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十四、邪魔者
「えっ」
剥き出しの白い太腿の間に挟まれ、半裸の千珠を組み敷いている舜海と、恍惚とした表情のまま詠子を見上げる千珠の姿。蒲団のそばには千珠が脱ぎ散らかした衣服。
茫然とした詠子は、一瞬魂が抜けたかのようにふらりとよろけ、がたがたと障子に手をついた。
「詠子……お前、なんでここに」
「そ、そ、それはこっちの台詞だァ!!何やってんだお前ら!」
詠子は、今度は真っ赤になりながら怒鳴った。舜海はぎょっとして、大慌てで千珠の身体から手を離す。千珠は目を瞬かせて、その女を見上げた。
「いやこれは……」
舜海はあたふたしながら、口ごもる。詠子はふるふると震えながら、じろりと舜海を睨んだ。
「とっとと離れろ!この変態どもが!」
「変態だぁ!?」
「お、お、おまえらは男同士だろうが!一体何……何をしようとしてるんだ!?」
「こ、これはやな、治療や、治療」
「治療だと!?なんという……こんな、破廉恥な……」
千珠は、腹の上に跨がったまま言い合いをしている舜海とその大柄な女を見比べた。そして、舜海の乱れた襟口に手を伸ばすと、ぐいっと自分の方へと引き寄せる。
「わっ」
不意をつかれた舜海は、体勢を崩して千珠の上に倒れかかる。そんな舜海の頬を両手で挟み、千珠は詠子の目の前で舜海に口付けた。
「……」
詠子はきょとんとして、言葉を切った。舜海も状況が読めぬのか、千珠のされるがままになっている。
たっぷり十秒ほど、千珠は舜海とくっついていた。そしてふいと顔を離すと、呆気にとられている舜海をよそに、詠子の方に流し目をくれる。
「これは治療だ。邪魔をするな」
千珠の妖艶な目つきに射すくめられた詠子は顔を真赤に染め、今度は千珠を刺すように睨みつけた。
「……何だと?」
「……おい、千珠、お前何を……」
ぶつかり合う二人の視線から、火花が散る。
「大体、お前は誰だ」
千珠のぞんざいな口調に腹を立てたのか、詠子は更に目を三角に吊り上げると、大声で怒鳴り散らした。
「私は業平の娘、藤原詠子だ!陰陽寮に鬼がいるだけでも異常なのに、こんなとこで堂々とこんないやらしげなことを……!」
「業平殿の娘?そうか、それはご無礼をつかまつった」
千珠は舜海の下から抜け出すと、乱れた着物はそのままにゆっくりと身体を起こしてあぐらをかく。
「舜海が世話になったな。それは礼を言おう。でも、俺がこいつと何をしようが、お前には関係無いだろ」
「わ、私は場所が問題だと言っているのだ!」
「ふぅん。でも、ここにいろと言ったのは業平殿だし、これはれっきとした治療だ。さっきから破廉恥だのいやらしげだのと、お前の目が曇っているからそんな風に映るんだ。全く、どっちが破廉恥なんだか……」
「ば、馬鹿を言うな!!」
ちくちくと嫌なことを言う千珠に向かって、詠子は赤い顔をさらに赤くしながらいきり立つ。
「それに、業平殿に治療を受けよと言われたのだ」
「父上が何を言ったか知らんが、ここは陰、陽、寮、だ!!妖物 がいていい場所ではない!!」
いつになく突っかかる千珠と、真っ赤になって怒りまくっている詠子を、舜海はおろおろしながら見守るしかない。
千珠は美しい絹糸のような銀髪をかき上げ、わざとらしく唇を釣り上げて色気を振りまくように微笑んだ。
「じゃあ、ここじゃなければ何をしてもいいんだな?」
「はぁ!?ん、しかし……お前のような危険な妖、ここから出すわけにも行かぬ!」
「じゃあ、ここで続きをするまでだ」
「……つ、つつつ続きだと!?」
詠子は、これ以上赤くなれるのかというほどに赤面している。頭のてっぺんから湯気が出そうだ。そんな様子を見て、千珠がまた満足げに意地悪く微笑むものだから、詠子のこめかみにぶちぶちと青筋が浮かぶ。
「もうやめなさい、ふたりとも」
騒ぎを聞きつけたらしく、再び業平が現れた。千珠の乱れた格好を見て目を見開くと、ごほごほと咳払いをする。
いつものような爽やかな笑みはなく、触れてはいけない世界を娘にを見せてしまったことを後悔する、ただの男親の顔だった。
「千珠さま、お目覚めですか。お久しぶりです。お加減はいかがです?」
「業平殿、この間はどうも。厳島では世話になりました」
千珠は居住いを正して正座をすると、礼儀正しく頭を下げた。業平は詠子の肩をぽんと叩く。
「これは私の二番目の娘でね。勝気で女らしさはないが、いい使い手なのです」
「五月蝿い!父上、一体なんでこんな胡散臭い餓鬼をここに!?」
「おいおい、なんという失礼なことを。この方は何度もこの国の危機を救っておられるのだぞ」
業平は渋い顔をして、千珠にぺこりと頭を下げた。
「すみませぬなぁ、千珠さま。躾が難しい娘なのです」
「構いませぬ。俺も少し、やりすきました」
千珠は首を振って微笑んだ。業平は居心地悪そうに座っている舜海を見下ろすと、にこりと笑う。
「すまないね。まさか詠子が君を探すなんて思っていなかったから。邪魔をしたかな?」
「い、いえ……。別に、そんな、変なことをしようとしていたわけじゃ……」
舜海はもごもごと口ごもりながらそう言う。
「千珠とやら、傷が癒えたらさっさと出ていけよ!っていうかお前、全然怪我なんかしてないじゃないか!」
「うるさい女だな」
「何だとぉ!?こぉんの……!」
目を吊り上げて千珠に掴みかかろうとする娘を羽交い締めにしながら、業平は爽やかに笑った。
「まあ、ゆっくりここで眠って行かれるといい。ここならば安全ですから」
「そのようですね。その女以外は」
「なな、こいつ……!!」
「では、舜海、後は頼んだぞ。おやすみ」
「あ!父上まだ話が……!!」
どたばたと業平たちが去っていくと、舜海は疲れたようにため息を付いた。千珠は素知らぬ顔だ。
「お前……どうした、あんなに詠子に突っかかって」
「あの女、お前のことが好きなんだな」
「はぁ?そんなことあるわけないやろ」
千珠は驚く。
「なんだ、気づいていなかったのか。俺でも分かるくらいなのに」
「いやいや、それはないって」
「お前、にぶいんだな」
「やかましい」
「分り易すぎて、ちょっとからかってやろうと思っただけだ。あんなに怒るとは思わなかったが」
「ったく……明日からいろいろ面倒やぞ」
「まぁ、邪魔をされて少し腹が立った、ってのもある」
「……あ、そう」
舜海はぽりぽりと頭を掻き、少し照れたように赤面している。
しかしすぐに真面目な顔になると、千珠に向き直って一つ息を吐いた。
「今なら、あの幻術の中で見たこと、俺に話せるか?」
「え?」
「一人で抱えておけるような内容じゃなかったんやろ?」
あの、おぞましい屍の姿が蘇る。胃がせり上がってくるような不快な感覚に、千珠は片手で口を覆って吐き気をこらえた。
「……あまり、気が進まない」
千珠は重い口調でそう呟く。膝の上で握り締められた千珠の拳にそっと舜海の手が重なり、顔を上げるといつもの笑顔があった。
「ゆっくりでいい、言えるとこだけでもいいから、ちょっと吐いとけ」
「……うん」
千珠は幻術の中で見た光景を、舜海に話して聞かせた。話しながら、ぐるぐるとあの子どもの姿が頭の中をめぐる。
泣きながら自分を攻撃しようとする、あの幼子。
恐怖、孤独、絶望、罪……負の感情全てを背負ったかのような闇 い虚 のような目を、思い出す。
「幻術を通じて、あの子の感情が流れ込んできただけなのかもしれない。でも歯車がひとつずれていたら……俺があの子のようになっていたかもしれないと思ったんだ。あの子の中にあるものは全て、俺の中にもある。ただ、運良くそうならなかっただけで」
千珠の沈んだ表情に、舜海は眉根を寄せた。
「あの子どもも、半妖だ」
「なんやと?あいつも半分人間やっていうんか」
「ああ……あの妖気、おそらくそうだと思う。何があったのか分からないが……」
「だからお前、余計あの童のことが気になるんやな」
千珠は無言で頷いた。
「でもな、千珠。お前はお前や。呑まれたらあかん。せやないと、あの子にしてやれることを冷静に考えられへんやろ」
「してやれること?」
「どうせまた、助けてやれへんかって考えてんねやろ?陀羅尼ん時みたいに」
「……悪いかよ」
「いいや、悪うないよ。お前は優しいからな。ただ、陰陽師衆の内乱が絡んだ問題やから、すんなりとお前の思うようにはさせてもらえへんかもな」
「分かっている」
「ま、あの童に何があったんかはまだ分からんけど……、調べてみてもらえるように、業平殿に頼んでみるわ」
「うん……頼む」
「怖かったな、千珠」
ぽん、と頭の上に置かれた掌を、千珠は仏頂面で払い除けた。
「……おい、子ども扱いすんな。俺はもう十八なんだぞ」
「ははっ、ついな。俺の中じゃ、お前はまだ泣き虫の甘えたがりやから」
「ば、馬鹿にするな!もうそんなことないんだからな!」
「へいへい、そやな。二年ですっかり大人になってんな」
「思ってないだろ」
「思ってるって。大きくなったな、千珠」
「くそ、馬鹿にしやがって。もう知らない。どっか行けよ馬鹿」
どこまでも千珠を甘やかそうとする舜海の口調に不貞腐れながら、千珠はつんとそっぽを向いて鼻を鳴らす。
いくらつんけんしたところで、舜海が怒るはずもないことは分かりきっている。そして、舜海の言う通り、自分がそうして舜海に甘えていることも。
でもそれが心地よくて、やめられない。
思った通り、すぐさま抱きすくめられた舜海の腕の中で、千珠はついつい笑みをこぼしてしまう。
頭を撫でられ、包み込まれる安堵感。
幸せだと、思った。
千珠はぎゅっと舜海の衣を握りしめて頬を寄せ、目を閉じた。舜海のゆったりとした鼓動が、聞こえる。
「……なぁ、舜海」
「ん?」
「続き……してくれないか」
「え?」
「治療、だよ」
「えっ?……ああ。しゃあないな」
舜海の大きな手が、千珠の手を握り込む。口付けねだるように顔を上げると、望んだ通りの弾力が、千珠の唇に触れた。
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