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三十、罪のない嘘

「おい、聞いたか?今日は道場が使えないらしい」 「え、何で?」 「なんでも、千珠さまが飲めない酒を飲まされた挙句大暴れをして、道場めちゃめちゃにしたらしいぞ」 「暴れてって……どういう暴れ方したら壁が一枚なくなるんだよ……」 「やっぱあの方、すげぇな」 「ああ、やっぱ強いんだな。最近忘れてたけど、そういう人だったよな……」 「ていうか酔って暴れるって……、酒癖悪いんだな、千珠さま」  稽古に来た若い衆たちが、がやがやと噂話をしている。登城するなり、半壊した道場を目の当たりにした彼らは、どこからともなく流れてきた噂を囁き合った。  午後から、大工たちがやって来て修繕を行うことになっているため、稽古に来た若者たちはばらばらと道場の外のただっぴろい空き地で立ち話をしているのだ。 「じゃあどうするんだ、今日の稽古」 「さあ……説明あるかなと思って、待ってるんだけどなぁ」  大方の門弟達が集まったところで、柊と千珠が道着姿で現れた。千珠が道場の縁側にひょいと飛び乗り、皆より少し高い位置に立つと、それを見つけた門下生たちはぞろぞろとそのもとに集まってきた。  千珠は木刀を床に立て、その柄の上で手を重ねて、門弟達の注目が集まったことを確認すると、一息ついてこう言った。 「まず、今日の稽古は外で行う。何故なら、俺が道場をこんな(ざま)にしてしまったからだ」 「酔ってたって本当ですか?」  千珠のすぐそばにいた、まだ齢十三、四の少年が尋ねた。千珠はちらりとその少年を見ると、肩をすくめる。 「本当だ」 「ええー!」  門下生たちから驚きの声と、笑い声が起こった。 「無茶苦茶ですねぇ、どう暴れたらこうなるんですか」 と、少し年上の男が笑いながらそう言うと、千珠は苦笑した。 「まぁ、それは皆の想像に任せる。光政殿には、きちんと詫びを入れなくちゃいけないが」 「殿の留守中にはめ外したわけですね、舜海どのに乗せられたんですかい?」  今度は、千珠と同じ年の頃の少年がそう言った。 「まぁ、そんなところだ」 「ちなみに舜海は、また怪我をして床に臥せっている。というわけで、しばらくはまた千珠さまと俺が稽古につくことになったのでよろしく頼む」 と、今度は木刀を担いだ柊が、縁側にゆらりと上がってそう言った。  門下生たちはまた笑い出す。 「舜海さまとやりあって道場壊したんですか?全く、激しいお方達だな」 「まぁでも、そういうことなら想像できるな。しかも舜海殿が臥せっているということは、ぼこぼこにやられてしまわれたっていうことだよな」 「やはり、千珠さまは無敵だな」  門下生たちががやがやと笑い合い、そんな話をしている中、千珠と柊は目を見合わせた。   千珠が酒に酔ったという一つの嘘の他は、事実を並べて伝えただけだが、話がすっかり大きくなっている。しかし、こういう展開の話であれば、誰がどこで囁いても大事にはならない。  千珠はちょっと安堵して、喋り合っている門下生たちに向かって声を張った。 「よし、では今日の稽古を始めるぞ!」 「はい!」  そして、いつもと変わらない一日が始まった。

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