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十六、業平の申し出

「せやから危ないて言うたやろうが」  舜海は錫杖をじゃらじゃらいわせながら、宇月と並んで先頭を歩き、柊を振り返った。 「いや、まさかそういう意味とは思わへんかった」  柊は額と頬に切り傷を作っている。千珠は寝惚けていたため記憶が曖昧ということもあり、我関せずという表情である。  白砂利の敷き詰められた御苑の中にも雪が積もり、白色の砂利なのか雪なのか区別がつかない風景になっていた。植え込みの松も雪をかぶり、濃い緑と雪の白さの対比が美しい。 「皆様、お待ちしていました」  しばらく道を進んだところで、漆黒の狩衣に身を包んだ藤原業平が松の陰からゆらりと現れた。昨晩のくだけた町人風の格好とは打って変わって、きっちりとした陰陽師衆の正装をしている業平は、昨晩にも増して凛々しく見える。  御所の中にいるということは、神祇省とのやりとりもうまくいったらしい。 「昨日は、ありがとうございました。お陰さまで我々、再び帝のために働くことができまする」  そう言うと、業平は深々と頭を下げた。 「いいえ、あなた方のお力がなければ、あの鬼を魔界に戻せませぬから」  千珠は少し編笠を上げ、業平にそう言った。 「共に力を尽くしましょうぞ。さぁ、こちらへ」  業平は先に立って、昨日戦闘が行われた建礼門の方へと導いた。血の跡や、陀羅尼が倒れ込んだことで窪んだ地面はきれいに片付けられ、何事もなかったかのように清められている 「承明門と紫宸殿の間にあります前庭に、陣を描きます。そこが一番鬼道が開きやすいと空間であると判断しました」 「そんな怪しげな場所に朝廷の中心を置いておいていいもんなんですかね?」 と、柊が訝しげな口調で尋ねると、業平は振り返って微笑む。 「普段ならば、内裏(ここ)は一番守られた場所です。しかし今はこの国全体を覆う気道が揺らぐ時期なのでね」 「なるほどねぇ。何も感じひん(もん)からすると、眉唾ものな話ですな」 と、まだいまいち実感が持てぬ様子の柊は腕組みをして、衛士が重たげに承明門を開く様子を見守っている。  門が開く。  白砂利で覆われた広い南庭の向こうに、どっしりとした佇まいながらも、優美な雰囲気を漂わせる建物が鎮座しているのが見えた。  内裏の正殿たる、紫宸殿(ししんでん)。  歴代天皇の即位や、元旦の朝賀、節会などの諸種の儀式などの公事を執り行う場である。入母屋造り桧皮葺きの、高床式宮殿である紫宸殿の正面には十八段の階段がある。そしてその階段の東側には"左近の桜"、西側には"右近の橘"と呼ばれる樹木が植わっている。  昨晩は既に暗くなってからの謁見であったため、千珠は明るい日の(もと)に見る内裏の優美さに、改めて感嘆の溜息を漏らした。ついでに、戦の後の謁見の時は、こんな風に周りの景色を見回す余裕も無かった程に緊張していたことを思い出す。  さて、南庭では既に数十名の陰陽師が立ち働いていた。  白砂利の敷き詰められた広い南庭にには、特殊な墨で巨大な円陣が描かれていた。 「封印術・魔匣台道(まごうたいどう)。陰陽道で用いられる術の中でも、一番強力であり、膨大な力を要する術式のひとつです」  業平は誇らしげに片手を挙げて陣を指し示しながら、楽しげな表情と口調でそう言った。 「神祇官の方々が、内裏に影響が出ぬよう外側に結界を張り、我々陰陽師がここに鬼道へ通じる道を穿ち、鬼を魔境へ送り返します。その後、鬼道を封印するという、難しい術式です」 「ほんまに……これをやるんですね」 と、舜海は固唾を呑みながら、確認するようにそう言った。 「そうです」  業平は力強く頷く。  舜海はどくどくと、心臓が高鳴るのを感じていた。  一介の法師でしかない舜海でさえもその存在を知っているような伝説的大技の名を、実際に耳にしたからだ。  この陰陽師たちは、本物なのだ。太古から伝わる古い術式を用い、気を読む能力に長け、そしてそれを操る(すべ)を心得た生え抜きの術者だ。  己の修行不足を今更に呪う。肉体の鍛錬のみに励んだこの数年、こんな時にもっと力になれたらよかったのに……、と。  悔しげに奥歯を噛む舜海の様子に気付いた宇月は、そっとその横顔を見上げた。  更に業平は千珠、舜海、宇月を陣の中心に導く。 「千珠さまには、ここに鬼を導いていただきたい」 「ここが陣の中心なのか?」 「そうです。鬼は魔境に帰りたがっているのでしょうが、猿之助の術で縛られているため、派手に暴れる恐れがあります。それゆえ、少し大変な思いをさせてしまうかもしれませぬ」 「なに、構わない」 と、千珠は事もなさげにそう言った。 「そして、宇月と舜海どのにはそんな千珠さまをお守りする結界陣をここで成すのです。術式は宇月が執り行いますが、力がどこまで持つか分かりませぬゆえ、舜海殿の霊力をお借りする。よろしいですか?」 「おう」 「はい」  二人は同時に返事をした。 「忍のお二人は霊力を持たぬので、佐々木側の陰陽師たちが不穏な動きをせぬよう、止めておいていただきましょう」  業平は、陣の外に立っている柊と山吹を振り返りながらそう言った。 「宇月と舜海殿は、術式の確認をいたしますので、ここにいてください。千珠さまは、忍のお二人とお待ちになってくださいませ」 「ああ」  千珠は陣の外に出て、柊たちのもとへ戻っていく。業平は宇月と舜海に術式の説明をひと通り行った後、舜海に尋ねた。 「あなたは、お坊さまに育てられたらしいですな」 「え?はい」 「そうですか……いや、もったいない」 「何がです?」 「それだけの霊力を持っていながら、あまり使い方をご存じない様子」 「!」  舜海は予てから思っていたことをずばり業平に指摘され、思わず息を呑んだ。  宇月の器用な手腕を見るにつけ、自分の力の使い方に疑問を持ち始めていたのである。いくら宇月よりも豊富な霊力を持っていても、宇月は自分の知らない技や知識を大量に持っている強みがある。  青葉の国で法力を操れる者はほんの僅かしかおらず、しかも皆かなりの老齢であった。  迷える霊魂をあの世へ送る調伏術や、戦に備えるという理由から、霊力を分け与えて傷を治癒するといった術は会得していたものの、不器用で大雑把な舜海はそれらがあまり得意ではない。どちらかと言うと、剣術や体術といった荒っぽいものの方が好みである。  力を身体の一部に集め、気を練り、操作する……目に見えぬ物を操ることは、非常に難しいことだ。だからこそ、厳しい修行を乗り越えねば一端の術者にはなれない。  宇月は陰陽師の家系であるから、生まれながらにそういうことには慣れているし、陰陽師衆の中にいれば自然と知恵もつく。そんな理由はあったとしても、舜海にとってそれはひどく歯がゆいものであった。  千珠のために、力になりたい。しかし今自分に出来ることと行ったら、満月の夜に力を失う千珠を守ることだけ。そして、舜海の霊気を欲するという理由で甘えてくる千珠に応え、その身を抱いてやることだけだ。 「……そう、やんなぁ。やっぱり」  舜海は唇を結んで少し俯く。業平は、じっとそんな舜海の様子を見守りながら、こんなことを提案した。 「もし、あなたさえよければ都で修行をしてみませぬか?」 「え?」 「仏閣とは、我々あまり接点がありませぬゆえ、どのような修行をなさって来たかは分かりませぬが。あなたを見ていると、つい口惜しくなってしまうのです。もっと強くなれるのにと」 「……」 「あなたが、青葉国の軍部の要であるということは知っています。でも……今後千珠さまという強力な存在を抱えていく以上、あなたにもそれ相応の力が必要でしょう」    業平は、柊たちと話をしている千珠を見遣る。 「あの方はまだ子鬼です。これ以降、もっと強力な妖力を身につけるでしょう。今までは、あなたで抑えが利いていたかもしれない。でも今後も、今のままの力で敵うとは思えませぬ」 「今以上に、強い妖気を……」 「ええ。どうぞ、お考えください。ひいてはあなた方の国のためになることです」 「修行……。どれくらい国から離れることになりますか」 「あなた次第というところも大きいですが、二年ほどいただけたら、私の出来る限りのことは致しましょう」 「……二年、か」 「たったのね。よく、お考えください。私はいつでも、力を貸しますよ」  業平が笑みを湛えたまま行ってしまうと、それまで無言で事の成り行きを耳にしていた宇月は、舜海を見上げた。 「業平さまがあんなことを仰るとは、よほど舜海さまの力を見込まれているでござんすな」 「……実際お前見てて、力はあんまないくせに、良い技使うなって思っててんなぁ」 「これでも色々と学んでまいりましたから」 「たったの二年で、俺が強くなるんやったら、行くしかないやろ。望むところや」  舜海は口調こそきっぱりとしていたが、瞳はゆらゆらと迷っていた。  しかし、それが正しい選択だということは言うまでもない。  「まだ、千珠には言うなよ」 と、宇月に口止めをする。 「……はい。千珠さま、動揺するでござんしょうな」 「ああ、せやな」  本当は、舜海も動揺していた。  この数年、ほとんどの時を共に過ごした千珠。当たり前のように、傍らにいた……。 「でも、千珠のためでもあるんやから。俺は行く。この件が片付いたら、話さなあかんな」 「ええ」 「あいつことは、宇月に任せる。俺がおらんくなったら、千珠の力のことを分かってやれるのはお前しかおらん」 「私に、千珠さまを託すのでござんすか?」 「お前なら大丈夫やろ。満月の晩は、柊が一緒なら大丈夫やろうし。……というか、もうあいつを襲って殺してやろうなんて輩は、あの国にはおらんけどな」 「私は、異存ないでござんす。あとは、お二人の問題でござんすな……」 「ああ。俺も、気持ちの整理をしなあかん……」  舜海の視線に気づいた千珠が、怪訝な表情をこちらに向ける。  きっと今の俺は変な顔をしているんやろうな、と舜海は思った。  二人の間を、強い北風が吹き抜けていく。    舜海の髪をめちゃめちゃに乱しながら。

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