135 / 341
三、小言
千珠たちからの報告を聞いた柊は、腕組みをして地図を見ていた。横に座る鷹見も、同様に地図をのぞき込んでいる。
千珠らが聞いてきたのと同じ話を、山吹からも報告を受けていたところであり、どこから調べるかを考えていたところなのである。
「今、山吹と朝飛 に、噂を集めてもろてるとこやねん。もう少し詳しいことが分かるやろうから」
「千珠さま、ちょっと行って見てくるか」
と、鷹見は軽い口調でそう言う。
「いいよ、ちょっと行ってこようか」
と、千珠も軽くそう答えるものだから、柊がじろりと千珠を見遣る。
「こら、単独行動はあかんて、いつも言うてるやろ」
柊はまるで幼子でも叱りつけるようにそう言うと、ついでに横にいる鷹見を睨む。
「俺も行くよ。千珠さまと竜胆と三人で、ひとまず備後の国へ向かう。あそこは島が特に多いからな、何かと動きやすい。それに一番目撃談も多い場所やし」
「他国の協力は?」
と、竜胆。
「文は送ってある。忍を抱えている国は少ないから、どういう編成になるかは分からへん。少し待て」
「龍ね、次から次へとおかしなものが現れるもんだ」
千珠は頭巾を外しながらそう言った。結い上げていた銀髪が流れ落ち、千珠の腰の辺りでさらりと揺れた。
「まったくや。宇月にも話を聞いておこう」
柊は地図を巻き取りながら、そこにいる
「とりあえず、有事への備えを怠るな。ひょっとしたら、伊予の内乱が絡んだ面倒な一件になるかもしれへんからな」
柊は、その場にいた部下たちにそう言い伝えると、ふと千珠に目を止める。
「ちょっと話があるから、千珠さまは残っといてくれ。あとは解散、山吹たちが戻り次第また連絡する」
と、低くよく通る声でそう言った。
❀
忍寮は木造二階建の建屋である。
一階には、まだ年若く自分の家を持たぬ者の住まいとして使われており、薄い壁に隔たれた六畳間が、計十部屋ずらりと並んでいる。二階には、先のように、密議に使う少し広い座敷を始め、様々な忍具や武器を仕舞うための倉庫として使われている。
さて、そんな二階の座敷に一人残った千珠は、胡座をかいていた脚を伸ばして寛いだ格好になり、柊に尋ねた。
「話ってなんだ?」
「今回も、きっと何か人ではないもの力が関わっているかもしれんから、千珠さまにはよう働いてもらわなあかん」
「分かってるよ」
「せやし、色事はちょっと控えといて欲しい」
「え?」
格子戸の外を眺めていた柊が、こちらに向き直り、改まった口調でそう言った。
「千珠さまはただでさえ目立つ。他国の者達が出入りするこの状況下で、変な評判がたつのは今後のために良うないから」
「……ま、そうだな」
千珠は返す言葉も無く、素直に頷く。
「まぁ、あいつがおらん穴埋めに女を抱いてはるんやとは思うけど」
柊は少し言葉を濁しながらそう言うと、千珠はちょっとむっとした顔になった。
「そんなんじゃない。別に、穴埋めなんてしてない。ただ、断る理由がないだけだ」
「断る理由なら、ありますよ」
柊は相変わらず硬い表情のまま、千珠にきっぱりとそう言った。
「女と交わることで、千珠さまの気が乱れることだってあるかもしれんと、宇月が言ってたやろ。せっかく一年掛けて先代と修行したものを、無駄にして欲しくないねん」
「……気が乱れる女は分かる、そういう女とはやってないよ」
千珠は露骨に苛立ちを表すような口調で、声を大きくした。
「千珠さまはすごく落ち着いてきはった。修行に励んで、自分の力をよう分かるようになったからや。でもな、この不安定な情勢の中で、房中術を使って千珠さまの力を乱そうっていう輩も現れへんとも限らん。用心して欲しいって言ってるだけや」
「……」
千珠は何か言いかけて黙った。柊の小言が、正しいからだ。柊は千珠の目の前に座り込むと、その琥珀色の瞳を覗き込む。柊の鳶色の瞳が、心底自分を心配をしているのが分かり、千珠は罰が悪くて目を伏せた。
「それに、こういう大事な行為ってのは、千珠さまが好ましいと思う女が現れるまで、大事にとっといたほうがええ。それこそ、唇を重ねたいと思える女が出てくるまでな」
「……」
千珠は目を上げて、柊の眼差しを受け止めた。そして、頷く。
「……分かったよ」
「ええ子や」
柊は千珠の頭に大きな掌を載せて微笑んだ。子どもをあやすような扱いがちょっとばかり照れくさく、千珠はほんのりと頬を染める。
「……柊、最近俺のことすっかり子ども扱いだな」
「あ、こりゃ失礼」
柊はぱっと手を離すと、にっこりと笑う。
「最近、千珠さまも歳相応に見えてきたからかな。昔はもっと大人びて見えててんけど」
「そうかな」
「そうですよ」
柊は、言いにくいことを言い終えたという開放感を漂わせながら、寛いだ調子でそう言った。
「この一年、どう過ごさはるかと思っていたけど、ええ感じに落ち着いてきはったな。……あ、色事以外は」
「もういいって」
千珠がむくれてそっぽを向くと、柊は軽く声を立てて笑った。
「あいつは、真面目に修行してんねやろうか。さぼってへんかったらいいねんけど」
と、改めて空を見上げる。
「……そうだな」
――舜海は、どうしているだろうか。一年間、全く音沙汰なしのあの男。
こうしていると、落ち着いた心で舜海のことを思い出せるようになったことに気づく。舜海が行ってしまった当初は、とてもとても苦しかったのに。
不安で不安でたまらなかったが、いつも柊が何かにつけて気を回してくれていた。修行、仕事、学、柊が全て手配してくれた。千珠の生活の流れを、拵えてくれた。
いつも影のように、自分のことを見守っている。
それに、今更ながらに気がついた。
千珠はそっと、柊の涼しげに整った横顔を見上げる。
ともだちにシェアしよう!