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終話 夏空

 昼を過ぎ、光政が帰ってきたことを知らされた千珠は、すぐにそちらへと向かった。  光政が執務を行う部屋には、留衣と兼定がいた。光政は難しい顔で千珠を見ると、手招きして自分の脇に座らせる。 「おいおい、お前が酔って暴れるとは一体どうしたことだ」  呆れ顔でそう言いながらも、光政の目はどこか笑っていた。兼貞はため息をついた。 「兼胤も酔っ払って賊にやられたというし、全く、若い者だけ置いていくといけんな」 「申し訳ありません。調子に乗りました」  千珠はしおらしく、深々と頭を下げた。留衣は複雑な表情でそんな千珠を見ている。 「まったく、お前は。確かここへ来たばかりの頃も、道場をぼろぼろに壊してたよな。そういう派手な喧嘩は山にでも行ってやってこい」  光政が破顔してそんなことを言うと、兼貞は首を振って呟く。 「光政殿は千珠殿に甘いのぅ」 「そうか?まぁ、それもそうだな。なにか罰も考えておかなければ」 「何でも申し付け下さい」  千珠は返す言葉もなく、素直にそう言った。  光政は、留衣と千珠を見比べると、浮かない顔の留衣に向かって声を掛ける。 「おい、一応千珠の申し分も聞いておく。留衣、お前は兼貞の食事のお相手をしろ」 「はい」  留衣はえらく素直にそう言うと、照れ臭そうに顔を上気させる兼貞と連れ立って、部屋を出て行った。  千珠とは、一度も目を合わせなかった。 「本当のところ、何があったんだ?お前は酔って暴れるんじゃなくて、酔って寝る方だろう?」 「……実は」  千珠は事の顛末を光政に伝えた。宇月のこと、兼胤が舜海にしでかしたこと、そして千珠にしたこと。その結果、千珠の鬼の力が暴走しかけたことを、包み隠さずに。  光政は、真剣な表情でそれをじっと聞いていた。 「なるほど、そうか」 「すまなかった、忍たちにも怪我をさせた」 「……まぁ、誰も死なずに済んで良かった。お前も、大事なくて良かったぞ」 「はい……」 「しかし表向き、お前に罰を与えないわけにはいかないからな。追って沙汰を下す」 「分かった」 「しかしまったく……あの男。昔から手に負えんな」  光政は面倒くさそうな顔で頭をかいた。兼胤のことを言っているのだ。 「ここへ来るたびに舜海にちょっかいを出していてな。……まぁあいつも、賢すぎる兄上を持って、ずっと国で立場がなかったらしいのだ。それを、舜海を虐げることで憂さ晴らししてたんだろう」 「そうなのか?」 「ああ、男兄弟ってのは色々とあるものらしいぞ。俺は妹でよかったかもしれん」 「兄弟、か。俺には縁のない話だな」 「親からの愛情や、部下からの信頼……どれもこれも平等というわけにはいかぬからな」 「ふうん」 「あと、留衣のことなんだが」  光政は言いにくそうに、少し小声で話し始めた。千珠は、留衣の縁談話のことをたった今まで忘れていたため、どきりとする。 「あいつ、周防の国へ行くと言っているのだ。兼貞と夫婦になると」 「えっ!?」 「俺も驚いている。でも……今一番自分を必要としている男のもとへ行こうと思うと、話していたよ」 「そう、か……」 「あいつ自身が決めたことだから、俺はそれでいいと思っている。千珠には変なことを頼んで悪かったな」 「いや、いいんだ。実際、どうしていいか分からぬままここまできてしまったわけだし。俺にはまだ、恋だとか夫婦だとか、難しすぎるよ」 「そうか」  光政はちょっと微笑むと、窓の外を見遣った。すっきりとした青空が広がり、新緑が眩しくきらめいている。 「もうすぐ夏だな」  光政が明るい声でそう言う。懸念していた妹の嫁ぎ先が決まり、肩の荷が下りたのだろう。  千珠もつられて窓の外を見ると、小さな小鳥が二羽、くるくると弧を描きながら大空で歌っている。 「ああ、眩しいな」  千珠は目を細めて、空を仰いだ。    『異聞白鬼譚【三】ー(わざわい)なる訪問者ー』 ・  終

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