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三十九、引き受けるもの

「ぎゃああああ!!」  夜顔の悲鳴が、夜空に吸い込まれてゆく。  千珠が突き立てた宝刀によって、夜顔の幻術はかき消すように消えた。そしてその場にうずくまる夜顔は、ぴくぴくと痙攣している。 「うううう……ううう」 「はぁ、はあっ……はぁっ……!」  千珠は、荒い呼吸をしながら膝をついた。ぐるぐると夜顔の周りを護るように蠢く黒い炎を、じっと見つめる。 「大丈夫か?千珠」  舜海が駆け寄って、千珠の身体を支えた。千珠は汗を拳で拭うと、舜海の手に捕まってよろりと立ち上がった。  そして、ゆっくりと夜顔に歩み寄る。 「夜顔」  夜顔の隣に屈み込むと、その小さな背中に触れた。黒い妖気は、千珠を拒絶しはしなかった。  千珠は夜顔の肩を支えて、ゆっくりと起き上がらせる。  夜顔は涙を流していた。初めて見た時のように。そしてその目線は、赤い瞳に向けられている。千珠が瞬きをするたびに、その赤は静まり、いつもの琥珀色の瞳へと戻っていった。  千珠はひとつ呼吸を置いてから、夜顔へ穏やかに語りかけた。 「分かったろう?俺の心が」  夜顔は頷く。  幻術の中、千珠の心を盗もうとした夜顔の精神に、逆に千珠の方から侵入したのだった。  そして、言葉では伝わりきらない想い、千珠の記憶、千珠がこれから何をしようとしているかを、夜顔の思考に直接訴えたのである。 「俺はお前を殺さない。それに、お前が必要としていないその禍々しい力は、俺が引き受けるから。どこか遠くで、藤之助と静かに暮らすんだ」 「とうのすけ……」 「ああ、そうだよ」  千珠は夜顔に笑顔を見せた。夜顔が驚いたように目を瞬くうち、ゆっくりと黒い妖気が収まっていく。 「お前にはもう、その力はいらないもんな」  「……ちから……?」 「大人になったら、俺のところにおいで。伝えきれなかったことを、その時全て話すから」 「おれ……?」 「俺は千珠、という名だ」 「せんじゅ……」 「ああ、そうだ」  夜顔はじっと千珠の目を見上げて涙を流した。千珠は頬に手をかけて、親指でその涙をぐいと拭う。 「もう、泣かなくていいようにしてやるよ」  舜海は千珠の背中を見つめていた。銀色の長い髪が、風にそよいできらめいている。 「それは、抜いてしまおうな」  千珠は夜顔の喉元に突き刺さっている、赤い耳飾りに指をかけた。ずぷ、と夜顔の身体から引き抜くと、それと共に黒いどろどろとしたものが付随して漏れ出てきた。  舜海は、その禍々しさに身構えてしまう。 「千珠、気を付けろよ」 「……ああ」  千珠は慎重な声で応じると、ゆっくりと夜顔の力を抜き取っていく。 「ううう……ああああ!!」  突然、夜顔が大きく悶えた。妖気を抜かれていくことで、痛みに襲われているかのように。舜海は、すぐに術で夜顔を縛り、二人を守った。  千珠はぎゅっと耳飾りを握りしめ、その禍々しい妖気を、自分の中に抑えこんでいく。  どくん、どくん……と夜顔の鼓動が自分のものと重なる。熱く、重く、憎しみのこもった妖気が、自分の中に流れ込んでいくの分かる。 「ああああ!!」 「我慢せい!もうちょっとやから!」  暴れる夜顔を、舜海はそう怒鳴りつける。千珠は左手で夜顔の肩を掴んだまま、じっと右手に耳飾りを握りしめて耐えた。 「もう少し……もう少し……」  ぐるぐると、黒い妖気が千珠の身体の周りを飛び回る。千珠は顎をのけぞらせて、かっと目を見開いた。  その目が、夜顔のように黒く染まってゆく。千珠の身にも、痛みが襲いかかる。息が苦しく、内腑が焼き尽くされそうに痛んだ。千珠は歯を食いしばってその痛みに耐えながら、ぎゅっと夜顔を抱きしめた。  夜顔が暴れるのをやめた。  千珠の身体からゆっくりと力が抜けてゆき、黒い妖気が静かに静かに消えてゆく。  すべてを、押さえ込んだのだ。 「千珠!」  舜海は術を解くと、倒れかかる千珠に駆け寄ってその身体を抱きとめた。千珠は尚も荒い息をしながら、舜海をしっかりと見つめた。 「さぁ、早く……藤之助のところへ行こう……」 「よし……」 「俺は歩ける。舜海は、夜顔を」 「ああ、分かった」  呆然としてへたり込んでいる夜顔を、舜海はひょいと抱き上げた。夜顔は暴れることもなく、大人しい赤子のように舜海の腕に抱えられている。  歩き出した舜海の後を、ふらふらと続いた。  耳飾りだけでは収まらなかった夜顔の妖気が、自分の身体を蝕んでいるのを感じる。  それでも、これを手放す訳にはいかない。ここで離せば、この妖気は夜顔の元へ戻り、再び夜顔を脅威と化すのだから。  ――俺の中で抑えて、浄化しなければいけない。    ――耐えろ、耐えろ。俺ならば、可能なはずだ。  千珠は痛む心臓を押さえながら霞む目をこすり、舜海の背中を追いかけた。

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