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四、理解者

 舜海が発った晩、千珠は息が苦しくなるほどに、不安を感じていた。  城に一人でいることに耐え切れず、気づけば舜海との逢引の場所、いつもの廃寺に足が向かっていた。  昨日まで、ここで自分を抱きしめていた腕と体温を思い出すにつけ、千珠の目からは涙が溢れてきてしまう。きちんと言いたいことを告げ、互いに強くなろうと約束したのに、千珠にはまだ、まるでその覚悟が出来ていなかった。  怖い、と思った。  自分がどれだけ舜海を頼りにして、この国で暮らしてきたのかということを、まざまざと実感させられる。  いつも不安を受け止めて、抱き締めてくれた。そして何とかなるから気にしすぎるなと、快活に笑い飛ばしてくれた。  涙を見せてしまうことも多々あった。その度いつも、暖かな指で頬を拭われ、そっと口付けをくれた。  ――俺がそばにおるから、泣きたいだけ泣いたらいい。寂しいことなんかない、泣けばすっきりして、また笑えるやろ。  そう言って、いつまででも頭や背中を撫でてくれた。  ほっと出来た、舜海といると、いつも。  その温もりが、遠のいている今。足がふらつきそうになるほど、不安でたまらない。寂しくて、たまらない。 「舜……」  名を囁いても、応え返してくれるあの笑顔は今はない。  たった二年。たった二年。そう自分に言い聞かせても、それは途方もなく長い年月のように感じられて、余計に不安になる。  千珠が暗闇の中うずくまっていると、扉の辺りに人の気配を感じた。突然のことに緊張して、暗がりの中からぼんやりと明るい戸口のあたりを振り返る。  すると、ふらりと現れたのは柊だった。  珍しく、忍装束ではなかった。苔色の着流し姿という寛いだ格好のためか、いつもよりずっと柔らかな雰囲気を漂わせている。仕事としてではなく、千珠を心配してここへ来たということが、何となく感じられた。 「やっぱりここやったんですね。舜海に聞いてたんですよ、きっと千珠さまの姿が見えへんくなったらここに居るって」  柊は、燭台に炎を灯しながらにっこりと笑った。そして、千珠の目の涙に気付いたらしく、はたと笑みを引っ込める。 「……そっか」  千珠は小さな声でそういうと、またその場に座り込む。柊は、その向かいに胡坐をかくと、じっと千珠の顔を覗き込んだ。 「泣いてたんですね」 「……泣いてない」  柊は苦笑すると、手を伸ばして千珠の頬を拭った。千珠は恥ずかしそう目を逸らし、俯く。 「しばらくは、つらいと思います。でも俺ら、みんな千珠さまのそばにおる。ちょっとずつ、慣れていきましょう」 「……今は、そんなこと、出来るようになるとは思えない」  千珠は思わず弱音を吐いた。気が緩み、また眼から涙が溢れ出す。 「……でも、大丈夫。きっと、何とかやっていける。二年など、すぐに経つ」  何度も心の中で自分に言い聞かせていた台詞を、実際口にしてみたものの、それはまるで説得力のない、力ない響きしか持たないことに驚かされる。 「千珠さま……。身体に触れても?」 「え?」  柊の問に、千珠は顔を上げる。柊はゆっくりと千珠の肩に触れると、大きな手で千珠を引き寄せて抱きしめた。  いつもそばにはいるものの、柊が千珠に触れるのは初めてのことであった。  千珠は驚きながらも、柊の大きな身体と体温に少しずつ心が凪いでゆくのを感じていた。身体を伝って柊の低い声が、千珠の身に心地よく響いてくる。 「俺は、あいつの代わりはできひんけど……そばにいることはできます。抱き締めることもできる」 「柊……」 「こうして欲しい時があったら、いつでも言ってください。泣きたい時は、一人で泣かんといてください」 「……」  千珠は目を閉じた。閉じた瞼から、涙がまた流れ落ちる。  柊の衣に、自分の涙が吸い込まれていくのを感じる。千珠は胸が空くまで、はらはらと涙を流した。    柊は、そんな千珠の震える肩をずっと抱いていた。  思ったよりもずっと華奢な千珠の身体に、驚かずにはいられなかった。その桁外れの強さゆえに、いつもはもっと大きく見える千珠の身体は、抱きしめてみるとほんのまだ子どもで、引き締まった身体つきなれど、まだまだ幼さゆえの柔らかさが残っている。  こんな痩身のどこに、あの大きな鬼を打ち倒す力や、戦で数多の鎧武者を斬り殺す力があったのだろうと不思議になる。  そして、こんな小さな背中に、自分たちがどれだけ期待をかけ、すがってきたかということを振り返ると、申し訳なくなる。  舜海は、全てを知っていたのだろう。千珠の儚さも、苦しみも。  だからあんなに必死で護ろうとしていた。慈しんでいた。  千珠がこんなにも舜海を恋しく思う訳を、今理解した気がする。  ゆっくりと千珠の背中を撫でると、だんだん千珠の呼吸も落ち着いてきた。   すると不意に千珠は腕を突っ張って、ぐいと柊から身体を離すと、罰が悪そうに下を向く。 「……俺が泣いてたって、誰にも言うなよ」  柊は微笑して、頷く。 「分かってますよ」 「……くそ」  千珠は恥ずかしそうに右手で髪をかき上げた。さらさらと流れる長い髪が、燭台の光を受けてきらめく。 「千珠さまって、思ったよりも小柄なんやな」 「え?」  柊の呟きに、千珠は顔を上げた。 「普段どう見えてんのか知らないけど、こんなもんだ」 「よう考えたら、まだ十六ですもんね」 「まあ、そうだけど」 「甘えたい時は甘えてもええですからね」 「……気持ち悪いぞ、柊」  いつになくにこにこと朗らかに笑いながらそんなことを言う柊に、千珠は顔をひきつらせてそう言った。

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