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七、月に想う
――舜。
ふと、誰かに呼ばれたような気がした。
舜海は顔を空に向け、茜色の夕日に照らされた山々を見渡す。其の日の修業を終え、鴨川のほとりを南へと下っている所であった。
御所のほど近くに置かれた陰陽寮・土御門邸。そこには陰陽師たちが住まう屋敷が置かれており、舜海もそこに身を寄せているのである。共に歩く五人の陰陽師たちは、立ち止まった舜海に気づくこともなく、からっ風の吹く川沿いの道を下っていた。舜海は慌てて、早足で三人を追いかけた。
「どうした?舜海」
先頭を行く業平が歩きながら首だけで振り返った。
「いや、何でもないっす」
「そうか。しかし、思ったより筋がええな。もっと雑な男かと思っていたが、わりに丁寧や」
業平は笑いながら、都訛りでそう言った。
「そりゃどうも」
舜海はからりと笑う。
「調子に乗らんことだ。それでも私には敵わなかったのだから」
と、すぐ前を歩く陰陽師が振り返る。身内の中にいると都訛りになる業平は、そんな詠子の言葉にまた笑う。
業平の娘だ。名を、藤原詠子という。
齢十八であるが、幼い頃から父の仕事を間近で見ていたせいか、舜海など足元にも及ばぬほどの使い手である。
詠子は女の割には背が高く、広く張った肩をしている。揃いの黒い装束を着ていても分かるほどに、体格が良い。袖から覗く日に焼けた腕は引き締まった筋肉に覆われて逞しく、実際剣術の腕前もなかなかのものであった。
霊力の高さも、術を使いこなす器用さも父親譲りの才能を持っている詠子は、顔立ちも父親によく似ている。
業平は男らしい華を持つ凛とした目鼻立ちをしており、身に纏う空気は都が似合って品がある。そんな父に似ているのは喜ばしいことなのかもしれないが、残念なことに詠子は女である。父に似た男っぽい雰囲気のある顔立ちをしており、目鼻口がどれも大きくしっかりとして、紅や白粉といった類のものはとても似合いそうにない、そんな女だった。
もっとも、修業に明け暮れ、既に陰陽師衆の中でばりばりと仕事をこなしている詠子は、そういった女らしい嗜みなどにはまるで興味が無いように見えた。
「そんなもん、すぐに追いつたるわ」
舜海は頬を膨らませながら、詠子にそう言い返す。
「ははは、詠子は幼い頃から私の術を見とったからなぁ。まぁ当分は無理やろう」
「当然だ」
と、詠子。
「そんなん、分からへんやん」
つんとした口調で肩を怒らせて歩いている詠子の背中に、舜海はややむきになりながらそう言い返した。
「まぁ、霊力の強さだけで言えば、舜海は陰陽師衆の中でも一二を争うほどに強いからな。油断はできひんな、詠子」
業平は上機嫌だ。仕込みがいのある弟子を迎え入れたことを喜んでいるのか、張りのある表情をして活き活きとしている。
自分の前をゆく父子。
千珠と詠子は、年齢は変わらない。しかし詠子には、幼い頃から持ち続けている曲がりようのない太い芯と、自尊心があった。常に迷い迷って不安に苛まれていた千珠とは、まるで違う人生を歩んできた女だ。
高名な父の後を追い、迷いなく進む先が見える人生を行く女だ。
千珠は、元気だろうか。今、どうしているのだろう。
あの不安に揺れやすい心はここ数年で落ち着いてきたように見えていたが、こうして自分と離れることで、寂しさのあまりくよくよとしているのではあるまいか……。
と、そこまで考えて苦笑する。
――あいつはそこまで、やわではないか。未だに寂しがっているのは、俺の方かもしれへん。
舜海はまた、群青に移ろい始めた空を見上げた。
逢いたい、早く千珠の顔が見たい。声が聴きたい。細い身体を、抱きしめたい。
東に昇り始めた白い月に、舜海は千珠の笑顔を想う。
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