへん。あの男から目ぇ離すなよ」 「はい」  竜胆は再び音もなく姿を消した。宇月はそれを見ると、目を大きく見開いた。 「舜海様というのは、あの僧のお姿をしたお方でござんすな?」 「ああ、そうや」 「お強そうな方でござんすのに」 「ここにいま来ている客人の弟君とは、犬猿の仲でな。毎回何かしらしでかすんや」 「そうですか……」 「千珠さまには……まぁ起きてからお伝えするか」  千珠は、このことを聞いたらどういう顔をするだろうか……柊はふとそんなことを考えた。  

ともだちにシェアしよう!