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七、霧の中で

 ――槐、こんな不穏な町に、何故一人で……?  千珠は逸る気持ちを抑えながら屋根の上に登ると、じっと槐の気を感じ取ろうと自らの気を張り巡らせた。  柊もすぐそばに立ち、辺りを見回している。  大きな屋敷が多く、人気はない。夕闇が近づき、不気味な霧が出始めているのが気になった。  千珠は閉じていた目をぱっと開くと、南西の方角を指さした。 「あっちだ、そう遠くないぞ!」 「よし、行きましょう」  二人は屋敷の屋根から屋根へと飛び移りながら、南へ南へと走った。  気が急いて仕方がなく、柊に合わせる余裕が持てない。ぐんぐん引き離されてゆく柊の声が、辛うじて耳に届いてくる。 「千珠さま、焦ったらあかんぞ!」  千珠は首だけで柊を振り返ると、片手を上げてその声に応じた。  二人は、誘われるように濃い霧の中を急ぐ。夜の闇とも違う、薄ぼんやりとした紫色の闇の中へと。  ✿  丸一日眠っていた猿之助が目を覚ます。  廃寺の破れた壁から西日が差し込み、日が傾き始めた刻限であることが分かった。  部下から都に青葉の子鬼が現れたという報告を聞き、猿之は勢い良く立ち上がった。藤之助を呼びつけて、夜顔を連れてくるように命じる。 「ほう」  こざっぱりとした夜顔を見て、猿之助は自らの顎を撫ぜた。汚い乞食のようだった身なりを改めさせると、思いの外見栄えのいい童子である。 「なかなか可愛らしい餓鬼ではないか。なあ、藤之助」 「はい。名前がなかったようなので、夜顔、と呼ぶようにしております」 「名前だと?はは、お前は相変わらず甘い男だな。こんな妖に名前など必要ないだろうに」  猿之助の小馬鹿にしたような口調に、藤之助は少し眉を寄せたが、ぎこちない笑顔を見せてこう返す。 「呼び名がありませんと、夜顔を使うときに格好がつきませんでしょう」 「ふむ、それもそうだな」  猿之助は頷くと、夜顔に近づいて膝をついた。 「いいか、これから都へ行くぞ。そこでお前の力を解放してやる。存分に暴れるがいい」 「あば、れる?」 「そうだ。町を壊してもいいし、人間がいたら殺してもいい。憎いんだろう?人間が」 「にくい……?」 「お前をあんな場所に追いやって閉じ込めた人間が、嫌いだろう?」 「にんげん……きらい?」 「そうだ!俺達も、都にいる人間たちが嫌いだ。憎たらしいのだ!だから、お前に殺して欲しいんだ。分かるか」 「ころす……ぼくが……」 「そうだ、殺すのだ!」  猿之助が言葉をかけるたびに、夜顔の表情が強張ってゆく。藤之助はそんな夜顔の様子を見ながら、心配そうに顔を曇らせる。  夜顔は、虚ろな二つの目から再び涙を流し始めた。それを見て、猿之助は高笑いする。 「そうか!泣くほど憎いのだな!そうだ、その恨み、存分に晴らすがいい。行くぞ!!」  夜顔を従え、藤之助を始め五人の従者を引き連れて、猿之助は都へと向かって駒を進めてゆく。  夕日が山の端にかかり始めた。  西日から生まれた影がより一層濃いものとなり、闇は益々黒く深くなる。  鴉の声が、山間(やまあい)に響く。

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