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九、水纏う龍
砂を蹴散らしながら走った先には、小さな泊があった。舟が一艘つないであり、先程のマント姿の男がそこで待機している。
宮司はそれに飛び乗ると、マント男に指示を出して舟を漕ぎ出す。千珠はひらりとそれに飛び乗り、舳先にふわりと降り立った。まさか海へ漕ぎ出した所を追いつかれるとは思っていなかったのだろう、宮司は驚愕の表情を浮かべて千珠を見上げる。
「危険だ!ついてくるな、岸へ戻れ!」
「ふん、危ないのはお前らだ」
千珠はそう言うと、波に玩ばれて派手に揺れる舟の舳先に膝をつき、再び龍を見た。
龍は、商船らしき大きな船に体当たりを繰り返しては、唸り声を上げている。船からは、悲鳴を上げながら海に飛び込む男たちの姿が見え、破壊された船から火の手が上がる。火薬でも積んでいたのか、一瞬後には、爆音を立てて船が木っ端微塵に吹っ飛んでしまった。
船員たちが必死に岸に向かって泳いでいる様子が、燃え上がる船の炎の明かりで見て取れた。
龍は逃げる人間には目をくれず、炎などもろともせずに、ひたすらに舟を破壊し尽くそうとしているように見えた。巨大な顎で帆を食いちぎり、首を振って頭をぶつけては船体を粉々にしている。
千珠たちの乗る舟も、龍の暴れる波に踊らされて大きく揺れた。重ねて押し寄せる高い波によって、接近することが出来ない。
「おい、何でお前は龍に近寄るんだ!?危険なのは同じだろう」
千珠は、悲痛なの表情を浮かべる宮司に大声で聞いた。
「……あのお方を止めなければ!」
「止める?誰を?」
「これ以上海神に力を貸しては、緋凪 さまのお命が危ういのだ!」
「ひなぎ……?」
龍が巻き起こす渦潮で、千珠たちの乗る舟が否応なしに龍の方へ吸い寄せられ始めた。千珠は、舟はもう言ことをきかぬことを悟り、数珠を外して左手から宝刀を抜いた。暗い海の上、ぼんやりと青白い光が辺りを照らす。
「何……!?」
宮司が目を見開く。
千珠は、ぐっと身体を低くすると、渾身の力で舟を蹴り、龍の方へと飛び上がった。
波間に浮かんでいる木片を蹴り、龍が今まさに破壊している船の上へと着地する。舟はもうほとんどその形を成しておらず、豪雨のように降り注ぐ波飛沫によって炎は消えている。ただの板切れのようになりながら、激しく上下する波の上で木の葉のように弄ばれていた。
突如現れた千珠の姿を認めた龍は、動きをぴたりと止めた。
「……でかいな」
千珠は口布を下げ、龍を見上げる。
青く輝く数多の水泡が寄り集まり、その表面を海水で包まれたかのような姿だ。
そして龍の頭部には、禍々しく輝く赤い双眸が見て取れた。その目が、じっと千珠の様子を窺っている。
千珠は、まっすぐに宝刀を龍に向けると、舟を蹴って龍の眉間まで飛び上がった。そして、高く振り翳した剣を、まっすぐその鼻先に振り下ろす。
刀は振り抜けなかった。まるで、弾力のある鞠のようなものに斬りかかったような感触で、千珠の宝刀は龍の鼻先に食い込んだ。刀身は水の中にどっぷりと取り込まれ、傷はおろか龍は反応すらしない。
「……!なんだこれは」
千珠は歯を食いしばると、刀を引いて刃を抜き取った。そして、その反動を利用して舟に戻る。
龍は鎌首をもたげるようにして千珠を見下ろすと、再び口を開いて千珠に食いかかってきた。千珠はそれをかわして跳び上がると、海面を見渡して着地できそうな板切れにひらりと舞い降りる。
「……斬っても切れないわけか」
千珠が舌打ちしていると、龍は低く唸り声を上げ、そして口を開いた。
『貴様のような邪な鬼が、神なる私を傷つけることはできぬ』
龍が口をきいたことに千珠はまた驚く。
低く、心臓に直接振動を伝えてくるような声には、抗いがたい迫力があった。
『鬼の子よ。お前に私は斬れぬ』
「やってみなきゃ、分からないだろ!」
千珠は、海鳴りに負けじと大声でそう言った。龍は低く嘲笑した。
『無駄な足掻きを……』
龍は再び咆哮を上げると、頭をもたげて天空に伸び上がった。龍の体内で、青い光が踊り狂う。
そしてそのまま巨大な口を開け、鋭牙を見せながら千珠を頭から呑み込まんと、真っ直ぐに落下してくる。
巨大な身体をしているのに、龍の動きは疾かった。千珠はそれを避けて飛び上がったが、着地する場を見つける間がなく、ざぶんと波の中に落ちてしまった。
「しまった……!」
千珠が波間から顔を出すと、龍は再び千珠に向かって口を開く。身動きできず、千珠が目を見開いた瞬間、龍が消えた。
まるで、内側から破裂するように。
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