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二十四、罠

   千瑛と槐を見送り、千珠が一人離れの縁側に腰掛けて思案していると、朝方出会った芦原風春がふらりふらりと近付いてきた。  千珠は顔を上げ、小首を傾げる。  「ん、今朝方の……。何か用ですか?」  風春の目はどこか虚ろで、身体の動きもぎこちなく見える。疲れているのだろうか。  徐々にあたりは暮れ泥み始め、その表情は陰になって見えにくい。 「……千珠さま、お話が。ここではできませぬので、私についてきていただきたい」 「話とは?」  千珠は縁側から立ち上がると、風春に歩み寄った。風春はすいと千珠に背を向けると、そのままふらりと歩き始める。 「……佐々木藤之助のことですよ。……さぁ、こちらへ」 「!」  風春は、千珠の返事を聞かずに歩き始めた。土御門邸裏門の(かんぬき)を抜くと、ふらふらと外の通りへと出ていく。  千珠は嫌な感じを覚えていたが、しばらく付いて行ってみることにした。ひょっとすると、何か夜顔を助け出す糸口につながるものが出てくるかもしれないと思ったのだ。  人気のない道をゆき、竹林へと進む。生い茂る笹の葉によって竹林の中は暗く、じめじめとまとわりつくような空気があたりを覆っていた。  風春は西日の中に濃く沈む影の中でも迷うことなく、早足に進んでゆく。その歩調は、まるで何か糸のようなもので手繰り寄せられているようにも見えた。千珠は訝しみつつも、慎重にその後を追う。  やがて、幾重にも連なる大鳥居が見えた。翳りゆく夕日を受けて、丹塗りの大鳥居は不気味に光っている。  風春は鳥居をくぐる手前で立ち止まると、千珠を振り返った。  全く瞬きをしないその目には、まるで夜顔の瞳に見たような闇が蠢いているように感じられ、千珠は眉を寄せた。 「こちらへ……」  風春は鳥居の下に敷き連ねられた石畳の上を、音もなく進んでゆく。千珠は迷ったが、ここまで来て引き返すことも躊躇われ、一歩、その鳥居の下に足を踏み入れた。  すると、ばちばちっと何かが爆ぜるような音が響き、同時に風春がどさりとその場に崩れ落ちた。咄嗟にあたりを見回すと、鳥居の周りにぼんやりと玉虫色の膜が張っている。  何かしらの結界に、閉じ込められたのだ。 「……しまった!」  千珠は、どこかに潜んでいるであろう敵の気を感じ取ろうとした。しかし、鴉の鳴き声がやけに不気味に大きく響いて、集中を乱される。  嫌な空気だ。呼吸する度、身体がじんわりと重たくなるような。千珠は努めてゆっくり息を吐き、じっとあたりに目を凝らしながら、手首の数珠を外そうと手を持ち上げた。    その瞬間、空を裂く音。  ひゅ、ひゅ、と何処からともなく、破魔矢が千珠を狙って飛び掛かってくる。千珠は地を蹴ってそれを避けると、どこまでも続くかのように連なる大鳥居の下を走り出した。 「くそっ……!」  自分の油断を呪う。  風春の様子がおかしいことには気づいていたのに、夜顔のことに執心しすぎて目が曇った。  走る千珠の足元に、次々と破魔矢が突き立つ。石畳を砕き、千珠の衣を掠めながら、奥へ奥へと追い立ててゆく。  連なった鳥居を抜けると、そこには鬱蒼とした竹林に囲まれた社があった。古く鄙びた堂は苔むして、全く人の手が入っていない様子だ。  ぼんやりと光って見えた鳥居に比べ、暗がりの中に沈む社はまたひどく不気味だ。黒黒とした竹林からは烏の鳴き声が響き、わんわんと耳の中にこだまして不安を煽る。 「縛!」  鋭い声。千珠は何かに身体を絡め取られて、地面に倒れた。よく見ると、何百と連なった紙人形が、千珠の身体を締め付けている。 「……!こんなもの……」  紙だと思って引き千切ろうとすればするほど、それはどんどん千珠の身体を絞めつけた。手足全てを雁字搦めにされ、起き上がることさえ出来なかった。  もがく千珠を嘲笑う声がする。  黒装束の男が二人、暗がりから足音もなく現れた。  印を結んだまま薄ら笑いを浮かべている三十路男と、いやに落ち着き払った痩せた青年。  二人はじっと倒れた千珠を見下ろしていた。印を結ぶ男は粘着質な笑みを浮かべ、喉の奥で低く笑った。 「くく……意外とあっさり釣れたな。やっぱり餓鬼は単純だ」 「……お前ら、誰だ」  千珠は顔だけで二人を見上げる。三十路男は目を細めて、千珠の顔をしげしげと覗き込んだ。 「……へぇ、なんて綺麗な顔してやがる。男にしとくのはもったいない、なぁ、佐為」  男の卑しい笑い声に、ぞっとする。千珠は表情を険しくした。 「やめてくださいよ、保臣(やすおみ)さん。さっさと仕事を済ませましょう」  佐為と呼ばれた青年はやたら色が白く、切り揃えた短い髪という珍しい格好をしていた。保臣と千珠の間に割って入ると、佐為は千珠のそばに跪き、ややつり上がった切れ長の目で千珠を見下ろす。 「……何するつもりだ」 「僕は、一ノ瀬佐為と申します。あなたの血を頂きに参りました。……夜顔が使えなくなった時に備えて」 「……使えなくなる?どういうことだ」 「あなたのせいですよ。変な物を夜顔に刺すから」  佐為は短刀と小瓶を懐から取り出すと、切れ味を確かめるようにその刃を空に翳した。冷たく、刃が光る。 「全く、一人でこんな所にまでのこのこやって来るなんて、馬鹿な人だ」 「おい、佐為。それが終わったら、この餓鬼と遊んでもいいか?貴船にこもってからずっとご無沙汰なんだ」  保臣が目をぎらつかせ、舌なめずりをするような目つきをしている。千珠はぞっとして、またひとしきり無駄な抵抗を示した。  佐為はちらりと保臣を見ると、素っ気なく「どうぞご自由に」と言った。  そして、囚われている千珠の手首を掴むと、短刀を構える。 「……よせ、やめろよ!」  千珠が暴れるせいで手元を狂わされた佐為は、つり上がった目を少し細め、膝で千珠の腰を抑えつけて手首を捻りあげる。 「じたばたしないでください。今殺そうと思えば,僕はここであなたを殺せるんですから」 「じゃあ何故そうしない!」 「……猿之助様はあくまで、夜顔を使ってあなたを殺したいのです」 「何だと……!?」 「あなたを倒した妖だからこそ、所有する価値があるとお考えなもので」 「……!!お前ら、俺達を道具のように……!」  千珠の目に、憎々しげな光が灯る。その言葉と共に妖気の流れが変わってゆく。  その変化に気づいたのか、佐為が動きを止めた。 「俺達、ねぇ……」  佐為は小さくそう呟く。  その背後で保臣が冷や汗を流して呻き始めた。 「おい、早くしろよ。もう術が……もたねぇ」 「情けないですね。喜んでついてきたのはあなたでしょう」  佐為の冷ややかな口調に、保臣は怒りの表情を浮かべて大きな声を出す。 「なんだその口のききかたは!霊力の弱いお前だけじゃ不安だろうから、わざわざ俺が付き添ってやったんだろうが!」 「……弱い、か。そうですね」  佐為は鋭く後ろを振り返りざま、手にしていた短刀をまっすぐに、保臣の額に突き立てた。 「か……はっ……」  保臣は目を見開いたまま、驚愕の表情を浮かべて後ろに倒れ、そのまま動かなくなった。術者が死んだことで戒めが解け、千珠はぱっと素早くその場から離れる。 「……お前、一体何なんだ」  千珠は用心深く、佐為と呼ばれる青年の気配を窺う。たった今人を殺したようには思えないような穏やかな笑みを浮かべて、佐為は千珠を見つめ返した。  ふと、吊り上がった目が糸目になり、柔和な表情になる。 「さてね、何と言われると困ってしまうのですが」  佐為は保臣の顔に脚をかけ、短刀を引き抜いた。まるで物のような扱いだ。そして、保臣の額から流れ出た血液を、手にした小瓶に受けている。  淡々と、べっとりと付いた血を懐紙で拭き取り、丁寧にたたんで懐に納める。再び輝きを取り戻した短刀を満足げに確認し、佐為は物言いたげな目つきで微笑んだ。 「まぁ、それは後でゆっくりお話ししますよ」 「どういうことだ」 「もうすぐあなたのお仲間がここへ来ますから、それまでは大人しくしていてください」  佐為は社の方へと歩を進め、小瓶をその下に転がした。そして短刀を腰に差すと、足元に倒れ伏している死体を見下ろす。 「こいつはね、野蛮で下品な男でして。僕はいつもいつも身体を狙われていたもので、そのうち殺してやろうと思っていたんですよ」  物騒な台詞の割に、どこまでも平坦な表情だ。青年の持つ薄気味悪い空気に、やけに緊張させられる。  咄嗟にさっと数珠を外し、宝刀を抜く。切っ先がまっすぐ自分に向いていても、佐為の表情は変わらない。むしろ感心したように、ほうと一声。 「お前みたいなやつと喋っている暇はない」 「へぇ……きれいだな。それがあなたの武器か。まさか身体の中に隠しているとはね」  佐為はにやりと笑うと、片手で印を結んだ。 「縛!」 「!」  再び、千珠の身体は動かなくなった。佐為は余裕の笑みを浮かべ、千珠にゆっくりと歩み寄る。 「ここが僕の結界の中だということを忘れないでくださいよ」 「……くっそ……!」  まんじりとも動かない身体に苛立つ。  たかだか猿之助の部下であるこの男の術中に、ここまであっさり堕ちてしまっていることが歯痒くて、情けなくて、喚きたくなる。  佐為はその悔し気な表情を堪能するように微笑み、宝刀を握る千珠の手に触れた。

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