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二十二、夜顔の過去

 千珠親子が通された部屋にはすでに、舜海が座して待っていた。  業平は上座に座り、珍しく浮かない顔で三人の顔を見比べる。 「調べはつきましたが、聞きますか?」 「お願いします」  千珠は正座をして、真摯な表情で業平を見つめる。業平は頷いた。 「あれは、五年前に能登の国で封印された妖です。千珠さまの言うように、半妖の子どもです」 「……やはり半妖、か」  千瑛は腕組みをして眉を寄せた。 「能登はその土地柄、強い妖が生まれやすい。たくさんの祓い人が自分の使い魔を得ようと狩りに向かう土地です。夜顔を産んだ祓い人の女も、そういう理由で能登へ出向き、逆に妖に襲われ、あろうことか孕まされてしまった。そうして産み落とされたのが、あの子です」 「……祓い人?」  「祓い人というのは、霊力を悪事に使う者達のことだよ。金で呪を売り、妖を使って殺人を請け負う輩のことなのだ。我々も手を焼いている」 と、千瑛が怪訝な顔をしている千珠に説明した。 「生まれる前から、あの子は母親に忌み嫌われた。当然でしょうな、自分を襲った妖の子なのですから。しかし成長の早い妖の子ですので、堕胎することもできぬ間にあの子は産まれ、心を病んだ母親は出産時に亡くなったそうです。 生まれ落ちた瞬間から、あの子は忌み子。普通の人間ならば動くことさえままならない乳飲み子だというのに、あの子はすぐに一人で立ち上がり、恐ろしい程の瘴気を出し始めたというのです。  妖力も強く、誰も彼を殺すことは出来なかった。里から逃げ、自分で生き物を狩り、たった一人で獣のように生きてきた。  しかしある日、人里に迷い込んだあの子は、自分を恐れて襲ってきたある村の人間たちを、一人残らず殺してしまった」 「……え」  千珠は息を呑む。手が震えるのを、拳を握りしめて耐えた。そんな千珠の様子を、舜海は隣で心配そうに見つめている。 「本能的に、自分を殺そうとするものから身を守っただけなのかも知れない。しかし、人殺しは大罪。祓い人により、あの子は岸壁の穴に封印されたのです。それから五年間、死ぬこともできぬまま、一人きりでずっと暗闇の中にいた」  千珠の目に、あの子どもの暗い闇のような瞳が浮かぶ。ずっと闇しか映して来なかったから、あの子の目はあそこまで虚ろで#闇__くら__#いのだ。  寒く、暗く、光のささない洞穴の中で独りきり。何年も何年も、孤独の中で過ごした。  それは想像を絶する孤独。  千珠の目から、静かに一筋の涙が滑り落ちる。 「そこから救い出したのが、皮肉なことに猿之助です。間者によると、今は佐々木藤之助があの子の世話を焼いているとか。あの子に夜顔という名を与え、普通の人の子のように面倒を見ていると」 「佐々木、藤之助か。知っている名だ」  千瑛が呟いた。 「猿之助は、そうすることで夜顔を御し易くなると考えているのでしょう。藤之助がどういう想いで夜顔の世話をしているのかは分からないが、今の状況としては以上です」  千珠は俯いた。両の目からは涙が溢れ落ちて、止まらない。  横にいた舜海が、そっと千珠の肩を抱く。千珠はうなだれるように舜海の胸に寄りかかりかけたが、父や業平の手前であることを思い出し、すぐにその手を払いのける。そしてごしごしと袖で目元を拭った。 「……すみません」  千珠は小さく呟いた。 「半妖である千珠さまが、夜顔と自分の状況を重ね合わせるのは分かります」 と、静かな声で業平は言った。 「しかし、あまりお心を砕きすぎないように。猿之助達は、帝を脅かす存在です。自ずと夜顔の存在も、都にとっては脅威なのですから」 「分かっています」  千珠は目元を赤くして、硬い口調でそう言った。千瑛が心配そうに千珠を見つめている。 「再び彼らがいつ動くのかは、今のところ未定だそうです。猿之助はもう少し夜顔を使いこなしてからと思っているようなのでね」 「それも間者からの情報なのか?」 と、千瑛は尋ねた。業平は頷く。 「そう、信頼のおける男や」 「その男と、会うことはできぬのですか?」 と、千珠は尋ねた。業平は難しい顔をする。 「……何を聞きたいのです?」 「藤之助という人物のこと。その男が夜顔をどう使おうとしているのか、知りたいのです」 「ふむ……。でもそれはわざわざ千珠さまが会わなくとも、こちらで確認できること」 「直接、聞きたいのです」  珍しく、千珠は業平に食い下がった。業平もそんな千珠に戸惑っているのか、しばらく目を閉じて腕組みをしていた。 「それについては、追って返答いたしましょう。……こちらも、夜顔との戦闘にあたる陰陽師を選別してから、あなたとの連携を考えたいと思っております。それまで、あまり動かないでくださいね。彼らの狙いは、あなた自身でもあるのですから」 「……分かっています」 「あなたは帝の護りでもあり、ほうぼうで名を囁かれる英雄でもある。猿之助からすれば、あなたの存在は邪魔でしかない。くれぐれも、気をつけて下さいよ」  業平はいつになく厳しい口調で念を押した。千珠は黙って頷く。 「今回は、何故神祇省を使わないのだ?」  話題を変えるように、千瑛がそう言った。業平はそちらに顔の向きを変えると、 「今回のことは、陰陽師衆の中のいざこざでもある。猿之助の処理は、こちらで何とかしたいと思っている。神祇省の方々は、帝の守りだけを心配なされるといい」 と、きっぱりした口調で言った。 「そうか。お前がそう言うのなら、そうするが……」  千瑛はどこか不服そうな表情を見せたが、業平の揺るぎない目つきに、それ以上は何も言わなかった。  千珠は押し黙って、畳をじっと見下ろしていた。業平はそんな千珠の様子を見て、無言で舜海を見遣る。  舜海は業平の視線を受け、小さく頷いた。 「では、一旦食事にでもしましょう。すっかり日が高くなってしまったな」  業平は皆の気を改めさせるように、明るい口調でそう言うと、いつもの爽やかな笑みを浮かべた。  しかし千珠の胸の内には、ぐるぐると様々な感情が渦巻いてしまい、とても笑えるような気分ではなかった。

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