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二十四、今欲しいもの

   千珠は、屯所から少し離れた草原に立ち、目線の先に広がる暗い海を見つめていた。  寄せては引いていく潮騒を、目を閉じて聞いてみる。  黒く、全てを墨色に染めてしまう大海原の波音は、昼間のそれよりも穏やかに感じられた。大地の鼓動を、聞いているような感覚だった。  暦の上では盛夏なのに、この地の夜は冬のように冷える。まるで雷燕の心の温度を映したかのような、凍てつく寒さだった。  千珠は冷えから身を守るように、両腕を手で抱いた。  心は不思議と穏やかだった。いつ、雷燕が襲ってくるともしれないこの海の上にいるというのに……。 「おい、危ないやろ」  舜海の声。  千珠はゆっくりと振り返った。  黒い闇の中で、黒い着物、黒い髪をした舜海の姿が、ぼんやりと浮かび上がって見える。 「そうだな……戻る」  舜海の脇を通りすぎようとした時、暖かなものが自分を包み込むのを感じた。 「……冷えてんな。こんなとこにおるから」 「俺に触らないようにしてたんじゃなかったか?」 「……寒いんやろ」 「ふん……」  千珠は冷たく鼻を鳴らしながらも、舜海の衣に頬を寄せた。  ――とても、暖かい。  力強い鼓動が、聞こえてくる。  心地良くて、安心する、慣れ親しんだ俺の居場所……。 「また消えたんかと思ったわ」 「……そんなことは、もうしない」 「ほんまかいな」  舜海はふっと笑った。  千珠は顔を上げて、舜海の胸の中からその顔を見上げた。 「お前の目……」 「ん?」 「お前の目が、好きだよ」 「え……」  ――大きくて力強い、その両の目に射すくめられるのが、好きだ。  言葉にはせずとも、俺のことを愛おしいと叫ぶその眼差しに搦め捕られることが、たまらなく恋しい……。 「何言い出すねん、急に」  舜海は照れ隠しのように、ぶっきらぼうな口振りでそう言った。千珠は小さく笑う。  そして、今度は自分から舜海の身体にしがみつく。その身体を支えるように、舜海の手が腰と背に回った。 「……あぁ、心地いい」 「そうか……」  二人の唇が、自然と重なる。  どちらから求めるでもなく、吸い寄せられるように。  静かに、穏やかに、何度も重ね合わされる唇から、白い吐息が漏れた。徐々に力を増す舜海の手から、熱が伝わってくる。 「お前の熱い身体も……好きだよ」 「……」  ため息のようにそう呟くと、腰を抱く手がかっと熱くなる。ぎゅっと千珠の細い腰を引き寄せて、舜海は更に深く舌を絡めた。 「あ……はっ……」  舜海の執拗な責め立てに息が持たず、千珠は軽く喘いだ。舜海は目を開いて、そんな千珠を見つめた。 「……きれいやな」 「暗くて見えないだろ……」 「いや、見える。お前の事なら、なんでも……」  そう耳元で囁かれてしまえば、千珠の身体はぞくぞくと快感に打ち震え、その先を欲して全身が騒ぎ始める。それが舜海にも伝わるらしく、思わせぶりに耳のうしろをちゅっと吸われた。 「耳、感じやすいな。……いやらしい反応や」 「……五月蝿い……っ」  少し腹を立てたような声を出すと、舜海は笑う。そして更にからかって遊ぶように、耳たぶを甘噛みしたり、耳穴を舌を忍ばせるのだ。 「んっ……よせっ……」  もぞもぞと身を捩らせて舜海を突き放そうとしたけれど、二本の腕は千珠を強く抱きしめたまま離そうとはしない。その気になれば舜海の身体など一撃で退けられるが、どうにも力が入らない。 「こうされるのが好きなくせに……」 「ん……だまれよっ……」 「生意気な口やな。黙るんはそっちやで」  そう言うと、舜海はやおら千珠の唇を荒々しく塞いだ。舌で千珠を犯すかのような激しく濃厚な口付けが、千珠の官能に完全に火をつけた。  ――抱かれたい。  急激に欲求が高まる。  我を失って乱れるほどに、抱いて欲しい。  甘い声で、心の中までかき回して欲しい。  強い目で、思考の全てを舜海で満たして欲しい。  舜海の気持ちを、もっともっと、確かめたい。  ――愛していると、言って欲しい……。 「舜……っ、はぁっ……ふ……」 「ん……?」 「抱いて、くれないか……」  思う様、流れ込む舜海の唾液を味わい、きつくきつく抱き締めてくる舜海に応えながら、千珠は吐息の隙間で訴えた。  ふ、と唇を離した舜海の瞳の奥にゆらりと雄の火が揺らめくのを見つけ、鼓動が期待に、跳ね上がる。  

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