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二十三、蹂躙
誰もいない道場の空気は、ひんやりとして、ぴんと張り詰めている。一層激しさを増す雨の音が、道場の中にもこだましていた。
先に中に入った兼胤は、壁にかけてある木刀を二本取ると、一本を千珠に投げて寄越す。足元に乾いた音を立てて転がる木刀を、千珠は拾い上げた。
兼胤は右手で木刀を構えると左半身を引き、切っ先を真っ直ぐ千珠に向けた。そして、自信に溢れた顔でにぃ、と笑う。
千珠は青眼に木刀を構え、眼を閉じて深く息をする。息を吐き切ると、ゆっくりと目を開き、正面に立つ兼胤を睨みつける。刀を持ち、堂々たる姿勢で構えている兼胤は、いつも以上に大柄に見えた。
傷つけられた舜海の姿や由宇の悲しげな顔を思い出し、力の出せぬこの状況で萎れそうになる心を、千珠は怒りによって必死で奮い立たせようとしていた。
「いざ!」
兼胤の声で、二人は同時に踏み込んだ。ぶつかり合う木刀の音と、踏み込む足音が道場に響く。
「……ぐっ!」
兼胤の剣は重かった。身体も大きく筋骨隆々とした兼胤の力は、圧倒的に千珠よりも強かった。力で競り負けた千珠は、身体を弾かれた反動を利用して、ふわりと後ろに跳び、一回転して着地する。そして間髪入れずに鋭い突きを繰り出した。
それは兼胤の脇腹を掠った。兼胤は大柄な割に身のこなしが速く、胴をよじって突きを間一髪避けたのだった。千珠はすぐさま間合いを取ると、今度は飛び上がって頭上から兼胤に斬りかかる。兼胤はそれも紙一重でかわすと、千珠を薙ぎ払うように木刀を振るった。
千珠は再び後ろに飛び退り、またぴたりと青眼に構えた。
兼胤は少し息を弾ませて千珠を見た。余裕のある表情は消え、獲物を狩る鋭い目線を千珠に向けている。
「さすがに、疾いな。ちょろちょろとよう動く」
「今は、力比べではお前には勝ち目がないんでね」
「ふん、それなら捕まえるまでじゃ」
今度は兼胤が千珠に斬りかかる。巨体からは想像できない速さだった。
千珠は素早く床に伏せるように身を低くすると、兼胤の剣を交わしてすれ違いざまに胴を打った。兼胤は低く呻いて、膝をついたがすぐに身を翻して千珠に掴みかかると、千珠の襟を掴んで力任せに壁に向かって投げ飛ばした。
千珠は受身を取り損ねて背中を痛め、顔をしかめた。一瞬生まれたその隙に、兼胤の木刀が千珠の脇腹を狙う。
「……っ!!」
腰を捻り、木刀が肉を貫くのは避けたものの、脇腹を少し抉られ、真っ赤な血が千珠の衣を染める。着物を刺し貫かれ、衣ごと木刀で壁に貼り付けられてしまった千珠は、どう切り返すか必死で考えようとした。しかし、そんな千珠の思考を止めるように、兼胤の硬い拳が千珠の下腹に思い切り打ち込まれた。
「がっ……はぁっ……!!」
千珠は腹にめり込む重い拳を受けて、身体を半分に折った。口から唾液と血液が吐き出され、千珠は声も出せずにその場に崩れ落ちる。
兼胤は千珠の着物を離さず、ぐいと無理矢理に千珠の上半身を起こすと、千珠の首を掴んで壁に押し付けた。
「喧嘩はな、剣だけでやりょうたんじゃ負けるぞ。拳も蹴りも使えるもんは全部使わんとな。どんなに速くても、妖力のないお前なんかただの細っこい餓鬼じゃわ」
「……」
千珠は声が出せず、腹から込み上げてくる吐き気に耐えた。歯を食いしばって、細首を締め上げる兼胤を睨む。
「こんなに血ぃ出してしもうて、大丈夫かぁ?」
間近に迫る三白眼の大きな目には、獲物を捕らえた喜びか、ぎらぎらと残忍な光が宿っていた。兼胤は千珠を道場の床に叩きつけると、その身体の上に馬乗りになった。ほとんど脱げかけた着物を力任せに毟り取り、胸の呪印を見下ろしてまたほくそ笑む。
「傷だらけでもきれいじゃのぅ……千珠。お前を独占する舜海が恨めしい」
そう言うと、兼胤は傷ついた千珠の脇腹の肉をもぎ取るかのように手でいたぶった。傷を素手で抉られる激痛に、千珠は叫び声を上げた。
「うあぁぁあ!!」
「ええ声じゃ、千珠……。さて、喘ぎ声も聞かせてもらおうかの」
兼胤は千珠の両手を押さえこむと、無理矢理にその唇を塞いだ。固く閉じて抵抗する歯を、舌で力任せにこじ開けては、千珠の口内を蹂躙する。千珠は吐き気を覚えて夢中で暴れた。しかしそんな抵抗でさえ、兼胤を喜ばせるだけの可愛いものにしかならぬようであった。
兼胤は何度も千珠の唇を味わうと、顔を離して千珠の表情を楽しむように嗤った。二人の唾液が糸を引き、千珠の唇は赤く妖艶に光っている。
今度は首筋や胸をねっとりと舌で舐め上げられ、千珠の体中に寒気が走り、毛穴が総毛立つ。兼胤は片手で千珠の両手を掴み上げ、千珠の頭上に組み敷くと、空いた手で袴の下半身をまさぐり始めた。
「いやだ!!やめろよ!!」
「大人しうせぇ……すぐ気持ちようしちゃるけぇ」
「離せよ!!やっ……!ぃやだ……離せぇ!!」
「往生際の悪いやつじゃな」
兼胤はばしっと千珠の頬を打った。鋭い音が道場に響き、少しばかり大人しくなった千珠を、兼胤は意地悪い表情を浮かべながら見下ろす。
耳の穴にまで舌が捩じ込まれながら袴が捲り上げられ、白く長い脚がむき出しにされながら、千珠の脳裏に傷だらけの舜海の姿が浮かぶ。
そして昨夜の、涙を堪える舜海の表情が。
自分の弱さを千珠に晒した舜海の表情と、取り繕うようなその笑顔が。
「くくっ……そうじゃ、大人しくしとけ」
兼胤の汗ばんだ分厚い手が、肌を這い回る。千珠はそのおぞましさと、これからなされるであろう行為への恐怖に、固く閉じていた眼を開く。
――……舜海。舜海……!!
「いやだ!触るな!!いやだぁぁ!!」
千珠はかっと目を開いた。
どくん……!! と千珠の心臓が大きく跳ねる。
胸の呪印が、真っ赤に燃え上がり、消えた。
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