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十五、柊の追想

 柊は、ひとつの蒲団で横になっている舜海と千珠を見下ろして、ため息をついた。  外はうっすらと明るくなり始め、部屋の中もぼんやりと白く明るくなり始めている。 「まったく……緊張感のない」   柊はそう呟くと、舜海の肩を叩いて、自分の存在を知らしめる。舜海はぼんやりしていた目をぱっと見ひらくと、慌てたように蒲団から這い出して千珠から離れた。  仏頂面の柊は、舜海に部屋の外に出るように顎をしゃくる。 「うー寒い寒い」  うっすらと雪の積もった庭を見ながら、二人は濡れ縁に出て、少し部屋から離れた。忍装束の柊は、口元を覆っていた口布を下げると、 「おい! 俺が外で調べ物してる時に、お前は一体何をしてんねん!」と、まくし立てた。 「あーすまんなぁ。千瑛殿のところから戻った千珠の話聞いてて……。寒いって言うから添い寝をな」 「ってお前もしっかり寝とったやないか。まったく……」  柊は腕組みをして、大仰にため息をつく。舜海は苦笑いするしかない。 「耳、腫れてるで。しもやけか?」 と、舜海の耳たぶを見た柊はそう言った。 「これか? これは……千珠に噛まれた」  柊は更に盛大なため息と共に、呆れ顔で首を振る。 「お前はこんな所でもお構いなしか?」 「いやいや、そんな大層な事はしてへん! あいつが寝ぼけて噛み付いてきただけや」 「はいはい、全く……」  舜海はそそくさと髪の毛で耳を隠すと、一つ咳払いをした。 「何か収穫あったんか?」 「夜のうちに千瑛どのが動いて、業平どのが陰陽師を集めておられた。佐々木猿之助の方は、昨日は怪しい動きはなかったな。鬼をどうこうする現場を俺も見ておきたかってんけど」 「そうか。日が登ったら俺らも内裏へ行こう」  舜海は、昨晩業平と決めた術式のことを柊に話して伝えた。柊は頷きつつも小首を傾げる。 「何ともまぁ、どえらい話になってきたな」 「お前もちょっと寝るか? 一時間くらいは休めるやろ」 「ああ、そうさしてもらうわ。そや、俺も千珠さまと寝よかな」 「おい、それは危ないぞ……」 「あほ、冗談や」  柊はにやりとすると、部屋に戻ってゆく。  舜海はせめてもの罪滅しのため、皆のために水を汲みに行こうと宿の土間の方へと歩き始めた。  ❀  柊は頭が冴えて眠ることができず、天井を眺めながら舜海が湯を沸かしている音を聞いていた。  ふと、隣の褥で眠っている千珠が寝返りをうって、柊の方を向いた。思いがけず、千珠と顔を突き合わせる格好になった柊は、目の前で眠る千珠の顔をまじまじと見つめる。  こんなに近くで千珠の顔を見るのは初めてだった。しかもぐっすりと眠る、無防備な姿を。  舜海が深く執着する、目を離しがたい存在。  柊はふと、留衣のことを思い出していた。  周防の国へと発つ前日、柊は留衣に呼ばれ、忍頭が代々受け継ぐ短刀をその手に納めたその日のことを。  ❀ ❀ 「長いこと、お前からこれを借り受けて悪かったな。すぐにお前の物になる予定だったのに」  留衣は、もう忍装束を着ていなかった。矢絣模様の淡い桜色の小袖を身に纏い、眼を見張るほどに女らしい姿をしている。 「いいえ、俺が勧めたことやから」  柊は短刀を受け取るとそれを自分の腰に差し、微笑んだ。 「そんな格好をしていると、立派に大名の奥方さまに見えるやん」  留衣は苦笑した。 「まぁな。これからは女としての人生を生きてみるさ」 「それもよかろうさ。しかし……千珠さまのことは、もういいんか?」  柊の言葉に、留衣は少し翳りのある笑みを浮かべる。 「……いいんだ。それに、私はあいつのことを受け止めきれなかったよ」 「と、いうと?」 「あいつが鬼の姿になったとき、私は千珠を怖いと思った。……恐ろしいと思ったのだ。脚がすくんで、動けなかった」 「それは……誰でもそうなんちゃうかな」 「柊はあいつを止めに走ったじゃないか。竜胆も、宇月も、舜海も……」 「……」 「舜海など、千珠がああなったのは怖かったからやろうな、と言っていた。まるで、子猫が怯えているのを見てそう言うように」 「そうですか……」 「私も千珠のことを、それくらいおおらかな気持ちで受け入れてやりたかった。けど、やはり……無理だった。そんな時、兼貞どのお顔が浮かんだのだよ」  留衣は、窓の外へ視線を移す。 「あのお方は私のことを、心底必要と思ってくださっている。だからこそ、行くのだ。女として、人として、求められることは嬉しいものだ」 「そうでしょう。兼貞どのは懐が深そうやからな。まぁせいぜい、離縁されへんようにお気をつけくださいよ」  柊が軽口を叩くと、留衣は楽しげに笑った。 「私がそんなへまをすると思うか。なめるなよ」     留衣は笑顔のまま、柊をまっすぐ見つめる。 「兄上と、千珠のこと、よろしく頼むよ」  ❀ ❀  目の前で眠る千珠は、よもやそんな恐ろしい力を秘めているとは思えぬ程、幼く見えた。  いつもきりりと引き締まっている口元は、今は力が抜けて赤い唇が半開きであり、微かな寝息が漏れている。観察すればするほど、睫毛の長さに驚かされ、肌理の細かな美しい肌にはっとさせられる。  舜海が夢中になるのが、少しだけ分かる気がした。普段の油断のない表情と比べて、寝顔の何と可愛らしいことか。ついつい、柊は目が離せないでいた。 「ん……」  じろじろ見られているのを感じ取ったのか、千珠はうっすらと目を開いた。琥珀色の瞳が、半開きの瞼から覗く。  柊はどきりとして、慌てて少しだけ身体を起こすと「おはようございます」と小声で言った。  千珠は、焦点を結ばないぼんやりとした目でじっと柊を見上げると、何度か瞬きをしてまた目を閉じた。 「ひいらぎ……帰ったんだ」 「はい、ひと休みさせてもらってます」 「うーん……」  千珠は寒そうにもぞもぞと蒲団にくるまり、なかなか起きようとしない。確かに、寝起きは悪いようだ。柊は先に起き上がって呆然とした。 「千珠さま、もう起きますか?」 「うん……」 「て、全然起きる気ないでしょう、ほらほら」  柊はすっかり目を覚まして、千珠の蒲団を剥がそうとした。掛け物をめくられ、千珠は迷惑そうに柊を見上げると、ぶるりと身体を震わせてもう一度蒲団を掴んだ。 「寒い……」 「うわ!」  思わぬ怪力で蒲団を引っ張られ、油断していた柊は思わず体勢を崩して千珠の上に倒れこんだ。間一髪手をついて、千珠を押しつぶすことはなかったが、目を開くと、千珠のぼんやりと半開きの目がすぐそこにある。 「……」 「……」  千珠の整った顔が、息のかかるほど近くにある。ついつい目を奪われてしまい、柊はしばらくそこから動くことができなかった。柄にもなく、どきどきと心臓が鼓動を早くすることに、柊自身が驚いていた。  しかし次の瞬間、柊は寝ぼけ眼の千珠に掌底を食らい、障子を突き破って庭に放り出されてしまった。

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