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二十、恋する陰陽師
昼前に、千珠と柊は土御門邸に戻ってきた。
隣を歩く柊は顔色が優れず、朝と比べてげっそりとしているため、何だか五つ分ほど老けたように見えた。
無理もない……と千珠は思う。顔色は変わらぬものの、千珠も気持が重かった。
「おう、おかえり」
二人と共に陰陽寮へ戻ってきた風春によって、舜海のいる部屋へと案内されたのだ。
軽い口調で二人を出迎えた舜海と、文机を挟んで向かい合う格好で、詠子がそこにいた。二人は巻物を開きながら、何かを調べているような様子だった。
千珠の顔を見ると、詠子はぴりりと顔を険しくする。そんな詠子の反応に、千珠もかすかに眉を動かした。
「どうやった?」
「どうもこうも……俺はあんな酷い死体は初めて見た。戦じゃあんなふうにはならへんからな……」
と、口を押さえて柊がそう言った。今にも吐きそうな様子である。
「遺体の傷、まるで獣にやられたようだった。その肉を喰っていたわけではないようだが」と、千珠。
「……うっ」
と、柊がもよおしている。
「おい、大丈夫かよ」
「いや、お構いなく……」
柊がこうなるのは理解できる。事実千珠も、寺の裏手に並べられた遺体が放つ死臭にやられかけた。鼻がきくので尚更だ。
しかし、あの子どものことを知るためには、この惨劇から目を逸らしていては駄目だと自分に言い聞かせ、調べられることは全て見てきた。
「あの子の炎のような妖気……あれは火炎ではなく、強くて濃度の高い妖気が、炎のように見えるだけだ。只人にとっては、触れるだけで……いや、そばで呼吸をするだけで、内腑から焼き尽くされるほどの毒になる」
「……ほぅ」
と、舜海が頷く。
「力の使い方をまるで知らず、その妖気を抑えることもできていなかった。何も知らぬ幼子を、猿之助は自分のいいように操っているのだろう」
「なるほどな。……全く、ほんまにけったいなやつや」
幼子の妖を庇うような口振りになっている千珠を、詠子が無言で睨みつけている。
その視線に気がついた千珠は、一つ息をついて、話題を変えた。
「あ、そうだ。風春という男に会ったよ」
「そうか。ここへ来てから、色々面倒見てもろてるんや。若いのに何でもよう知ってるし、ええ奴やで」
と、舜海は笑みを見せる。
「確かに、お前と比べ物にならないほど賢そうで、都の似合う上品な男だったな」
と、千珠。
舜海はぴき、と額に青筋を浮かべた。
「お前はほんまに口が悪いところは変わってへんな」
「そうか?宇月には気を遣えるようになったと、褒められたことがあるんだが」
「俺にももっと気を遣え、阿呆」
「ふん」
二人のやり取りを見ていた詠子が、面白くなさそうな顔をして、聞こえよがしにため息を吐いた。柊が、興味深そうに目をきらんと光らせる。
「千珠とやら、いつまでここにいるつもりだ。見たところ、随分と元気そうだが」
巻物をばん、と机に置いて、詠子はどすの聞いた大声でそう言った。千珠はすっと目を細め、唇だけで微笑む。
「ええまぁ。しっかり治療を受けたもんでね」
「……」
詠子は顔を赤くして、ぎろりと千珠を睨みつけた。舜海は首を振ってため息を吐く。
「もうええって、お前ら。詠子、この二人はな、この一件が片付くまでここで預かると決まったんや」
「何だと!?父上め……」
「そういうことだ、よろしくな」
と、千珠は不遜な態度でそう言った。
詠子は鼻を膨らますと、立ち上がって千珠の前に仁王立ちになる。並んでみると、二人はあまり背丈が変わらなかった。
「ふんっ。なんだ、意外と小さいんだな」
詠子は小馬鹿にしたように、鼻で笑う。今度は千珠のこめかみに青筋が浮かんだ。
「お前は、女にしてはでかいんだな」
「……本当に役に立つんだろうな、こんなひょろっこい餓鬼が」
「お前よりかは使い物になるはずだ」
「……何だと?」
二人の目線がぶつかって、火花が散る。柊はため息をつくと、二人の間に割って入って愛想笑いを浮かべた。
「はいはい、お二人とも、そこまでにしましょう。今回も協力して、仲ようやって行きましょうね」
「……ふん」
千珠はくるりと背を向けて、部屋を出ていった。詠子は燃えるような目で千珠を睨んでいたが、姿が見えなくなると、どかりと座り込んでまた机に向かう。
「お前、なんでそんなに千珠につっかかんねん」
呆れたように舜海が詠子に問うと、詠子は三白眼になって舜海を睨み上げた。舜海は思わずぎょっとして身を竦めた。怖いのだ。
「別に!第一印象が悪かったから気に食わないだけだ!生意気なやつ」
舜海の脳裏に、昨日の二人の初対面の場面が蘇る。確かに、印象はかなり悪かろう。
「でもな、一応助っ人に来てくれてんから……」
「我々だけでも猿之助は捕らえられる!なのに、帝も父上も神祇省も……何故あんな子鬼に助けを求めるのだ!?陰陽師衆の面目丸潰れではないか!!」
「それは、そうやけど……」
詠子に詰め寄られ、舜海は汗をかきかき言葉に窮している。
詠子の興奮に敢えて水を差すように、柊はのんびりとこう言った。
「さて、俺は千珠さま宥めてくるかな」
さっさと追えばいいものを、興味深そうに舜海と詠子のやり取りを眺めていた柊が、ふいと姿を消した。
詠子と二人になった舜海は、再び調べ物の手を動かし始める。詠子は巻物に目を落としている割に字を追ってはおらず、何か考え事をしているように見える。
「……お前、あいつを抱いたのか?」
「え?」
ふと、詠子は舜海の方を見ずにそう尋ねてきた。舜海は戸惑う。
「……何でそんなこと聞くねん」
「そうなんだな」
「……いや、それは……」
「何であいつなんだ」
「え?」
「ここへ来た時からいつもいつも、あいつの話題が出るたび、お前の顔つきが変わってた。厳島の時も、昨日も……何故そんなにあいつに拘るんだ」
「そりゃあ、俺は千珠が青葉に来た頃から知ってるし、一緒にずっと戦ってきた仲間やからや」
「それにしたって……!そんなに大事か、あいつが」
「詠子、どうしたんや」
「あいつのために、国に帰るのだろう?」
「違う。青葉の戦力になるためや。期限が来たから帰らなあかん。そういう約束だったやろ」
「それならばもう、ここでできた仲間は、関係なしか」
急に、詠子の声が小さくなる。
舜海はかける言葉に迷ってしまい、詠子の横顔を見ていることしかできない。
「……そんなわけないやろ。お前、なんか変やで」
「薄情者……!」
詠子は立ち上がると、半ば駆け出すように部屋を出て行った。
取り残された舜海は訳が分からずに、困惑した表情のまま開け放された障子を見つめていた。
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