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六、千珠、都へ

 次の日の夕暮れ近くに、千珠と柊は都へと到着した。  二年ぶりの都は、裏淋しい雰囲気であった。  皆が家の中に引き篭もっているのだろう、人通りが途絶え、まだ日はあるというのに町中はひっそりと静まり返っている。  たまに桶を引っ提げて売り物を振り歩いている商人らしき男女を見掛けたが、威勢のいい掛け声などは聞かれず、目も合わせずにそそくさと去ってゆくのみであった。  千珠と柊は馬を並べて都の様子を見ながら、ひとまず千瑛の屋敷へと向かう。 「……不気味ですね。人のいない町ってのは」 と、柊は重い声でそう言った。編笠で口元しか見えないから表情は分からないが、きっと沈痛な面持ちをしているのだろう。 「まったく、陰陽師衆は何をやってはるんでしょうね」  柊がぼやく声に、千珠は苦笑した。 「本当だな。こんな状況なら、もっと早く俺を呼べば良かったのに」  千珠は、都へ来るのを嫌がっていた割にそんなことを言う。  二人は、懐かしい道を進んだ。千瑛の邸宅が見えてくると、千珠の鼓動は早くなる。父と弟に会えるのだ。  そこへ、すいと紙の鳥が現れ、二人を裏門へと誘うようにひらひらと舞った。千瑛の式だろう。  二人は裏門の側に馬をつないで休ませると、小さな木戸から裏庭へと入る。そこは井戸や風呂場などのある水場であり、千珠たちは式に導かれるまま屋敷の中へと進んだ。  するとすぐに障子が開き、千瑛の手招きが見えた。二人は足音を立てぬように気配を潜め、その部屋へと滑り込む。 「千珠、よう来た!」  入った途端、笑顔満面の千瑛が飛びついてきた。仰天した千珠は編笠を取り落とし、あたふたしながから父の歓迎を受け入れる。 「二年ぶりかぁ、我慢しないで会いに来てくれても良かったのだぞ?あれ、また背が伸びたんじゃないか?いやはや、どんどん大きくなって、頼もしい限りだ!よく顔を見せておくれ」 「父上……苦しいです」  千珠は身体中を力強く叩かれ、何度も抱きしめられ、頬を挟まれて顔を覗きこまれながら、くすぐったい喜びに顔を綻ばせる。 「千珠、会いたかったぞ。またいい顔になって、私は嬉しいよ」 「父上……」  見つめ合う父子の良い雰囲気を、柊の咳払いが邪魔する。 「千瑛殿、こっそり招き入れた割には声が大きいですよ」  柊の冷静な声に、千瑛は我に返ったらしい。名残惜しげに千珠の身体を解放すると、にっこりと笑顔を見せる。 「何度もお呼び立てして申し訳ない。しかし、お二人とまた会えて嬉しいですぞ」 「俺もです。父上もお元気そうで」 「ああ、私は元気なのだが……。町の様子は見てこれたかな?」 「ええ。今回はえらくひっそりしてましたね」 と、柊は首を振り振りそう言った。千瑛も物悲しげな表情を浮かべ頷く。 「情けないことに、現れる小物の妖を祓うことしかできず、元凶を突き止めることが出来ていないのだよ」 「佐々木猿之助、ですか」 と、千珠は尋ねた。千瑛は首を縦に振ると、眉間にしわを寄せる。 「そうだと思う。しかし奴の気配はまだ掴めず、猿之助の配下の者を捕らえたものの、自害されてしまって何の手がかりも得られなかった」 「よう躾けられてはりますな」 と、柊は渋い顔をした。 「あいつは元陰陽師衆の一人。こちらの状況はよく分かっているからね。色々と手を講じているのだが……全くお恥ずかしい。それでまたお前に頼るのだ」  千瑛は千珠を見つめた。千珠は静かな瞳で頷くと、言った。 「父上のためでしたら、いくらでもお力を貸します」  昨日までは文句を言っていたくせに……と言いたげな柊の目付きを、千珠はわざと受け流す。  そんなことは露ほども知らぬ千瑛は嬉しそうに笑顔を広げ、千珠の肩をしっかりと掴んだ。 「ありがとう。お前を頼りにしている」  千珠が何か言おうとして口を開きかけ時、部屋の外が俄に騒がしくなった。ばたばたと大人が走り回る音が響いているのだ。  柊と千珠は顔を見合わせると、顔を隠すべく編笠を被る。その直後、鮮やかな藤色の小袖に身を包んだ女が息を切らしながら襖を開け放ち、千瑛のもとに駆け寄ってきた。  その女は、千瑛の現妻であるようだった。顔を蒼白にし、今にも泣きそうな表情を浮かべている。小柄で丸っこい身体付きの、ふくふくとした女である。 「あなた……!槐が、槐がいないのです!」 「なんだって?」  千瑛の顔色が変わる。 「あんなに外に出るなと、申していたのに……!あなた、どうしましょう……!」 「落ち着きなさい。すぐに私が探しに出るから、お前は家の中にいなさい。槐が戻るかも知れないから、待っていておやり」  千瑛は妻の肩に手を置くと、静かな声でそう言い聞かせている。  ――槐が、いない?この物騒な町中を、出歩いているというのか。  背中が、ひやりとする。  編笠姿の千珠は静かに立ち上がると、その女の脇をすり抜けて部屋を出ようとした。 「私が、探して参ります」  千珠は二人にそう告げると、そのまま何も言わずに表へ出ていった。柊も、千瑛とその妻に一礼をする。 「千瑛殿もここに。ひょっとしたら、市中見廻りの陰陽師衆と既に出会っているやもしれませぬ。我々が見つけ出し、すぐに戻ります」  そう言って、編笠を少し上げて微笑んで見せた。  妻はそんな柊の余裕のある態度を見て、少し落ち着きを取り戻したらしい。客人に対する無礼を詫びるように、深々と頭を下げる。 「申し訳ありません。お客様がお見えだったなんて……私……取り乱して」 「いいんだよ。槐が見つかったら、ゆっくり礼を言おう。神祇省にも連絡を入れておきます。あなた方が自由に動けるように」  妻の肩を抱きながら、千瑛は柊に向かって小さく頷く。 「承知」  柊はそれだけ言うと、急いで千珠の跡を追った。  

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