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三十七、因縁

 一方、猿之助と対峙した業平は、その過信に歪んだ顔を見つめていた。    お互いの若き昔の姿が、ふと蘇る。  先代を尊敬して学んでいたあの頃。お互いの力量を認め合い、切磋琢磨していた少年の頃。  あの頃の猿之助は、いい顔をしていた。こんなに歪んだ笑い方など、しなかった。 「変わったな、猿之助……」  業平は、苦々しくそう言った。猿之助は小馬鹿にしたように鼻で笑う。 「ふん、お前に我々の苦しみなど分からないだろうさ」 「雛子さまのことか」 「他に何がある。まぁ……それはきっかけに過ぎない。俺はあそこから目が覚めた。このままではいけない、とな」 「間違いだとは、思わないか」 「間違っているのはお前らの方だ。今さらそれを議論する気もない」 「そう……か」  業平は一度ぎゅっと目を閉じると、印を結んだ。 「ならば私は、何としてでもお前を止めなければならない。爆!!」  業平が目を開き、そう唱えると同時に、猿之助の周りの土が一気に爆ぜた。視界を焼くような朱い閃光が猿之助を包み込む。  あまりの眩さに、佐為は思わず目を細める。業平の背中が、大きな影のように見えた。 「佐為!守清を粛清しろ」 「はい!」  佐為は逃げ出した守清を追い、庭を抜けて屋敷の方へと駈け出した。  業平は佐為の姿がなくなるのを確認すると、視線を猿之助に戻す。 「大技は隙が生まれやすいと、何度も言っただろう」  不意に自分の後ろで猿之助の声がした。業平は驚いて、振り向きざまに腰に差した刀を抜いた。  きぃいんと、刃同士がぶつかり合う音が響き、目前に猿之助の笑みが見える。 「ほう、刀を持つようになったのか。それなら接近されても防ぐことはできるか」 「……疾い」 「お前らの術など、全てお見通しだ。俺が先代棟梁なのだからな!喝!!」  猿之助が業平の胸に触れると、そこに強い衝撃が生まれ、業平の身体は後ろに吹っ飛ばされた。微かに触れられただけだというのに、業平の受けた衝撃は甚大だった。 「ぐっ……はぁ!」  業平は苦痛に顔を歪めて膝をついた。歯を食いしばり、刀で身体を支えて立ち上がると、素早く印を結んで唱える。 「火焔大鳳(かえんたいほう)!急急如律令!!」  地面を割りながら、紅蓮の炎が猿之助に襲いかかる。猿之助は尚も笑みを浮かべたまま、その炎の前に立ちはだかった。 「結界壁!」  業平の炎を遮るように、玉虫色の壁が地中から生まれ、炎を全て打ち消した。  業平は目を見開く。  猿之助とは、これほどまでに力量に差はなかったはずだ。  これが、思想の違いなのだろうか。防御に徹することを良としてきた業平たちのやり方をすべて覆すように、猿之助は圧倒的な力を見せつけている。 「見ろ!これがお前らの限界なのだ!」  猿之助は高笑いと共に、印を結んだ。 「陰陽閻矢百万遍(おんみょうえんしひゃくまんべん)!!急急如律令!!」  数千の破魔矢が、猿之助の背後に浮かび上がった。それは紛うこと無く、全て業平に向かっている。  業平はその術のあまりの巨大さに、目を見開く。そんな業平の表情を見て、猿之助は目を細め、にぃと笑った。 「死ねぇ!!業平ァァ!!」  業平は咄嗟に結界壁を張って衝撃に備えた。黒黒とした破魔矢が、まさに業平に降りかかろうとしたその既で、全ての矢がぴたりと止まった。  ✿  猿之助は背後から襲ってきた衝撃に、息を呑む。  胸元を見下ろすと、血に塗れた銀色の刃が、にゅうとそこから顔を出しているではないか。背後から、心の臓を刺し貫かれたのだ。  猿之助は、ゆっくりと後ろを振り返る。  そこには純度の高い黒曜石の如ききらめきを湛えた、切れ長の瞳があった。  佐為の刃が、胸を刺し貫いている。じっと自分を見上げる黒い目が細まったとき、猿之助は血を吐いた。 「死ぬのはあなただ、猿之助」 「さ……い。貴様……」  貫いていた刀をぐるりと半回転させ、猿之助の胸を抉ってから、佐為は刀を抜いた。ぶしゅう……と大量の血が吹き出し、ぼたぼたと地面に流れ落ちる。  猿之助が膝を着くと、佐為は冷ややかに猿之助を見下ろして、さも清々しげな微笑みを浮かべた。猿之助の目が、どんどん虚ろになっていく。  佐為は悠然とした動きで刀から血を振り払うと、倒れ込んだ猿之助に、色の無い眼差しを向けた。 「下がれ……佐為」  業平の低い声。  顎の下で両の手を合わせている業平から、ゆらりと陽炎のように霊気が立ち上る。 「助かったぞ」 「いえ」  佐為は、出番は終わったとばかりにぱっとその場から飛び退いた。地面に横たわった猿之助は、頭を倒して業平の姿を見上げている。 「……ふん、俺が死んだ所で、終わらぬ……。また俺のような思想を持つものは、かならず、現れる……ぞ」 「そうなった時は、我らが育てた後継者がそいつらを止めるさ。育て、引き継いでゆくのだ。これからもずっと。この技と、力を……!」  業平は合わせていた掌を解き、ゆっくりと上空に向けた。すると、先ほど消えたはずの数千の破魔矢が、再び息を吹き返したように浮かび上がる。 「陰陽閻矢、反射鏡」  業平がそう呟くと、数千の破魔矢はまっすぐに猿之助に切っ先を向ける。  猿之助は仰向いて、我が身に返って来ようとしている自らの技を見上げた。  そして、目を閉じて唇を歪ませる。 「……どこまで、貫き通せるかな。……お前らの、正義とやらを」 「……あの世で見ていろ」  業平が手を振り下ろすと、数千の破魔矢はまっすぐに猿之助の上に降り注いだ。矢がその身を刺し貫く衝撃で、猿之助の身体は何度も跳ね上がった。  そして全ての破魔矢が地に落ちた時、猿之助は死んだ。

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