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二十三、父のひとりごと
槐と柊は、鍛練場となっている砂利敷の庭にいた。苦無や手裏剣などの忍具を見せてもらい、使い方などを教わっていたようだ。
その中でも苦無が気に入ったのか、槐は苦無を壁に投げつけては取りにいくという行動を大真面目に繰り返している。
千珠が戻ってお役御免となった柊は疲れた様子で、肩を押さえながら屋敷の奥へと引っ込んだ。
千珠は千瑛と並んで槐の苦無修行を眺めながら、濡れ縁に腰掛けている。膝に肘をついている千珠の表情は、ぼんやりとして浮かない。千瑛がそんな息子の姿を、横から見つめていた。
「……忍になりたいなんて、言い出さないかな」
ぽつりと、千珠はそんなことを呟いた。千瑛が笑う。
「人様のお役に立つなら、反対はしないけどな。しかし、せっかくの霊力がもったいないね」
「……槐は、まっすぐな子どもですね」
「そうだな。普通に、といったらおかしいかもしれないが、当たり前のように両親がいて、家があって……幸せな子どもだろうね」
「……そうですね」
「千珠、お前は今、何を考えている?」
千珠を見つめる千瑛の表情は、どこまでも心配そうだ。千珠は何だか少しばつが悪くなって、再び槐に目を移す。
「……分かりませぬ。ちょっと混乱しているだけかもしれない……。業平殿の言うように、夜顔は脅威。でも、陀羅尼の時のように、俺は夜顔のことを何とかしてやりたいと思ってしまってる。結局いつも、揺れてしまう」
「そうか……。しかし、そういう優しい心を持って育ってくれたこと、親としてはとても嬉しいよ」
意外な答えだった。
都を、帝を守るための神祇省の、しかもその長官たる千瑛がそのような言葉を口にすることが意外で、驚いてしまう。千珠が目を丸くしているのを見て、千瑛は困ったように笑った。
「私だって役人だ。正解を言うなら、お前が夜顔を殺し、猿之助一行を全て捕らえることが、朝廷にとって最善なのは分かる」
「……」
「でも、お前はあの子を殺せないだろう。かといってあの子を生かしたところでその後どうするか……という問題にもなる」
「はい……」
千珠は一旦言葉を切ってひと呼吸置き、ただの願望のような憶測を口にする。
「夜顔を庇ったかに見えた藤之助という男が、あの子を大切してくれるような人物であるなら……と、思いました」
「夜顔を守り、育ててくれぬかということだな?……しかし、そんなにことはうまく運ばないかもしれない」
「分かっています」
千珠は少し声を荒らげた。
どうすればいいか分からなくて、千珠は苛立っていた。あの子を引き取り、青葉国で育てようか……そんなことも考えた。しかし、都にてあれだけの殺人を犯した夜顔を、何の処罰もなく連れ帰ることなど出来はしないだろう。
ふと、千瑛はこんなことを口にした。
「……あの子にあれほどの恐ろしい力がなければ、きっと物事は大きく変わっていたろうな。誰かを殺すこともなかったかもしれない」
「……はい」
「あの禍々しい妖力が失せてしまえばいいのになぁ。それならば猿之助も、道具にならない子どもをいつまでも抱えておくこともなかろうに」
「……」
千珠はその言葉の真意を掴みかねて、槐を微笑ましげに眺めながらそんなことを言う父親の横顔を見上げる。
「これは独り言だ。……業平は今、都を護る大役を負うている身だから頑なになっている。しかし、うまくお前が立ち回れるのなら、何か策が見つかるかもしれないなぁ」
千珠はじっと千瑛の言葉を聞いていた。
「夜顔が妖力失い、ただの子どもになってしまえば、新たな人生を歩めるのかもしれない。ただ、それがうまくいかなければ、お前があの子を倒さねばならない。……よく考えて、動いてごらん。業平にああ言われた以上、私はあまりお前を助けるような真似はできないからね」
「……はい」
千珠は、しっかりと頷いた。
他ならぬ父が、正論だけでなく千珠の想いを尊んで言葉をくれたことが、嬉しかった。
それが神祇省の役人としてどんなに不適切なことなのかくらい、千珠にだって分かる。それでも、千瑛は千珠の思いを無碍にはしなかったのだ。
「……ありがとう、父上」
「なに、独り言だ」
千瑛はにっこりと笑って、千珠の頭に手を置いた。千珠はようやく、笑うことができた。
「千珠さま!父上!見てください!ど真ん中に刺さりました!」
遠くで、槐の嬉しそうな声が聞こえる。
二人は同時にそちらに目を向けると、飛び上がって喜ぶ槐に笑顔を向けた。
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