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二十一、槐
広大な土御門邸の中には、雅に整えられた庭がある。大きな池には蓮が浮かび、朱塗りの橋が中島に渡されている。その中島には見事な枝振りの松が植わっており、その根元で雀が遊んでいる。
その橋の上で、千珠は池の中を見下ろしていた。柊の気配が、近づいてくるのはすぐに分かったが、千珠はそちらを見ずに池の中を指さした。
「見ろよ、金色の鯉がいる」
「……ほんまですね。なかなか雅や」
「でかい屋敷だな」
千珠はくるりと身体の向きを変えると、橋の欄干の上に腰掛けてあたりを見回した。柊が欄干にもたれかかり、横から静かな声で語りかけてきた。
「あなたらしくもない、どうしたんです」
「別に、あいつが俺を睨む目を見ていると、ついな」
「ここでは舜海ももてるらしいですな」
「やっぱり、そうだよな?あいつは気づいていないらしいが」
「相変わらず鈍い男や。しかし、舜海はもうすぐ青葉に帰る。あの娘の気持ちは、千珠さまならよう分かるやろ」
「……うん」
「せやし、あんまりいじめたらんほうがええんじゃないですか?あの女のことは放っとくほうがええ」
「……分かってるよ」
少しいじけたような千珠の答え方に柊は笑うと、千珠の頭をぽんと撫でた。千珠が目を上げる。
「戻りましょうか」
「……うん」
二人は連れ立って、屋敷の方へと戻った。
「千珠さま!!」
庭を抜けて本邸の方へ戻ると、槐がいた。千珠を見つけた槐は、目を輝かせながら一目散に駆けてくる。
「槐」
「千珠さま!もう、大丈夫なのですか?」
勢い良く腹に抱きついてきた槐は、心配そうな表情で千珠を見上げる。千珠は笑ってその頭を撫でると、
「ああ、どうもない」と応えた。
槐は嬉しそうに笑い、ぎゅっと千珠の腹にしがみつく。その後から、千瑛がこちらに歩いてくるのを認めると、千珠はまた表情を緩めた。
「ちち……、千瑛殿」
「千珠、世話をかけたな。大丈夫か?」
「はい」
千瑛は愛おしげに千珠を見て微笑むと、手を伸ばして槐と千珠の肩を抱いた。
「耳飾りは、どうしたんだい?」
耳の傷に気づいた千瑛が、怪訝そうにそう尋ねた。
「昨日の妖に攻撃するときに、使いました」
「そうか……」
あれは千珠の母親の形見でもある。千瑛は少し寂し気な顔を見せたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「お前も槐も、無事で良かった。もう二度とあんな無茶をしないように、この子にはよく言っておいた」
「……ごめんなさい。僕、もっと詳しいことを知りたくて、舜海様に会いにここへ来ようと思ったんだけど、霧が濃くて迷ってしまって……」
「舜海に会いに、か……そっか」
千珠は微笑んだ。槐の口から舜海の名前が出てくることも、何だか嬉しかったのだ。
「僕を庇ってくれた千珠さま、とっても格好良かったなぁ。ほんとにお強いんですね、すごいよ」
「……いや、そんなことは……」
素直に千珠のことを褒めちぎる槐に、千珠はどう反応していいのか分からず顔を赤らめる。
背後で柊が吹き出す。そんな柊を、三人は不思議そうに見上げた。
「すみません、さっきまでの千珠さまと……えらく様子が違うから面白くて。そんな素直に照れたりもしはるんですねぇ」
「柊、やめろよ」
千珠は罰が悪そうに、柊にそう言った。
「まぁ、ここは冷える。中へ入らせてもらおうじゃないか」
千瑛はにこやかに皆を促すと、土御門邸の中へ入っていく。千瑛にとって陰陽寮は、自由に出入りできる場所のようだ。
そこへ、業平が姿を見せた。
それを見た千瑛は、槐の肩にぽんと手を置く。
「ちょっと私は業平と話があるから、お前は庭で遊んでおいで」
「えー、また一人で遊ぶの?千珠さまは?」
「俺は……」
「千珠さまにも話があるんだ。この忍の御方に、遊んでもらいなさい」
「ええっ」
業平の言葉に、柊は小さく声を上げた。あまり子どもが得意ではないのである。槐は柊を見上げると、渋々といった様子で頷いた。
「はぁい」
「頼む」
千珠にもそう頼まれ、柊は困惑顔で頷いた。二人は再び庭に戻っていく。
「お二人はこちらへ。あの子どものこと、お伝えしておこうと思いましてな」
そう言って、業平は千珠ら親子を本邸の中へと導いた。
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